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デァモント教

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 次兄クラウスの手引きで亡命者ヤンスとの面談を果たして以降、ユリウスは多忙を極めていた。
 というのもヤンスの証言の内容が非常に衝撃的で、彼の言葉が真実に基づいているかどうかを慎重に検分する必要があったからである。

 ヤンスの語る内容の虚実を計るには、他の亡命者との証言と照らし合わせなければならない。

 サーリーク王国内部で保護している亡命者のみならず、ユリウスは他国に保護されている者たちにも繋ぎをとり、周辺諸国と情報を共有しながらじわじわとデァモントのベールを引き剥がしている最中であった。

 使者を立て、ときには自ら隣国へ赴き、ユリウスはデァモントに関する委細をかき集めていった。
 そのためあちこち飛び回る羽目になったので、リヒトと過ごす時間をひねり出すことに苦慮した。

 朝夕、一日二回のリヒトの世話という名目の、おのれへのご褒美タイムは死守したが、エミールの初めての訪問時に同席することができなかったし、本日の『リヒト、初めての買い物』という記念すべき初体験に立ち会うことができないのは、本当に、ものすごく残念だった。

 今日の午後……あともう少しで、ユリウスの屋敷に行商人が来る。

 リヒトはそこでちゃんと欲しいものが見つかるだろうか。楽しい時間を過ごせるだろうか。
 ユリウスの心配は尽きない。

 可愛いオメガに、目の薬があるかと問われたとき、ユリウスは息が止まりそうなほど苦しくなった。
 リヒトの五感を治すような、そんな魔法の薬などこの世界のどこを探してもあるはずがない。

 リヒトがおのれの境遇を嘆いていることが、ユリウスにとってはかなしかった。
 目が見えにくくても、耳が聞こえにくくても、味がわかりにくくても、それらはリヒトの魅力を損なうものではない。
 それを教えてあげたくて、ユリウスは毎日愛を伝えるし、リヒトの世話をすることが自分の喜びだと全身で表現しているつもりだけれど……。

 まだ愛が足りないのかな、とユリウスは書類にペンを走らせながら考えた。

 足りないというのなら、もっともっと注ごう、と決意する。
 リヒトへの愛ならば、無尽蔵に持っている。

「よし、できた」

 ユリウスは万年筆のペン先を止め、最後に自身の署名を入れた。

 国王陛下……長兄マリウスへの報告書が、とりあえずこれで完成した。
 情報の漏れや不備はないか、とユリウスは作成した書状の、頭から目を通す。

  

 まずはヤンスの証言である。

 この男とは、騎士団が管理する医療施設で会った。
 黒い目と黒い髪の、ひょろりとした体躯の男だった。

 ユリウスはロンバードを帯同させていたが、ヤンスの隣にはクラウスがついていた。ヤンスは騎士団専用の医療施設で働いているため、立場としてはクラウスの部下扱いとなる。だから次兄の姿があっても不思議ではなかったが、こんな病室の一室に王弟殿下が二人も集うということは、ふつうではあり得なかった。

 ヤンスは早くも雰囲気に呑まれ、卒倒しそうな有様であった。
 ユリウスは彼の緊張をほぐすというよりも、早く本題に入りたくて口を開いた。

「ヤンス。これはあくまで僕の私的な面会だ。しかしきみの話の内容によっては然るべき場所へ報告をする。きみはこの国の客人だ。話したくないことは話さなくて良い。けれど僕としては、きみの知るすべてのことを教えてほしいと思っている」
「は、はい」
「単刀直入に聞こう。デァモント教とは、なんだ」

 ユリウスは椅子から少し身を乗り出し、正面に座る男へ尋ねた。

 ヤンスはごくりと喉を鳴らし、一度隣のクラウスへと視線を向けた。
 クラウスは頷くことはせずに、ただヤンスの意思に任せるとだけ告げた。

 ヤンスはもう一度生唾を飲み込むと、落ち着きなく周囲を見渡した。
 ベッドが四台ある他は、ユリウスたちが座る簡易な椅子があるだけの、殺風景な部屋である。窓にはカーテンが引かれており、入り口の扉も閉まっている。

 誰にも覗かれる心配はない、とようやく納得したのか、ヤンスが小さな声で話し始めた。 

「我々は、月神デァモント様を信教しています。……いや、して、いました」

 敢えて過去形に修正して、ヤンスがデァモント教について、おのれの知ることをゆっくりと言葉にしてゆく。
 

 デァモント教は、月神デァモントを信仰する宗教だ。

 月神デァモントは清貧と勤勉の神である。
 デァモント教に身を置く信者たちは、すべて神の教えに倣い、清貧と勤勉の名のもとに身を寄せ合って暮らしていた。

 生計はすべて、自給自足だ。牛を育て、稲や野菜を植え、森の木の実を集めた。

 そこで暮らす民たちはすべて平等であった。

 収穫したものはすべての信者に分け与えられ、おのれらで作った衣類や家具なども配られた。子どもが生まれたら皆で世話をし、年寄りが居れば皆で介護をした。
 彼らの周りで起こることはすべて、デァモントの恩恵であった。災害や流行病はやりやまいですらも、神がおのれらに課した試練とし、一丸となって乗り越えてきた。

 誰かが特別儲けるわけでもなく、誰かが特別貧しいわけでもない。

 清貧、勤勉、平等。
 それらがデァモント教の掲げる信条だった。

 デァモント教には、魂の救済、という教えがある。

 生きている間に徳をつみ、死した後に救われる、というものだ。

 魂は神の御許みもとへと招かれ、デァモントの祝福を受けて、次の世の幸福が約束される。

 民たちは万人に平等に訪れる死をしあわせなものにするため、現世をデァモントの教え通りにただ一生懸命生きるのだ。


 やがてデァモントは信者の数を増やし、広がりを見せた。
 神のおしえを民に説く宣教師、祈りの場である教会、そしてそれらを束ねる教皇が現れた。

 いつしかデァモント教はデァモント教団となり、教皇区を中心に山の中腹に居を構えることとなる。

 教皇区には中央教会と呼ばれる建物があり、そこでは教皇と教団の幹部らが生活していた。

 そして、もうひとり。


「中央教会で一番尊い御方は、教皇様ではありません。ハーゼ様です」

 ヤンスは冷や汗をかきながら頭を抱え、『ハーゼ』という名を口にした。
 呼吸がひどく乱れている。

 クラウスが彼の背を撫でようとするのを、ユリウスは眼差しだけで止めた。

 『これ』がデァモント教の中核だ、という確信があった。
 
「ハーゼ様とはなんだ」

 短く問えば、ヤンスが苦しげに喘いだ。

「その名は……教団以外の者に、知られてはならないのです。ハーゼ様という存在が、我々から奪われてしまう!」

 ああ! と彼が叫んだ。
 全身が震えている。
 座っていられずに床に転がり落ち、痙攣まで起こし始めたヤンスを見て、クラウスがストップをかけた。

「外交長官、そこまでだ」
「いいえ、団長。まだです。ヤンス! きみは生まれてくる子どもをデァモントで育てたくはないと言ったはずだ! デァモントを棄てたきみがハーゼの名を口にしたからと言って、なにが起きる! なにも起こりはしない!」

 ユリウスの呼びかけに、ヤンスが床をのたうった。

 やがて彼は、はぁはぁと肩で息をしながらも、ゆっくりと起き上がった。
 両目から滂沱ぼうだの涙を流し、色を失った唇を強く噛み締め、ヤンスが掠れた声を発した。

「……そうです、殿下。私は我が子をあんな場所へ連れていきたくはない」
「ならば」
「でも、怖い。あそこにはまだ、私の両親が居ます。姉も、弟も居ます。逃げおおせたのは私だけだった。私があの御方の話をすることで、家族が……家族の魂がけがれて、神の救済を得られなかったとしたら……なんのために彼らは生きてきたのか……! 殿下、す、少し時間をください。もう少し、時間を」

 嗚咽とともに、ヤンスが少量の胃液を嘔吐した。
 尋常でない男の様子に、さすがに背後に控えていたロンバードからも制止の声があがった。

「ユリウス殿下、今日のところは」

 ユリウスは短く吐息すると、わかったと頷いて立ち上がった。

「ヤンス、時間は有限だ」
「……は、はい」
「二日後にもう一度時間を作る」
「はい」
「ヤンス、最後にひとつだけ」

 ヤンスの目がしっかりとユリウスを捉えていることを確認し、彼は正気だと結論づけてユリウスは、話を終わらせる前に短い問いを放った。

「ハーゼについて、いま話せることはあるか」

 ヤンスが顔を歪めた。

 これはユリウスにとって賭けだった。
 知っていることを話す、と決意した男が幾ばくもしないうちに翻意したのだ。
 二日後に時間を作ったからと言って、また同じ結果にならないとは限らない。

 しかし、いま、ほんの少しでも彼の中にある枷を外せたなら。
 ヤンス自身が、おのれの葛藤を乗り越えることができたなら。

 二日後の会見は、期待が持てるものになる。

「なんでもいい。ほんの小さなことでもいい。いま、話せることはあるか」

 ユリウスは重ねて尋ねた。

 ヤンスの口が開いた。
 彼は魚のようにパクパクと口を開閉させて、そして消え入りそうな声を、絞り出した。

「あの御方は……代々月の如き金の瞳と、星の如き銀のおぐしを持っていると、聞きます……」

「っ! 感謝する」
    
 ユリウスはヤンスへと礼を言い、ポカンと立ち尽くしたロンバードの腕を叩いて退室した。

 カツカツと靴音を立てて廊下を進むと、背後から追い付いてきたロンバードが、
「ゆ、ユリウス様っ! いまの話はっ」
 と動揺した様子で声をかけてきた。

 ユリウスは足を止め、男を振り向いた。

 こちらを見下ろしてくるロンバードと視線を合わせ、ひとつ頷いて。
 ユリウスは口元を手で覆った。

「金の瞳と、銀の髪……


 




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