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サーリーク王国のアルファたる者

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 それからはひどかった。
 長兄の駄々のこねかたがひどかった。

「弟たちだけを危険な任務につけて自分はふんぞり返って帰りを待つだけなんてできるか」
 から始まり、
「王とは王座に座ってるだけが仕事ではないのだ! たまには動かないと尻にかびが生える! おまえは兄の尻が黴ても構わないのか!」
 と謎の脅迫を交え、
「おまえたちばかりが小悪党を捕らえに行くなんて楽しいことをするのに、俺が留守番なんてひどいじゃないか!」
 そんな本音をこぼしてごねた。

 そんな兄をユリウスとクラウスは二人がかりで宥めた。
 マリウスには国に残ってぜひしてもらいたい仕事がある、国王が軽々に国を空けるものではない、騎士団や外交官は前線に出るのが仕事だが、国王は国の要、後方に控えてもらわないと困る、云々。

 しかし長兄は納得しない。
 そのうち宰相たちも参戦して、国王を引き留めるための説得を開始した。

 宰相のひとりが弁をろうするのに疲れ、
「こうなったら王后様に説得をしてもらいましょう」
 と口走った瞬間、ユリウスとクラウスは同時に制止の声を上げた。

「「それはダメだっ!」」

 この宰相はバカなのか、とユリウスは大変に失礼なことを考えながら、アマーリエ召喚を断固食い止めた。

 国王のきさき、アマーリエは四十を超えてなお、少女のような純真無垢さを宿している。
 お嬢様育ちの彼女は夫と子どもを愛することにかけては天下一品であったが、空気を読む、ということができない。
 そんな彼女をこの場に呼んだとしても、役に立つとは到底思えなかった。むしろ絶対に逆の結果となる。

 マリウスが異国の宗教団体に喧嘩を売りに行くと聞けば、
「まぁまぁ! あなたが暴れる姿が久しぶりに見られるのね! あらいけない。私もその場に居ないと見れないわ。そうだ子どもたちも連れていきましょう。お父様の雄姿を一緒に見てもらわないと!」
 とかなんとかはしゃいで、自分も国王に同行すると言い出すに違いない。

 ユリウスには浮世離れしたアマーリエがふわふわと笑う幻覚が見えた。クラウスにも見えたに違いない。
 ともかくこの場にアマーリエが加われば、場がさらに混沌とするだけだ。

 ユリウスは次兄と協力して、とにかくひたすらに兄の翻意を懇願した。
 一刻も早く出立しなければならないこんなときに、国王の説得に貴重な時間を費やしたのだった。

 そしてようやくマリウスが折れた。
 留守番致し方なし、と納得した。

 ユリウスは疲労困憊しつつ、長兄へと頭を下げた。クラウスも礼をとり、二人で退室しようとしたそのとき、マリウスが弟たちを呼び止めた。

「ユーリ。クラウスも、聞け。いいか、目的を忘れるなよ」

 改まった国王の声音に、二人は姿勢を正した。

「教団に対する要求は二つ。そうだったな、ユーリ」
「はい」
「おまえのオメガに金輪際関わらないこと、秘術とやらの詳細を開示すること」
「その通りです」
他のことは捨て置けよ・・・・・・・・・・
「……どういう意味でしょうか」

 長兄の言葉が意味するところが掴み切れず、ユリウスは眉をひそめた。

 マリウスが顎を撫で、小さく鼻を鳴らした。

「デァモント自体をどうにかしようと思うな、という意味だ。ユーリ、いいか、おまえたちが向かうのは数百年の歴史を刻んできた教団だ。淘汰されつくした信者たちで構成された場所なんだ」

 歴史の浅い宗教とは違う、とマリウスは忠告を口にした。

「たとえば我が国を見ろ。隣接する諸国とは友好的な関係を築き、小競り合いもない。だが、そうなったのはここ数十年のことだ。俺たちは互いに互いを監視している。またどこかが戦争を始めるのではないかと、いつも睨みを利かせている。だが、平和な世が百年、二百年続いたらどうだ」

 長兄の視線を受けて、ユリウスは答えた。

「警戒を解くかもしれないですね」
「三百年、四百年ではどうだ」
「それは……」
「警戒自体を忘れる。平和な世で育った親が、子にそれを教えないからだ。子どもはおのれの子どもにも教えない。平和は、そこにあって当たり前のものとなる。大変喜ばしいことだがな。平和はあって当然のものなのだ。そしてそれはデァモントでも同じことが言える。デァモントの民たちにとって信仰は、あって当然のものなのだ。神の存在は、彼らにとっては当たり前のものなのだ」

 月神デァモントを崇め、ハーゼの存在を信じている信者たち。
 その信者の集まりがデァモントという国に匹敵するほどの教団を作っている。

 デァモントで育つ子らは、生まれたときから月神デァモントについて教えられる。
 身の周りで起こる事象すべては、神の恩恵である。
 ハーゼに祈れば、その祈りは女神に届く。女神への信仰は魂の救済だ。肉体は朽ちようとも魂は神の国へ導かれるだろう。

 その考えが浸透しきっているのが、いまのデァモントだ。

 初期のころは、離脱者も出ただろう。
 死後の救済に疑問を覚え、現世でしあわせになりたいと願った者たちは離れていっただろう。

 合わない者は離れてゆく。信者たちは淘汰されてゆく。

 信仰心に揺らぎない者だけが教団に残り……その信者たちが信仰を子に教え、さらにその子どもたちが信仰を広めて……そうして連綿と築かれたのが、いまのデァモントなのだ。

「信者たちは、骨の髄まで信仰心を叩きこまれた連中だ。十余年前に亡命者が続出したことがむしろ異例だったんだろう。だが、いまもなお教団に残っている者たちは、筋金入りということだ。もう一度言うぞ、ユーリ」
「はい」
「おまえの行く先でどんな惨状があったとしても、教団をどうにかしよう・・・・・・・・・・とは思うなよ」
「……はい」

 ユリウスは長兄からの忠告を噛み締めるようにして胸に刻んだ。
 隣に立つ次兄も、神妙な表情をしていた。

 それからユリウスとクラウスは連れ立って謁見室を出ると、別室で代わる代わるに部下を呼んでこれからの段取りの指示や下準備を行った。

 時間がない。
 圧倒的に時間がない。

 クラウスと打ち合わせをしながら必要な書類を作成し、慌ただしく動き回っているうちに、出立の時刻が迫ってきていた。

 なんということだ! ユリウスは悲愴感を漂わせながら、最後の書類におのれのサインを入れた。

「兄上、できました」
「よし。俺たちも支度をしよう。俺の部屋へ来るといい。おまえの服も用意している」
「はい」

 ユリウスはうなだれるようにして頷いた。

 いまからリヒトの待つ別宮に駆け戻って、しばらく家を空けることになったと事情を説明する猶予など、もはや残されてはいなかった。
 自分はこのまま身支度をして、馬上のひととなるのだ。
 リヒトにひと言の挨拶もできないままに!
 伝言だけを残して!

 ひどい。ひどすぎる。
 なぜこんなに時間が足りなくなったのかと考えてみれば、あの駄々っ子な国王が原因としか思えない。
 長兄が無駄にごねたせいで、リヒトに会うというユリウスの貴重な時間がなくなったのだ。 

 クラウスと肩を並べて歩きながらユリウスは、沸々と湧いてくる怒りを抑え切れずに愚痴をこぼした。

 そう怒るな、とクラウスが宥めてくるけれど、クラウスとていとしのエミールとのお別れの時間はないはずだ。
 しかし彼は、兄への怒りをぶちまけるどころか、あれがマリウスの性格だからと兄の擁護に回る始末だ。

 ……怪しい。

 数日(長引けば数週間)もおのれのオメガと離れなければならないというのに、クラウスは平然としすぎている。

「クラウス兄上……もしかして、エミール殿をこっそりと騎士団に紛れさせようとか考えていませんよね?」

 ユリウスが半眼になって問いかけると、クラウスが目を丸くして、
「なるほど、その手があったか」
 と呟いた。
 それから端整な顔に苦笑を浮かべて、首を横に振る。

「馬鹿を言うな。むさ苦しい男たちの中にうつくしいエミールがどう混ざるというのだ。どうせ連れて行くなら馬車を仕立てるさ」
「仕立てたのですか」
「そんな暇があったと思うか?」
「いいえ」
「私ができたのはせいぜいが、エミールを王城へ呼ぶことだけだったよ」
「ずるいっ!」

 ユリウスは大声で叫んでいた。

「いつですかいつそんな姑息な真似をしたんですかっ! あっ、あれかっ。謁見室で侍従が入ってきたときですね!  なんでひとりでそういう真似をするんですかっ! 裏切りですよ兄上っ」

 次兄の手酷い裏切りを声高に罵っていると、クラウスがどうどうと両手を動かして、クールダウンを促してきた。

「ユーリ。声を落としなさい。ほら、使用人たちがこっちを気にしてる」
「裏切り者の兄上の言うことは聞きません」
「まったく……。おまえ、だいぶ強い抑制剤を飲んでるだろう」
「なんですか。僕のヒステリックが抑制剤の副作用とでも言いたいんですか」

 つけつけと言い返したユリウスに、クラウスが肩を竦めてそういう意味じゃないと否定した。

「うちの末弟にも困ったものだ。ほら、ユーリ」

 クラウスが顎を軽く動かして扉を示した。いつの間にかクラウスの部屋の前に到着していたようだった。

 ユリウスは怒りながらも、兄のために扉を開いて……その場で固まった。

 開けたドアの正面に、ちょこんと立っている人物が居る。

「え……」

 ユリウスはポカンと口を開けた。
 自分は幻を見ているのだろうか? 会いたい会いたいと思いすぎて、ついには幻覚を生み出してしまったのだろうか?

 だってこんなところに居るはずがない。
 しかしその幻は、恐ろしいほど可愛い声を発した。

「……ユーリ様」
「リヒトっ!」

 ユリウスはいとしいオメガの名を呼んで、恐る恐る室内に足を踏み入れた。

「エミールに感謝しろよ」

 クラウスが悪戯っぽく囁いて、ユリウスの肩をポンと叩いて笑った。  



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