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アルファは神を殺す

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 足早に中央教会を出ると、木製の大きな門扉の前で子どもを抱いたゲルトが待っていた。
 明け方前の空気は冷えて、肌がひりつく。薄着の子どもに外套をかけてやならければ、とユリウスはゲルトへ歩み寄り……その顔を見てぎょっとした。
 ゲルトの双眸から滂沱の涙が流れ、頬を濡らしている。

 どうした、と問う前にゲルトが肩を大きく震わせて口を開いた。

「で、殿下。ユリウス殿下。神は……神は、居られないですか。居ないのですか」

 胸を喘がせ、苦しげな呼吸を挟んで、聞き取りにくいほどに掠れた声で彼はユリウスへと尋ねた。
 ゲルトの腕の中で、さすがに目覚めていた銀髪の子どもが、きょろきょろと周囲を伺っている。その痩せた手足を見つめながら、ユリウスはしずかに答えた。
 
「少なくとも、ここには居ない。この教団に居たのは神ではなく、小手先の奇跡で信者を騙していたペテン師だけだ」

 状況が把握ができずにきょとんとした様子の子どもを、ユリウスはゲルトの手からおのれの方へと抱き寄せた。
 抵抗もなく、軽い体はユリウスの手に収まった。

 二歳で教団に来たというから、この子は恐らく十歳程度だろう。かつてのリヒトよりは少し大きいだろうか。それでもサーリーク王国の同年代の子どもと比べると、なんと小さく、なんと細い体だ。

 自分の外套を脱ごうとしたユリウスを遮って、ロンバードが上着を寄越してきた。ごわごわとした生地は子どもの肌には硬いかもしれないが、寒いよりはマシだろう。
 ユリウスは大きな上着で子どもをすっぽりとくるんだ。

 唇から白い息を吐いているのに、子どもは寒いとも暖かいとも言わなかった。触覚が阻害されているからだ。そんなところもリヒトと同じで、ユリウスは子どもが凍えてしまわないようしっかりと抱きしめた。

 頬に流れる涙を拭うこともせず、ゲルトは茫然と子どもを見つめ、また尋ねた。

「この御方は……ハーゼ様ではありませんか」
「違う。この子どもは神の眷属の生まれ変わりなんかじゃない。リヒトが生きていることを、きみは知っているだろう」 
「では……では、この御方は……この御方は、ただの、ただの、人間の子どもなのですか」
「そうだ」
「では! では、十二年前……私が……私が……」

 幾度も息を吸いながら、ゲルトは声を振り絞った。

「私が、あやめようとしたのは……幾度でも甦ることのできる神の眷属ではなくて……ただの子どもだったということですかっ! 私は、人間の子どもを殺そうとしたのですか……ただの、人間の子どもを……」

 慟哭とともに頭を抱え、ゲルトが泣き崩れた。

 おのれが犯そうとした罪をようやく理解した男の、悲痛な叫びが冬の闇に吸い込まれてゆく。

 ユリウスは子どもを抱きかかえたまま、地面に伏して泣くゲルトの前に片膝をついた。
 わななく背をそっと撫でてやると、ユリウスの動作を真似したのだろうか、子どもの細い手が伸びて、ゲルトの頭に触れた。

「お祈りしましょうか? 僕がお祈りすれば、信者のひとが喜んでくれると聞きました。お祈りしましょうか?」

 ゲルトの痛切な泣き声を鈍い聴覚で感じ取った子どもはそう言って、両の指を組み合わせた。
 その小さな手を、ゲルトのてのひらが覆った。

「いいえ! いいえ! しなくていいのです! もう、祈らなくていいのですっ!」

 激しく首を横に振って。ゲルトは身を震わせて哀哭した。
 子どもは金色の目をぱちぱちと瞬かせ、どうすれば良いのかわからずにただ首を傾げている。
 ゲルトはしばらく泣き続けた。
 ユリウスは彼が落ち着くまで、そのままの姿勢で待った。腕の中の子どもは時折身じろぎをする程度で、大人しくしていた。

 やがてゲルトの呼吸が落ち着いてきたのを確認して、ユリウスは彼の背を叩き立ち上がった。
 子どもは慣れた様子でユリウスの肩に手を回してきた。そういえばリヒトも初めから、こうやって抱っこで運ばれることに慣れていたな、とユリウスは昔を思い出して、喉奥が苦しくなった。

 僕に奇跡が起こせるなら、過去へと時間を巻き戻して、リヒトを救ってあげたい。

 だがそんな能力はユリウスにはない。
 自分にできることなど、たかが知れている。
 アルファというのは無力だなぁ、とユリウスは溜め息を噛み殺した。
 

 ふらつきながら立ち上がったゲルトが、袖で目元を拭い、顔を上げてユリウスを見た。
 まだ濡れている黒い瞳に、ユリウスを映して。
 ゲルトは深々と頭を下げた。

「殿下。あなたは、私の中に居た神を殺してくれました。ユリウス殿下。あなたの言葉で、偽物の神は死んだ。私はこれから真実を受け入れ、おのれの罪を償います。殿下、ありがとうございました。どうぞ私を罰してください」
 
 首を差し出すようにしずかに礼をしたゲルトに、ユリウスは小さく鼻を鳴らした。

 リヒトを殺そうとしたこの男は、ゆるしがたい。
 信じていた教皇に裏切られ、神を奪われ、打ちのめされた彼は、深い虚脱に一気に老け込んだように見えた。しかしそれを乗り越えて、ゲルトはおのれ自身と闘っている。
 これまで全霊をかけて崇めていた神と闘い、神は死んだと口にして、受け入れがたい真実をそれでも受け入れるべく、必死に闘っている。
 その男に対し、大人げなく死刑を言い渡すのは、さすがに憚られた。

 ロンバードがチラとこちらを見てくる。クラウスの視線も突き刺さってきた。
 ユリウスは大きなため息を吐き出し、銀髪の子どもをそっと下ろした。

「ゲルト」
「はい」
「きみの沙汰は、いまここで僕が決める」
「……はい」
「きみをリヒトには会わせない。謝罪もゆるさない。僕のオメガには金輪際、デァモントの信者は関わらせない」
「はい」

「おのれの罪を、一生をかけて償え」

 粛々と頷いていた男が、最後の言葉を聞いてハッと顔を上げた。

「殿下……それは」
「楽に死なせてはやらない。リヒトには会わせないけれど……そのぶん、この子をまもることであがなえ」
「はっ……はいっ」

 ゲルトが再び頭を下げようとする前に、ユリウスは子どもの薄く頼りない背をやわらかく押した。
 子どもがふらりと足を前に出した。
 バランスを崩して転倒する直前、ゲルトの腕がしっかりと子どもを支えた。

 子どもはゲルトを見上げ、
「ありがとうございます」
 と言って、少しの微笑を浮かべた。

 一度は乾いたはずのゲルトの黒い瞳から、また涙が溢れた。
 彼は子どもを抱き寄せ、何度も何度も頷いた。

「はい、はい、一生をかけて償います。申し訳ございません。申し訳ございませんでした……」

 むせび泣く男の頭越しに見える東の空が、白んできている。
 夜明けだ。

 ユリウスは上空を見上げ、白い息を吐いた。

 まだ太陽の姿はないが、遠くで馬のいななきがあがった。日の出とともになるべく目立つように動け、という騎士団長の命令を律儀にまもった副団長が、活動を開始したのだろう。
 ユリウスたちは中央教会を後にしているので、もはや陽動は必要なかったが、遺体の埋葬や炊き出しは行ったほうがいい。

「さすがハルク殿。仕事が早いですね」
「私の騎士団は皆優秀だ」

 感心して呟いたユリウスへと、クラウスが胸を張り、そのクラウスの言葉を聞いたハッシュとエーリッヒが誇らしげに笑った。

「さぁ、私たちは一度天幕へ戻ろう」

 次兄に促され、ユリウスはゲルトの背を軽く叩いた。
 ゲルトは泣き濡れた目でユリウスを見上げた。
 彼の黒い瞳にまだ弱弱しい太陽の欠片が映って、穏やかに滲んだ。 


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