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原罪

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 最初は右から二番目。
 次は五番目。
 その次は、一番目で、次は……。

 一生懸命記憶を辿って、目の前に並べられた様々な物の中から、ひとつを手にとっていく。

 指をさして数えてはいけない。
 まずは並んでいるすべての物に目を通して、それから「これです」と目当ての物を選ばなくてはならない。

 まだ幼いハーゼにとってそれは、非常に困難な作業だった。

 しかし失敗すれば折檻が待っている。

 怒っているときの母親はとても怖くて、冷たくて、ハーゼは折檻の時間がこの世で一番嫌いだった。

 けれど、言われたことがうまくできると、母親は惜しみなく褒めてくれる。
 彼女のやわらかな腕に抱かれて、偉いですね、と頭を撫でられる。それが気持ち良くて嬉しくて、ハーゼはもっと頑張ろうと思った。
 

 今日が本番ですよ、と母が言った。
 二歳の秋のことだった。
 月がきれいな夜だ。月神際という祭りが行われ、秋の豊穣を祝い、神の慈悲に感謝を捧げているのだと、白い石造りの建物の中で説明を受けた。

 小さなハーゼの手を引いて歩くのは、真っ白な装束に身を包んだ男だ。教皇様、と母が彼をそう呼んだ。

 ハーゼはそのまま、広々とした空間に連れていかれた。
 中央に大きな台があり、それを幾人もの黒装束の大人たちが囲んで立っていた。

 ハーゼは教皇に抱き上げられ、台がよく見える背の高い椅子に座らされた。少し怖くなって母を探した。首を捻って背後を見ると、そこに母が立っていた。
 彼女の方へ手を伸ばそうとしたら、あの、折檻をするときの冷たい表情を浮かべていたので、恐ろしくなってハーゼは顔を正面に戻した。
 
「これより、選定の儀を開始いたします」

 教皇がそう告げると同時に、しずしずと現れた女たちが、台の上に様々な形のカップを並べだした。

「この中から、一番好きなものを選んでくれるかな」

 やさしげな声で、教皇が促してくる。
 ハーゼはこくりと唾を飲み込んだ。
 これが『本番』なのだ、と理解した。

 まずは台の上に並んだものを見る。そして、最初は右から二番目。右、というは母親がなんどもつねった方。こっちが右です、間違えてはいけません、これが右ですよ!

 脳裏にこびりつく母の声に急かされるように、ハーゼは右から二番目のカップを手に取った。

 おお、とどよめきが起こった。

 いいことなのか悪いことなのかわからずに、不安になったハーゼだったが、隣に立つ教皇が満面の笑みを浮かべていたので勇気づけられた。

 台の上からカップが片付けられ、次に枕が並べられた。
 右から五番目を選ばなくてはならない。指をさして数えてはいけないと言い聞かせられていたから、慎重に、目だけで数を数えた。

 ハーゼが椅子から身を乗り出して、「これです」と五番目の枕を選ぶと、またどよめきが湧き起こる。

 品を変えて、それが幾度か繰り返された。
 失敗したらどうなるのだろう、という恐怖が、ハーゼの中にひたひたと忍び寄ってくる。

 また折檻が待っているのだろうか。
 けれど、ぜんぶを正しく選べたらそのときは母が褒めてくれるはずだ。偉いですね、と言ってくれるはずだ。

 ハーゼは悪い想像を振り払い、やさしい母の顔だけを思い浮かべながら、覚えた通りに数を数えて、品物を選び続けた。  
 最後のひとつを終えたとき、拍手喝采がハーゼを包んだ。

 教皇がハーゼを抱き上げ、皆に見えるように高々と掲げた。

「諸君らはハーゼ様が確かにこの世に転生したことの、目撃者となった。新たなハーゼ様に幸あれ」
「新たなハーゼ様に幸あれ!」

 黒装束たちの唱和が空気を揺らした。
 緊張から解き放たれたかのように、彼らは口々に話し始める。

「見たか、本当に先代様の品をひとつも間違えることなく選ばれていた!」
「母親はハーゼ様の死角に立っていた。誰もハーゼ様に合図など送っていなかった。ハーゼ様の魂は本当に転生されるだ」
「あの見事なおぐしを見ろ。本当に神々しい」
「まるで月のような金の瞳だ。デァモント様の祝福を受けておられる証拠だ」
「新たなハーゼ様が顕現されたということは、我々はまたデァモント様のお言葉を賜ることができるのだ。我々の祈りを、デァモント様へ届けていただくことができるのだ!」
「ハーゼ様。どうか我々を救いたまえ」
「どうか我々を救いたまえ」
「どうか我々を救いたまえ」

 黒装束たちの祈りが渦を巻くようにとどろぎ、ハーゼは恐ろしくなって身を捻った。
 しかし両脇の下をしっかりと支えている教皇の手はびくともせずに、ハーゼを掲げ続けていた。

 気づけば母親の姿はなくなっていた。

 ハーゼはそのまま、真っ白な部屋へ連れて行かれた。

「ハーゼ様。あなたを完全なるお姿にするために、初めにせねばならぬことがございます」

 教皇がそう言って、ハーゼの足元にかしずいた。
 ハーゼはそれよりも母のことが気になって、お母さんはどこですか、と尋ねた。
 教皇が眉を寄せ、「なんと憐れな」と呟いた。

「ひとの形を持って生まれたあなたは、かなしいことに世俗に穢れておられる。ハーゼ様、いまこそその穢れを払い、女神のうさぎハーゼとして我々の象徴となるのです」

 かけられた言葉の意味は、少しもわからなかった。
 母親が居なくなってしまったことしかわからなかった。

 ハーゼは泣いた。泣くといつも母に叱られたので、このときも声は殺して泣いた。

 ヒクヒクと肩を震わせて涙を流すハーゼの前に、とろりとした琥珀色の液体が差し出された。

「飲みなさい」

 教皇がそれを揺らして、ハーゼの口元へ器のふちをつけた。

「飲めばお母様に会えますよ」 

 続けられた言葉に飛びつくようにして、ハーゼは唇を開いた。

 生ぬるく、甘い液体が流れ込んでくる。
 喉が渇いていた、といまさらに気づいて、ハーゼはそれをすべて飲み干した。


 気づけばハーゼは眠りについていた。
 どれぐらい眠っていたのだろう。
 自分ではよくわからない。

 
 目を覚ますと、世界はひどくぼやけていた。
 物がよく見えない。
 ここはどこだろう。

 立ち上がろうとして、布団の上で転んだ。足裏の感覚がよくわからなかった。

「お目覚めですか」

 誰かの声がした。何重にも耳に膜が張っているかのように、音が遠かった。

 視界がけて顔がわからない。 
 誰だろう。誰だろう。

 混乱するハーゼへと、誰ともわからぬ男が話しかけてきた。


「ハーゼ様、民のために祈りましょう。それがあなたのお役目です」




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