上 下
146 / 184
リヒト⑭

しおりを挟む
「リヒト。さっきは思いがけないことで取り乱してしまいましたが、ユーリ様はあなたのことを心底愛しています。もうひとりのオメガ、というのが誰かはわかりませんが、なにか、事情があるのではないでしょうか?」
「あら、気休めはダメよ。アルファは、その気になれば何人もつがいを持てるのだから」
「……アマル。なんでリヒトを傷つけるようなことを言うんだよ」
「わたくしは事実しか言ってませんわ。この国のアルファはそれはそれは愛情深いけれど、一度に複数のオメガとつがってるアルファが居ないわけじゃないのだから」
「でもよりによってユーリ様がそんなこと」
「あら。ユーリは王族。王族の教育はあなただってよく知ってるはずでしょう」

 王族の教育ってなんだろう。
 僕が首を傾げたら、エミール様が困ったように眉を下げた。飴色の瞳が僕とアマル様の間を行き来して、唇からは「う~ん」と唸り声が漏れた。 

「リヒト、前に……二年前でしょうか、あなたと最初に会ったとき、オメガの話をしましたね」
「……はい」

 覚えている。エミール様に、なにをすればオメガのままでいられるかを尋ねた。
 あの頃はまだ五感が弱くて、いまよりもずっと不安が強かったように思う。

「あのときは、あなたがあまりにバース性のことを知らなかったので、オレは驚きました」
「う……はい」

 物を知らないのはいまも同じだけれど、あのときは絵本すらも読めなかったから、僕の知識は本当に乏しかっただろう。恥ずかしくなって体をもぞもぞと動かすと、エミール様がきれいに微笑まれて、さっき僕がみんなの名前を書いた紙の表面を、指先で辿った。

「あなたになにを教えてなにを教えないか。ユーリ様はとても気を配っておられた。オレはそれを、ユーリ様の独善だとは言いたくない。あなたが無為に傷つくことのないようにと考えた上での、ユーリ様の愛だと思います」

 エミール様の言葉は僕にはすこし難しい。
 けれど、エミール様が。

「だからあなたは、自分を恥ずかしいと思う必要はないんです」
 と、物を知らない僕をやさしく肯定してくれたから。

「……はい」

 僕は素直に頷くことができた。
 エミール様がそんな僕にやわらかく目を細めて、それからふっと微笑を消して真顔になった。

「ただ、アマルの言ったことも本当です。アルファは同時に複数のオメガをつがいにすることができる。逆にオレたちオメガにはそれができない。同時に複数のアルファとはつがえない。つがうのはひとりきりです」
「……はい」

 僕はこくりと頭を動かして、エミール様を見つめ返した。

 ユーリ様に僕以外のオメガが居ても不思議ではない。そのことを教えてくれているのだとわかった。
 たとえ僕が念願叶って、ユーリ様にうなじを噛んでもらえたとしても、ユーリ様は僕だけのアルファではないということだ。

「王族のアルファは、その血を絶やすなと教えられています。血統を繋げてゆけ、と」
「……けっとう」
「おのれの子をつくれ、という意味です」

 エミール様の説明に、僕は息を飲んだ。
 それは、クラウス様のつがいであるエミール様にも当てはまることだと気づいてしまった。

 僕の動揺に気づいたエミール様がさびしげに微笑まれ、首を横に振る。

「オレのことは大丈夫です。リヒト、これはあなたも避けては通れない道かもしれない。ユーリ様は王族です。当然、幼い頃より王族としての義務をその身に叩きこまれている。ですからリヒト以外にもオメガや……女性を囲うというのも不思議ではない」

 ユーリ様の身分。僕はそれをこれまで深く考えたことがなかったけれど、エミール様に教えられて、心臓が凍ってしまいそうなほどのショックを受けた。
 ぶるり、と震えた僕の手を、エミール様が握ってくる。

「ですが、リヒト。オレは、ユーリ様のオメガはやはりあなたしか居ないと思います」
「エミール様……」

 力強い言葉をくれたエミール様の名前を、僕はほとんど囁きに近い音で呼んだ。
 涙が盛り上がって、視界が歪みだす。

「あらまぁ、気休めはダメって言ったのに」

 アマル様が呆れたようにそう言って、ふぅ、とため息を吐かれた。
 でも僕は気休めでも嬉しかった。ユーリ様のオメガは僕だと言ってくださった、エミール様のお言葉が。

「……ぼく、僕、ユーリ様にお聞きしてみます。もうひとりのオメガのひとのこと、聞いてみます」
「リヒト」
「ユーリ様が、もうひとりのオメガのひとの方がいいって言われたとしても、僕も、ユーリ様のオメガで居続けられるように頑張ります。発情期が来たとき、ユーリ様が僕をつがいにしてもいいって思ってもらえるように頑張ります」

 握りこぶしでそう気持ちを固めた僕の膝を、アマル様がやわらかく叩いた。

「ちょっとお待ちなさいな。なんだか一周回って同じところに着地している気がするわ。妖精さん、それじゃあ根本の解決になっていなくてよ」
「え……?」
「あなた、なぜユーリが夜中に出ていくのか、わかってて?」

 ユーリ様が夜中にベッドを抜け出される理由。
 僕はパチパチと数回まばたきをしながら首を捻った。

「僕に、内緒にしたいから……」
「なにを内緒にしたいのかしら」
「アマル! ちょ、それはっ」

 エミール様が慌てて僕の方へ手を伸ばし、僕の両耳を塞いだ。

「こんな純真な子になにを聞かせるつもりだよっ」
「まぁ! マリウスの話ではもう二十歳は超えているはずでしてよ! 教えて悪いことなどなくてよ!」
「でもユーリ様の居ない場所でこんなっ」
「あら。ユーリが居ないからちょうどいいんじゃなくて? ねぇ、リヒト」

 エミール様の手で耳を押さえられていても、聴覚が鈍かった頃に比べるとお二人の会話する声は格段に聞き取りやすくて、話を振られた僕は、ユーリ様の行動の理由が知りたくて頷いた。

「僕、知りたいです。教えてください」

 エミール様が頭を抱え、
「オレは知らないからな! ユーリ様に怒られるときはきみひとりで怒られろよ!」
 と、ふだんよりずっと乱暴な話し方でそう言われた。

 アマル様はツンと顎を上げて、そばかすの鼻筋にしわを作ると、
「わたくしは本当のことしか言わないもの。でも怒ったユーリも素敵だから拝みたいですわ」
 そう言って、軽やかで明るい笑い声を響かせた。
 
 そして僕はアマル様から、教えてもらった。
 ユーリ様が夜に他のオメガのところへ行くのは、『せいてきよっきゅう』を満たすためだと。
 大人であれば当然のことよ、とアマル様は仰った。

 僕はよくわからなくてエミール様を見上げたら、エミール様はサッと顔を逸らして、
「オレに聞かないでください」
 と言った。

 アマル様が頬を膨らませて、そんなエミール様を肘でつついた。

「わたくしがぜんぶ話すより、同性のあなたが説明してあげるほうがわかりやすいのに!」
「きみが勝手に始めたんだろ? オレを巻き込むなってば!」
「もう! 頼りにならないエルですこと」

 ふん、と鼻を鳴らしたアマル様が僕に向きなおって、説明を続けてくれる。



しおりを挟む
感想 259

あなたにおすすめの小説

初心者オメガは執着アルファの腕のなか

深嶋
BL
自分がベータであることを信じて疑わずに生きてきた圭人は、見知らぬアルファに声をかけられたことがきっかけとなり、二次性の再検査をすることに。その結果、自身が本当はオメガであったと知り、愕然とする。 オメガだと判明したことで否応なく変化していく日常に圭人は戸惑い、悩み、葛藤する日々。そんな圭人の前に、「運命の番」を自称するアルファの男が再び現れて……。 オメガとして未成熟な大学生の圭人と、圭人を番にしたい社会人アルファの男が、ゆっくりと愛を深めていきます。 穏やかさに滲む執着愛。望まぬ幸運に恵まれた主人公が、悩みながらも運命の出会いに向き合っていくお話です。本編、攻め編ともに完結済。

【完結】幼馴染から離れたい。

June
BL
隣に立つのは運命の番なんだ。 βの谷口優希にはαである幼馴染の伊賀崎朔がいる。だが、ある日の出来事をきっかけに、幼馴染以上に大切な存在だったのだと気づいてしまう。 番外編 伊賀崎朔視点もあります。 (12月:改正版)

トップアイドルα様は平凡βを運命にする

新羽梅衣
BL
ありきたりなベータらしい人生を送ってきた平凡な大学生・春崎陽は深夜のコンビニでアルバイトをしている。 ある夜、コンビニに訪れた男と目が合った瞬間、まるで炭酸が弾けるような胸の高鳴りを感じてしまう。どこかで見たことのある彼はトップアイドル・sui(深山翠)だった。 翠と陽の距離は急接近するが、ふたりはアルファとベータ。翠が運命の番に憧れて相手を探すために芸能界に入ったと知った陽は、どう足掻いても番にはなれない関係に思い悩む。そんなとき、翠のマネージャーに声をかけられた陽はある決心をする。 運命の番を探すトップアイドルα×自分に自信がない平凡βの切ない恋のお話。

【書籍化確定、完結】私だけが知らない

綾雅(要らない悪役令嬢1/7発売)
ファンタジー
書籍化確定です。詳細はしばらくお待ちください(o´-ω-)o)ペコッ 目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。 優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。 やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。 記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2024/12/26……書籍化確定、公表 2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位 2023/12/19……番外編完結 2023/12/11……本編完結(番外編、12/12) 2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位 2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」 2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位 2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位 2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位 2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位 2023/08/14……連載開始

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

【完結】伴侶がいるので、溺愛ご遠慮いたします

  *  
BL
3歳のノィユが、カビの生えてないご飯を求めて結ばれることになったのは、北の最果ての領主のおじいちゃん……え、おじいちゃん……!? しあわせの絶頂にいるのを知らない王子たちが吃驚して憐れんで溺愛してくれそうなのですが、結構です! めちゃくちゃかっこよくて可愛い伴侶がいますので! 本編完結しました! 時々おまけを更新しています。

目が覚めたら囲まれてました

るんぱっぱ
BL
燈和(トウワ)は、いつも独りぼっちだった。 燈和の母は愛人で、すでに亡くなっている。愛人の子として虐げられてきた燈和は、ある日家から飛び出し街へ。でも、そこで不良とぶつかりボコボコにされてしまう。 そして、目が覚めると、3人の男が燈和を囲んでいて…話を聞くと、チカという男が燈和を拾ってくれたらしい。 チカに気に入られた燈和は3人と共に行動するようになる。 不思議な3人は、闇医者、若頭、ハッカー、と異色な人達で! 独りぼっちだった燈和が非日常な幸せを勝ち取る話。

僕の番

結城れい
BL
白石湊(しらいし みなと)は、大学生のΩだ。αの番がいて同棲までしている。最近湊は、番である森颯真(もり そうま)の衣服を集めることがやめられない。気づかれないように少しずつ集めていくが―― ※他サイトにも掲載

処理中です...