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リヒト⑩

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 エミール様に通された部屋には、支柱に立てられた、ひとの胴体みたいな形のものが置かれていた。
 トルソ、というものらしい。

 白っぽいそれに怖々触れてみたら、意外とやわらかかった。

 腕や足のないこれをどう使うんだろう、と僕が不思議に思っていたら、
「それに服を着せるんですよ」
 エミール様がそう教えてくださった。

 エミール様はトルソと向かい合った場所にあるソファへと僕を座らせて、優雅な仕草でベルを鳴らした。
 部屋のドアがすぐに開かれて、侍従のひとの後ろから、両手に平べったい箱を掲げた男のひとが入ってきた。

 彼は恭しくエミール様にお辞儀をして、挨拶の口上を述べてから箱の蓋を開いた。

「リヒト。このドミニクがユーリ様の服を仕立ててくれたんですよ」

 エミール様に告げられて、僕は慌てて頭を下げた。

「あの、ありがとうございます」
「勿体ないお言葉にございます」

 ドミニクさんが笑顔でそう答えて、
「よろしいですか?」
 とエミール様に尋ねた。

 エミール様が頷いて、トルソへと視線を流す。僕もつられてそちらを見た。

 立ち上がったドミニクさんが、箱からシャツを取り出して、流れるような手つきでトルソに着せかけていった。
 前ボタンを留め、襟元にクラヴァットを巻いて形を整え、こまかな刺繍がたっぷりとあしらわれているウエストコートを着せて、最後に同柄で色違いのコートを被せる。
 手際がものすごく良かったから、僕は思わず見とれてしまった。

 視力も触覚も正常になった僕だけれど、あんなに早くボタンを留めることはできないし、襟元のクラヴァットだって、巻くときはいつもユーリ様が手伝ってくれている。

 しかもドミニクさんは着付けがただ早いだけじゃなかった。すごくきれいなのだ。

「……すごい」

 こころの声が、つい口から洩れてしまった。僕のつぶやきを耳にしたエミール様が、くすりと笑って、あっという間に正装の出で立ちに変わったトルソを指さす。

「ユーリ様はどんな服でも完璧に着こなされるので、もうすこし派手でも良かったのですが、今回の主役はリヒトの飾緒なので、コートの色味は濃い紫に抑えました。ほら、リヒト。あれがあなたの作った飾緒ですよ」

 エミール様の声に誘われるようにドミニクさんの手元を見ると、彼は箱の中から取り出した細長い紐を、コートの胸元へと飾っているところだった。

 ユーリ様の髪と同じ、金色の飾緒。ところどころにユーリ様の瞳の色の宝石を編みこんだ、僕の編んだ、飾緒。

 僕は……僕はそれを食い入るように見つめて……。
 衝動的に立ち上がり、ドミニクさんの手に飛びついた。

「わっ!」

 驚いたドミニクさんの体が、トルソにぶつかる。
 トルソは大きく揺れたけれど、咄嗟にテオバルドさんとドミニクさんが支えたおかげで倒れたりはしなかった。

 僕は飾緒を束ねて、両手でぎゅっと握り締めた。

「……リヒト?」

 僕の突然の行動に、エミール様が戸惑ったように声を掛けてきた。

「どうしました?」

 問われて、僕はうつむいた。
 手の中の飾緒に視線を落とす。

 ユーリ様のために仕立てられた服に飾られた、僕の編んだ飾緒。

 それがあまりに……あまりに、みすぼらしくて。

 コートに刻まれたこまかで繊細な刺繍や、上質な生地の中で、僕の飾緒は明らかに浮いていて。

 こんなものをユーリ様に差し上げようとしていたのかと思うと、恥ずかしくて仕方なかった。

 目が見えるようになっていて良かった、と僕は噛み締めるようにして思った。

 目が見えて良かった。
 僕の視界がぼやけたままだったら、僕の飾緒がこんなに不格好だと気づけなかった。網目がこんなにガタガタで……みっともないものをそのままユーリ様に、僕が作りました、と言ってプレゼントしていただろう。

 ユーリ様はおやさしいから、きっと、こんな不出来なものでも身に着けてくれてお城に行ってくれたかもしれない。

 僕は……ユーリ様に恥をかかせるところだったのだ。

 どうしよう。恥ずかしい。恥ずかしくて顔を上げることができない。

「リヒト?」

 エミール様がそっと、僕の腕に触れてきた。僕はビクっと肩を揺らして、うつむいたまま、口を開いた。

「僕……僕、作りなおしたいです」
「え?」
「もう一度、飾緒を作りなおしたいです。目も見えるし、触った感触もわかるようになりました。だから、もっと、今度はもっと……」

 もうちょっとマシなものが、編めるのではないか、と。

 訴えている内に涙が出てきて、僕はなんども声を詰まらせた。
 頑張って泣くのをこらえようと思うのに、まばたきの度に涙がぼろぼろと零れてしまう。

「リヒト。それはあなたが、不自由ながらも精一杯作った、努力の結晶ですよ。形がすべてじゃありません。あのときのあなたがそれを作った。その結果がすべてです」

 エミール様がやさしく僕を慰めてくれた。

「ユーリ様は絶対お喜びになります」
 断言するエミール様に、
「そうです、絶対にお喜びになりますよ!」
 とテオさんも声をかぶせてきた。

 僕はべそべそと泣きながら、飾緒を握った手の甲で目をこすり、首を横に振った。

「僕、作りなおします。こんなのじゃなくて、もっと、ユーリ様に差し上げても恥ずかしくない飾緒を編みます」
「リヒト……」

 途方に暮れたように、エミール様が僕の名を呼ぶ。
 困らせていることはわかっていた。
 僕が飾緒を編みなおすということは、エミール様のお時間も奪ってしまうということだ。

 僕は首を振りながら、
「今度はひとりで編めます。目が見えるから、ひとりでできます」
 だからエミール様の手を煩わせることはないと伝えたら、エミール様がすこし眉を寄せて、小さく吐息した。

「リヒト。オレはそういう心配をしてるんじゃないんです。あなたが編みなおしたいと言うならオレは反対しません。ですが……その飾緒はどうしますか?」

 飴色の瞳が僕を映して、しずかに瞬く。

 僕は絨毯の上に視線を彷徨わせ、涙で滲む視界に、部屋の隅にあった屑籠を捉えた。

 唇を噛んで、漏れそうになる泣き声をこらえて、無言で歩く。
 そして、屑籠の上で、こぶしの形に握っていた手を開いた。

 トス……と小さな音を立てて、飾緒が屑籠の中に落ちた。

 不格好で、みっともない網目の飾緒。
 まるで僕のようだ、と思う。
 匂いのわからない不完全なオメガの僕のよう。

 願掛けをしよう。ふとその考えが頭をよぎった。
 もう一度、今度はちゃんときれいな飾緒を編んで……願掛けをするのだ。僕の嗅覚が治りますように、と。

 そういえば僕はまだ神様の声を聞くことはできるのかな。
 耳は、色んな音を拾えるようになったけれど。
 お祈りをすれば神様は、僕に話しかけてくれるだろうか。

 僕は……僕は、まだ、ユーリ様にもエミール様にも、自分がハーゼだと言い出せないでいる。
 僕がそれを隠しているから、神様は怒ってしまったのだろうか。
 信者のひとたちは。教皇様は。デァモント様は。僕を、ゆるしてくれるのだろうか……。

「リヒト」

 不意に肩を掴まれて、僕は驚いて振り向いた。
 エミール様がかなしげな表情で、僕を見下ろしている。

 なぜ、エミール様がそんな顔をするのだろう。

 このひとにはわからない。

 完璧なオメガであるエミール様には。
 僕の気持ちなんて、わからないのに。

 僕の胸にまたモヤモヤが広がって、今度は上手くそれを振り払えずに、エミール様の視線から逃げるように僕は屑籠へと視線をうつむけた。



  
 
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