上 下
93 / 184
光あれ

11

しおりを挟む
 いいと言われたものを拒む道理もなく、ユリウスはロンバードへ目配せをした。
 ロンバードとエーリッヒが数個の鉢を回収し、布で包んで馬へと運んで行った。

 残ったユリウスとクラウスを女が手招く。

「お茶でもいかがかしら」

 誘われるまま、ユリウスたちは温室を出て、屋敷へと戻った。途中、エーリッヒに鉢の運搬を任せたロンバードが合流する。

 女は食堂と思しき部屋へ入り、椅子を勧めてきた。
 室内にはほかに三人、銀髪の少女たちの姿があった。

 長方形のテーブルの隅っこに、彼女たちは椅子を寄せ合うようにして座っている。その少女たちから一番離れた場所にクラウスが座り、ユリウスもその隣に腰を下ろした。ロンバードは立ったまま背後に控えた。

 女が一度部屋の奥へと消え、やがて手に丸いトレイを持って戻ってくる。
 トレイには複数のカップと、カバーのかかったティーポットが置かれていた。

 テーブルの上のそれに少女のひとりが手を伸ばそうとするのを、
「まだですよ」
 と女が止める。
 はぁい、と少女が小声で答えた。
 そうしているとふつうの母子のやりとりに見えて、ユリウスは複雑な気持ちになった。

 この女は、リヒトの母親かもしれない存在で。教皇ヨハネスのつがいで。そして、この少女たちもいずれは、おのれの兄かもしれぬ新たな教皇に、子を産むための道具として扱われるかもしれないのだ。

「ずいぶんと良いカップをお使いですね」

 ユリウスは女の手元を眺めながら、話しかけた。
 女が首を傾げ、そうですか? と応じる。
 茶器だけではない。室内の家具や、小脇にあるカラフルなランプ、女や子どもが身につけている衣類、それらすべては高級品と言って差し支えないものばかりで占められていた。

 一流のものを見慣れているユリウスをして、金がかかってる、と思わせるしつらえだが、女はその価値をわかっていないような素振りで、カチャカチャと音を立ててカップを並べていった。

 改めて見てみればこの屋敷も、華美でこそないが金をかけた造りだ。
 女たちが金銭をどのように得ているのか、と考えたとき、その出所はひとつしかありえなかった。
 教皇、ヨハネス。
 あの男がそれを女たちに与えたのだろう。
 
「罪とは、なんでしょう」

 お茶の支度をする女へと、ユリウスはしずかに問いかけた。

「先日あなたが言った、教皇の罪とはなんでしょうか」
「ユーリ。子どもの前だ。やめなさい」

 クラウスが隣から口を挟んでくる。
 女がうふふと笑った。

「つみ。そうね。わたしくたちは全員、それを知っています。もちろん、この子たちも」

 女がひとりの少女の銀髪を白い手で撫でた。
 少女は目を細め、
「大地の神様はきらい」
 と小さく呟いた。

「大地の神……教皇ヨハネスのことですか」
「神話の話ですわ」

 微笑とともに、女がそう答えた。しかしそれ以上の説明はするつもりがないようで、女は優雅に手を動かして、卓上にカップを並べていった。

 ティーポットを覆うカバーを、女の細い指が摘まみ上げた。
 現れたのは透明なガラスでできた、丸い形のポットだった。

 湯で満たされた中に、黄色い花が咲いている。

 花びらの色が溶けだしたのだろうか。湯は琥珀色に染まっていた。
 女がポットを手にとり、ゆっくりと揺らした。甘い匂いが立ち上る。

 女の動きに合わせて、湯の中で幾重にも広がった花びらが、幻想的に揺らめいた。まるで満月を閉じ込めたようだ。ユリウスは黄色い正円の花を見ながら、そう思った。

「これは、あの温室の植物の花を乾燥させて作った、花茶ですわ。シロップを入れてお召し上がりくださいませ」

 手ずから注いだ花茶を、ユリウスとクラウス、そしてロンバードの分も配った女は、シロップの入った小瓶も卓上へと置いた。
 客人の分を用意してから、女は自分たちのカップにもそれをいでゆく。
 少女がシロップをたっぷりと入れて銀のスプーンでくるくると掻き混ぜると、ためらいなく口をつけた。
 女も上品な仕草でそれを飲んだ。

「飲まんでくださいよ」

 背後からロンバードがこっそり囁いてくる。
 得体の知れないものを口に入れるな、という側近の忠告に、ユリウスはまばたきで応じた。
 リゼルという植物の詳細もわかっていないのに、その花の成分が溶けたお茶を飲む気にはなれない。

 ユリウスたちが手を出さないのは気にならないのか、女たちはそれぞれのカップを早々に空にしていた。

「これがわたくしたちにゆるされた、ほんのささやかな娯楽ですわ」

 女がカップに新たに茶を注ぐ。
 少女はすぐにそれへと手を伸ばして、またシロップを混ぜてから美味しそうにこくこくと喉を鳴らして飲み干した。

 うふふ、と女が微笑んだ。
 少女も笑っていた。
 きゃらきゃらと、鈴の鳴るような声が部屋に染み渡るように響いていた。

 室内には、花茶の甘い匂いが満ちている。
 湯のなくなったガラスのポットの内側では、黄色い花がへしゃげて、底面にべたりと張り付いていた。

 ユリウスは女たちの笑い声を聞きながら、無言でその花を見つめていた。



 女の屋敷での経緯を話し終えたユリウスは、そこでふぅと息を吐いてすっかり冷めてしまった紅茶を飲み干した。
 テオバルドがしきりに首を捻りながら、
「なんというか、その女も薄気味が悪いですね」
 と忌憚のない感想を漏らした。

 教皇が捕縛されたことにも、ユリウスが唐突に尋ねてきたことにも動じず、抵抗することもなくリゼルの鉢を手放した女。
 浮世離れしたその様子はたしかに薄気味が悪かった。

「そもそも、その神話ってのはなんなんですか?」

 侍従に改めて問われて、そうかテオとエミール殿は知らないのか、とユリウスは思い至る。
 ユリウスが長兄へと目を向けると、マリウスはおのれの手元にあった本を、テオバルドの前に滑らせた。
 テオバルドが恐縮しながらそれを手に取る。
 エミールも身を乗り出してテオバルドの持つ本を見た。

「それは?」
「女の屋敷を出るときに、子どもが僕にくれたものです。中身は絵本でした。また少し本題から外れてしまいますが、かいつまんで話しますね」
 
 ユリウスはかつて、亡命者ヤンスから聞き取ったデァモントに伝わる神話の内容を、説明した。

 月神デァモントを月に還すまいと、デァモントからぎょくを奪った、大地の神。
 その大地の神からからくも逃げおおせた女神は、玉を探す道中で一羽のうさぎと出会う。
 そのうさぎは女神のためにとおのれを犠牲にして、玉を取り戻す。
 女神はうさぎにハーゼという名を与え、神の眷属としてその魂を月へと連れ還った。
 
 ユリウスの話す速度に合わせて、テオバルドが卓上に置いた絵本のページをめくってゆく。

 最後の絵には、女神の腕に抱かれた白いうさぎが描かれていた。
 デァモントは偶像崇拝を禁じているため、絵本に女神自身の顔など詳細な映像はなかった。

「古来より語り継がれる神話の類には、実際の出来事をもとに作られたものもあると聞きます」

 ユリウスは絵本の中のうさぎを指先でひと撫でし、
「これは僕の憶測ですが」
 と前置きをして、自身の解釈を述べた。

「神という背景を取り払って見てみると、この神話の登場人物は、三人。男と、女と、ハーゼです」
 

 ユリウスなりにこの話をかみ砕いてみると、次の仮説が成り立った。

 遠い場所(月)から度々この地を訪れる女(月神)に一目惚れをした男(大地の神)が居た。
 男は女を迎えにきた従者(月からの雲)を追い払い、女を囲い込む。
 女はなんとか男の元から逃れたが、その時にはぎょくを奪われていた。
 女は玉を探す旅に出る。その先で出会ったのがハーゼだ。
 そして、ハーゼのいのちと引き換えに、玉は女の手元へと戻る。

 では、玉とはなにか。

 ユリウスはこれを、女の子ども・・・・・ではないかと考えた。
 
 男に捕らえられたとき、女はすでに妊娠していた。或いは幼子を連れていた。
 男は女の子どもをいずこかへと捨てた。
 女は子どもが居なければ、おのれが住んでいた土地へ戻ることができない。それは、子どもを置いて自分だけ帰国はできないという母の気持ちからくる理由だったのか、それとも女の配偶者が土地の有力者でその利権がらみの理由があったのか。はたまたまったくべつの理由だったのかはわからない。

 だが、いずれにせよ女は国へ帰るために子どもを探すための旅へ出て、ハーゼと出会う。

 ハーゼは、捨てられたはずの女の子どもだったのかもしれない。
 なんとか生き延びて、長じてから母と再会できたのかもしれない。

 ハーゼは女がおのれの母だと知っていたのだろうか。
 献身の象徴ともされるうさぎは、女をたすけ、女に尽くし、やがて落命する。

 神話では、女神の飢えを満たすため自ら火に飛び込んだとも、禽獣に自らを食われることで獣の腹から玉を取り戻したとも語られているが、どの逸話も苦境に遭遇した女を救うためにいのちを落とすという結末だ。

 そしてハーゼと引き換えに、女には再び玉が戻る。
 つまり、女はまた妊娠する。
 
 女を苦境に陥れたのは、大地の神とされる男だ。

 男が、女を庇ったハーゼを殺し、おのれの種を女に注ぎ込んだのだとすると。

 女から帰るべき場所を奪い、子どもを奪い、無理やり男の元へ縛り付けたそれこそが・・・・・、大地の神が犯した罪なのである。

 
 
 
 



 
 
 
しおりを挟む
感想 259

あなたにおすすめの小説

初心者オメガは執着アルファの腕のなか

深嶋
BL
自分がベータであることを信じて疑わずに生きてきた圭人は、見知らぬアルファに声をかけられたことがきっかけとなり、二次性の再検査をすることに。その結果、自身が本当はオメガであったと知り、愕然とする。 オメガだと判明したことで否応なく変化していく日常に圭人は戸惑い、悩み、葛藤する日々。そんな圭人の前に、「運命の番」を自称するアルファの男が再び現れて……。 オメガとして未成熟な大学生の圭人と、圭人を番にしたい社会人アルファの男が、ゆっくりと愛を深めていきます。 穏やかさに滲む執着愛。望まぬ幸運に恵まれた主人公が、悩みながらも運命の出会いに向き合っていくお話です。本編、攻め編ともに完結済。

【完結】幼馴染から離れたい。

June
BL
隣に立つのは運命の番なんだ。 βの谷口優希にはαである幼馴染の伊賀崎朔がいる。だが、ある日の出来事をきっかけに、幼馴染以上に大切な存在だったのだと気づいてしまう。 番外編 伊賀崎朔視点もあります。 (12月:改正版)

トップアイドルα様は平凡βを運命にする

新羽梅衣
BL
ありきたりなベータらしい人生を送ってきた平凡な大学生・春崎陽は深夜のコンビニでアルバイトをしている。 ある夜、コンビニに訪れた男と目が合った瞬間、まるで炭酸が弾けるような胸の高鳴りを感じてしまう。どこかで見たことのある彼はトップアイドル・sui(深山翠)だった。 翠と陽の距離は急接近するが、ふたりはアルファとベータ。翠が運命の番に憧れて相手を探すために芸能界に入ったと知った陽は、どう足掻いても番にはなれない関係に思い悩む。そんなとき、翠のマネージャーに声をかけられた陽はある決心をする。 運命の番を探すトップアイドルα×自分に自信がない平凡βの切ない恋のお話。

【書籍化確定、完結】私だけが知らない

綾雅(要らない悪役令嬢1/7発売)
ファンタジー
書籍化確定です。詳細はしばらくお待ちください(o´-ω-)o)ペコッ 目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。 優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。 やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。 記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2024/12/26……書籍化確定、公表 2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位 2023/12/19……番外編完結 2023/12/11……本編完結(番外編、12/12) 2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位 2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」 2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位 2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位 2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位 2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位 2023/08/14……連載開始

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

【完結】伴侶がいるので、溺愛ご遠慮いたします

  *  
BL
3歳のノィユが、カビの生えてないご飯を求めて結ばれることになったのは、北の最果ての領主のおじいちゃん……え、おじいちゃん……!? しあわせの絶頂にいるのを知らない王子たちが吃驚して憐れんで溺愛してくれそうなのですが、結構です! めちゃくちゃかっこよくて可愛い伴侶がいますので! 本編完結しました! 時々おまけを更新しています。

目が覚めたら囲まれてました

るんぱっぱ
BL
燈和(トウワ)は、いつも独りぼっちだった。 燈和の母は愛人で、すでに亡くなっている。愛人の子として虐げられてきた燈和は、ある日家から飛び出し街へ。でも、そこで不良とぶつかりボコボコにされてしまう。 そして、目が覚めると、3人の男が燈和を囲んでいて…話を聞くと、チカという男が燈和を拾ってくれたらしい。 チカに気に入られた燈和は3人と共に行動するようになる。 不思議な3人は、闇医者、若頭、ハッカー、と異色な人達で! 独りぼっちだった燈和が非日常な幸せを勝ち取る話。

僕の番

結城れい
BL
白石湊(しらいし みなと)は、大学生のΩだ。αの番がいて同棲までしている。最近湊は、番である森颯真(もり そうま)の衣服を集めることがやめられない。気づかれないように少しずつ集めていくが―― ※他サイトにも掲載

処理中です...