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変化

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 ロンバードがわざとらしい溜め息を吐き出す。

「殿下、ユリウス殿下、差し出がましいようですが」
「差し出がましいと思うならなにも言うな」
「いやいや、俺が黙ったら誰もあんたに物申せないでしょうが。それともグレタさんを呼んできましょうかね」

 グレタの名を聞いて、ユリウスの眉間にしわが寄る。
 元乳母を出せばユリウスが折れるとでも思っているのか。側近の浅はかな発言を、ユリウスは鼻で笑い飛ばした。

「グレタが来ても僕の答えは同じだよ。いままで通りでいい」
「殿下~。リヒト様の自立の機会を奪うつもりですか」

 ロンバードの野太い声に、リヒトがぴくりと肩を揺らした。
 耳が聞こえるようになったのも考えものだ。周囲の雑音まで律儀に拾ってしまうのだから。

 ユリウスはリヒトのこめかみに唇を寄せ、ちゅっとキスを落とす。

「リヒト、大丈夫。僕もきみも、なにも変わらないよ」
「でも……あの、僕が、ユーリ様に甘えすぎだってお話ですよね?」
「違う違う。あんな無粋な大男の言うことなんて真に受けなくていいんだよ。さぁ、夕食の前にお風呂に入ろうか。リヒト、お風呂はとても気持ちいいんだよ。湯に浸かったらびっくりしちゃうかな」

 ユリウスはやわらかな声でリヒトに話しかけながら、リヒトを抱っこしたままで歩き出した。
 背後では頭を抱えたロンバードが、侍女に湯殿の支度を言づけるようテオバルドへ指示を出している。
 ロンバード自身はユリウスの後をついてきていたが、彼はもうなにも言わなかった。ユリウスが聞く耳を持たないことがわかったのだろう。

 抱っこで運ばれることに慣れているリヒトは、ユリウスの肩に手を回して、大人しく揺られている。
 途中、ユリウスの髪や頬を触っては、
「すごい……」
 とその感触をつたない言葉で喜ぶものだから、ユリウスは悶えそうになるのを必死で我慢しなければならなかった。



 リヒトの自立、というものをユリウスはあまり考えたことがない。
 死にかけだった子どもを山で拾ったときから、食事も、入浴も、排泄も、着替えも、生活のほとんどすべてを手伝ってきたのだ。
 それをしない自分、というものを想像することもできないし、この先も当たり前のようにリヒトに手をかけていくものだと思っていた。

 しかし、である。
 ここへきて予想外の事態が起こった。

 いつものようにリヒトをお風呂へ入れてあげようとしたときのことだ。
 触覚が戻って初めての入浴である。リヒトが胸をドキドキと高揚させていることは、ユリウスにも伝わってきていた。

 リヒトの服を脱がせ、首輪を外す。自分は濡れても構わないシャツとズボンに着替えた。ユリウスが裸にならないのは、リヒトの匂いでうっかり欲情してしまったときに、昂りを隠せるようにするためだ。

 けれど五感の弱いリヒトの入浴は、常に危険と隣り合わせで、これまでは煩悩を抱く隙間などありはしなかった。

 濡れた床で滑らないように、湯でやけどしないように、泡が目に入らないように、浸かりすぎてのぼせたりしないように、常に気を張っていなければならなかったし、全身に傷やあざなどができていないかなど観察することが山のようにあったからだ。

 それは耳が聞こえるようになっても、目が見えるようになっても変わらなかったし、他の感覚が戻っても同じだろうと思っていた。
 だからユリウスは特に心構えもなく、リヒトを浴室に椅子に座らせて、いつものように風呂の手伝いを行なった。

 まずは大きなたらいに張った湯を、リヒトの足元に置く。その中にそうっと小さな足を潜らせると、リヒトが「ひゃっ」と足を引いた。

「痛いですっ」
「リヒト、大丈夫。足を貸して」

 笑いながら踵を引き寄せ、もう一度ゆっくりと足を湯につけた。

「ゆ、ユーリ様、痛いです」
「リヒト、これは痛いんじゃなくて、温かいんだよ」
「う……でも、じんじんします。ユーリ様の体温と全然違います」
「お湯は体温よりも高いからね。ほら、リヒト、力を抜いて。気持ちいいね」

 パシャリ、と膝下まで湯をかけて、ついでのようにふくらはぎを両手で揉み込む。リヒトがひくりと震えた。それから、ふぅ、と口から息を吐き、瞼を閉じる。

「ユーリ様の手……」
「そう、僕の手がきみの足にお湯をかけてるんだよ」
「ユーリさま」

 囁きの音で、リヒトがユリウスを呼んだ。

「ん?」

 屈んだ姿勢のままで見上げると、リヒトがじわりと微笑んだ。

「きもちいいです」

 仄かに赤い唇が、うふふとほころぶ。その顔に、ユリウスは見惚れた。

 皮膚で覚える感覚と、リヒトの感情が同期して、寸分の乖離もなく表情にあらわれる。それが触覚に乏しかった頃よりも活き活きと鮮やかな笑顔に見えて、ユリウスは息を飲んだ。

 胸の奥に込み上げてくる衝動があった。
 それを無理やりに飲み込んで、リヒトの顔から視線を引きはがす。

「リヒト、頭を洗うから下を向いて」

 ユリウスは立ち上がり、手桶で湯を汲んでうつむいたリヒトの銀糸の髪を濡らした。

「ひゃぁっ」

 リヒトの肩が跳ねた。その反応が可愛くて、喉奥で笑いながらユリウスはいつも通りにリヒトの髪を洗った。
 泡が目に入らないように、と昔ユリウスが教えた通りに、リヒトは両手で一生懸命顔を覆っている。その仕草はいつも通りなのに、湯をかけるたびに、頭皮を揉み込むたびに体を震わせる反応が加わるだけで、まるで違う人物を相手にしているようで、ユリウスは奇妙な感覚を味わった。

 うつむいているリヒトの、白いうなじ。つい、目線がそこへ引き寄せられる。
 細く、頼りない首筋に、濡れた銀糸の髪が波打つように貼り付いている。

 無意識に喉が鳴った。その音でユリウスは我に返り、泡の立つ髪を湯で流した。

 頭を洗い終えると、乾いたタオルで水気を拭い、洗身用のタオルに石鹸をこすりつける。ユリウスの手元でもこもこと泡ができてゆく様を、リヒトが見つめている。目が見えるようになって以降、彼は石鹸の泡がお気に入りなのだ。

「触ってもいいですか?」

 おずおずと尋ねてくるリヒトが可愛くて、ユリウスはタオルを握って泡を絞り出すと、それをてのひらに乗せてリヒトへと差し出した。
 リヒトが指で泡をつついた。

「どう?」

 泡の感触はどうかと尋ねたら、リヒトが眉をしかめて首をことんと傾げる。

「よくわかりません」
「あはは。泡だしね。そんなに手触りはないよね。でもこうやって体を洗ったら」

 ユリウスが泡の乗ったてのひらで、リヒトの肩から腕までを撫でた。

「わぁっ!」

 リヒトの短い悲鳴が風呂場に響く。ふわっとしているのに、ぬるっとする。そんな感触に驚いたのだろう。
 まだ皮膚感覚に慣れていない、新鮮で過敏な反応を見せるリヒトが可愛いやらいとしいやらで、ユリウスはリヒトの背や脇腹をくすぐるように泡を広げていった。

 悲鳴と、笑い声。リヒトが体を捩りながら、交互に声をあげる。

「ゆ、ユーリ様っ、ふ、ふぁっ、あっ、あははっ」
「昔のきみは、肌もものすごく弱かったから、僕はこうやって手で洗ってたんだよ」
「ぼく、あっ、ひゃんっ、こ、こんなに、もぞもぞするなんて、思ってなかった、ですっ」
「それはくすぐったいっていうんだよ。ほら、ここも」
「ふぁっ、はっ、あ、あははっ、だ、だめです、ゆぅりさまっ、そ、そこっ、あっ、ああっ」

 腰から脇にかけて、つーっと泡のついた指で撫で上げると、リヒトの喉から漏れる音が高くなった。

 ユリウスはハッとして手を引いた。

 リヒトが笑いすぎて息を乱している。頬がほんのりと紅潮していた。洗い髪がまとわりつく、華奢な首筋。そこから浮き出た鎖骨と、泡のついた乳首。
 椅子に座っているリヒトの膝は内側に寄せられていて、彼のいとけない形の性器が見えた。
 
  
 
 
  
 
  
  
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