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リヒト⑭

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 アマル様は次に、それぞれの名前をつなぐ線を書くように言ってきた。
 僕と、ユーリ様。
 エミール様と、クラウス様。
 アマル様と、マリウス様。
 名前同士を黒いインクで結ぶ。
 そこまでしたら、ペンはアマル様に取り上げられた。

「さて、ユーリの妖精さん、質問です」

 アマル様が鈴のような声で問いかけてきた。

「エミールとクラウスの関係はなにかしら」

 僕は一度まばたきをしてから、エミール様の方を向いた。
 エミール様が小首を傾げて僕を見ている。

 エミール様と、クラウス様。
 お二人の寄り添う姿を僕は、目があまり見えていない頃に見たことがある。
 あれはユーリ様が遠征に行かれるときのことだ。

 ユーリ様に同行されるクラウス様に、エミール様はぎゅうっと抱きついていた。ぼやけていた僕の視界で、お二人はほとんどひとつに溶け合うかのようだった。

 エミール様のうなじには、クラウス様の噛み痕。

「……エミール様とクラウス様は、つがいです」

 僕がそう答えると、アマル様は僕の引いた線の隣にもう一本線を足して、二重の線にした。

「そうね。でもただのつがいじゃなくてよ。二人は運命のつがい」

 運命のつがい。
 その言葉は物語にも度々登場する。

 エミール様を見ると、エミール様は困ったような、はにかむような笑顔を浮かべていた。

「そしてあなたとユーリも運命のつがい」

 アマル様がペンをスッと動かして、僕とユーリ様を結ぶ線も二重線に書き足した。
 僕は慌てて首を横に振った。

「ぼ、僕とユーリ様は違います」

 だって、運命のつがいというのは、発情期のある完璧なオメガと、アルファの間で成立するもので……。

 あれ、と僕は自分の考えのなにかに引っかかった。

 そうだ、エミール様だ。

 エミール様とクラウス様は運命のつがい。でもエミール様はご自分を、完璧なオメガじゃないと仰った。子どもが産めないから、完璧なオメガではない、と。

 頭がなんだか混乱してきた。
 はふ、と息をついたら、アマル様が僕を覗き込んできて、赤みがかった目を細めた。

「ユーリはあなたを、僕のオメガ、と言っていたわ。なら妖精さん、あなたはユーリの運命よ。運命は、互いの匂いでわかるの。クラウスとエミールもそうだったわ。一度会ったら、二度とは離れられない存在」

 歌を口ずさむような調子で、アマル様が囁いた。
 そしてご自分とマリウス様を結ぶ線の上をトンと指先で示して、
「わたくしとマリウスは、ただのつがい。運命じゃなくてよ」
 と言って、笑った。

 僕は息を飲んで、僕の書いた下手くそな文字を見つめ、それからぎくしゃくとアマル様の方を見た。

「わたくしは生まれたときから、マリウスの許嫁だったわ。オメガであってもなくても、ミュラー家の長子に嫁ぐことが決まっていたの。だから私とマリウスは運命じゃない。この世界のどこかに、彼の運命が居るわ」

 アマル様の声に、かなしみはなかった。
 楽しそうにも聞こえるお声だった。
 実際、アマル様はニコニコと笑っていた。アマル様がペンを動かし、マリウス様と繋がった線の真ん中から下に四本の線を引いた。

「わたくしたちは運命のつがいじゃないけど、マリウスはわたくしを愛しているわ。そしてわたくしたちの間には、可愛い可愛い四人の子ども。わたくしたちの宝物。ねぇ、ユーリの妖精さん、リヒト、もう一度尋ねるわ。あなたの言う完璧なオメガって、なにかしら」

 アマル様の視線の強さに、僕は怯んだ。
 答えられずに、ただこくりと喉を鳴らす。

「アマル。顔も声も怖い!」

 エミール様が僕の頭を抱き寄せて、よしよしと撫でてくれた。
 アマル様が「あら」と首を傾げる。

「大事なことよ。ちゃんと考えなきゃ。リヒト、あなたは完璧なオメガになりたいと言ったわね。あなたのなりたい完璧なオメガは、いったい誰のことなのかしら。エミールもわたくしも、あなたの条件から外れてしまったわ」

 アマル様に詰め寄られて、僕は目眩を起こしそうになった。エミール様が僕の頭を抱えたままアマル様の肩を押した。

「アマル、怖いって! いい加減オレも怒りますよ、王妃!」
「まぁ怖い。わたくし、間違ったことは言ってませんことよ」

 ツン、と顎を上げたアマル様が僕と視線を合わせて、
「あなたの世界は狭すぎるわ」
 としずかなお声で言った。

「ユーリの腕の中が世界のすべてじゃなくてよ、妖精さん。ねぇ、リヒト。私たちはオメガ。ユーリたちはアルファ。そしてこっちの丸の中にはベータが居るわね」

 アマル様が丸で囲った部分をひとつずつ指差し、最後にロンバードさんたちの名前を書いている丸を示してから、ペン先をインク瓶に入れた。
 黒いインクを吸ったペン。それでアマル様が紙いっぱいに大きな丸を書いた。
 僕も、ユーリ様も、テオさんも、全員の名前を包み込む、大きな大きな丸を。

「リヒト。完璧なオメガってなにかしら。完璧なアルファは? 完璧なベータも居るのかしら? リヒト、見てごらんなさいな。アルファも、ベータも、オメガも、わたくしたちをすべてまとめるこの丸を。リヒト、この丸が示すものはなぁに?」

 やわらかに、やさしく、「なぁに?」とアマル様が問いかけてきた。
 僕はなんだか小さな頃に戻ったような気分を味わった。

 昔……ユーリ様に拾われて、二年間も眠りっぱなしで、ようやく目が覚めた僕は、どこに行くにもユーリ様に抱っこされて。
 リヒト、これは林檎だよ。今日のジュースになっているものだよ。リヒト、これは時計だよ。時間を教えてくれるものだよ。リヒト、これは櫛だよ。これで髪の毛を梳かすんだよ。リヒト……。
 食事や、お風呂や、ベッドの中で、ユーリ様は僕に、色んなものの名前を教えてくれて、そして最後にはご自分を指さして。
 リヒト、僕の名前は? と聞いてきて。
 僕がたどたどしく「ゆぅりさま」と呼ぶと、決まって明るい笑い声をあげて、僕を抱きしめてくれて……。

 アマル様のお声は、「僕の名前は?」と質問をしてきたユーリ様のお声と同じぐらい、泣きたくなるほどの懐かしさがあって、僕は胸の辺りをぎゅうっと掴んで浅く息を吸った。

 アマル様が書かれた、大きな円。
 僕も、ユーリ様も、テオさんも、アルファもオメガもベータも居る、円。
 そこに囲まれているものは、みんな。

「……みんな、人間です」

 アマル様が頷いた。

「そうね。みんな人間ね。わたくしたちはみんな、人間ですわ。リヒト、完璧な人間とはなんなのかしら。そんなひと、居るのかしら?」

 アマル様の問いかけは、僕の胸の深い場所にずしりと落ちてきた。

 完璧な人間。
 それは。そんな存在は、居ないのかもしれない。

「リヒト。わたくしは完璧な人間でもなければ、運命のつがいでない相手と結ばれたオメガですけれど、でも、満たされていますわ。素敵な夫と可愛い子どもに恵まれて、これ以上なくしあわせですわ」
「オレも、クラウス様と出会えて、しあわせです」

 アマル様とエミール様が、僕へとそう告げて。
 それから。

「あなたは?」
「リヒトは?」
 と、尋ねてきた。

 僕は……僕は、ユーリ様に拾われて。ユーリ様に名前をつけてもらえて。ユーリ様にお世話をしてもらって。ユーリ様に五感を治してもらって。ユーリ様に、僕のオメガ、と言ってもらって。

 しあわせだ。
 しあわせだった。
 もう、しあわせだった。

 発情期が来なくても。僕は僕という人間で。
 ユーリ様のお傍に居れて、しあわせなしあわせなオメガなのだ。

「ぼ、ぼくも、しあわせです……しあわせです……」

 目から熱い涙が溢れた。べそべそと泣きながら目をこすっていたら、エミール様が僕を抱きしめてくれた。

 完璧な人間が居ないように、完璧なオメガも居ない。
 完璧じゃなくてもいいのだ、とアマル様とエミール様は僕にそう教えてくれたのだ。

 僕は顔をぐしゃぐしゃにして泣いた。
 すんと鼻を啜ったら、エミール様とアマル様の匂いが仄かに香ってきた。
 そのことで、ユーリ様のお屋敷に居るもうひとりのオメガの匂いを思い出した。
 完璧なオメガじゃなくていいけれど、それでもユーリ様のお傍に居続けることはできるのかしら。

 僕は涙で濡れた目をお二人にへと向けて、それを尋ねてみた。

「ぼく、もう、完璧なオメガになりたいなんて、言いません」
「リヒト」
「でも、ユーリ様のオメガでいたいんです。ど、どうすればいいですか?」





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