上 下
21 / 184
リヒト②

しおりを挟む
 僕がエミール様と会ったのは、ユーリ様にそれをお願いしてから六日後のことだった。

 しずかなお声でお話される方だなぁ、というのがエミール様の第一印象だ。

「初めまして。ようやく会えましたね」

 ユーリ様にお聞きしたのだろうか。ゆっくりと、僕にも聞こえやすいようにくっきりと発声して、彼は僕の右手を握った。
 握られた、ということはなんとなく認識できたけれど、なぜそうされたのかがわからずに、僕はいったいどうすれば良いのか反応に困ってしまう。

 ぼうっとしていたら、エミール様は手をほどいて、
「オレの声が聞こえにくかったり、言ってる意味がわからなかったりしたらいつでも教えてくださいね」
 と言ってくれた。
 いいひとなのだな、と僕は思った。

 エミール様と初めて会ったこの日、ユーリ様はお仕事に行かれていていらっしゃらなかった。

 最近のユーリ様は、本当にものすごく忙しそうだ。
 朝食と夕食とお風呂は、これまで通り僕と一緒に過ごしてくださるのだけれど、それが済むとすぐに出ていかれる。

「おやすみ、僕のオメガ」
 いつもはそう言ってキスをくれて、僕が眠るまで傍に居てくださるのに、ここ数日はその時間すらも惜しいようだった。
 だから僕はユーリ様の貴重な時間を奪わないよう、寝たふりをして、ユーリ様がすぐに出て行けるように心がけていた。

 目を閉じて偽物の寝息をたてているうちに、いつの間にか本物の眠りについている。
 そして、
「おはよう、僕のオメガ」
 とユーリ様に起こされるまで、僕はぐっすりと寝てしまうのが常だった。
 

「本当はユーリ様も今日はどうしても同席したいと仰っていたのだけど、どうも外せない用事ができたようで、こうしてオレひとりでお邪魔させていただきました」
「……はい」
「オレはクラウス様のおかげでこうして王族の一員として扱ってもらってますが、平民の出ですのでかしこまってもらわなくて大丈夫ですよ。楽にお話してくださいね」

 ユーリ様以外のひととお話することに慣れていない僕に、気を遣ってくださったのだろう。エミール様は僕の緊張をほぐすようにそう言ってくれた。

 エミール様は平民出身。
 なら僕はなにになるのだろう。
 サーリーク王国の民ですらなく、異国の山に捨てられてしまったような、この僕は。

「……さま? リヒト様?」

 ぼんやり考えこんでしまった僕に、エミール様が呼びかけている。
 僕は慌てて首を振り、
「様は、いりません」
 と答えた。

「ユーリ様は僕を、リヒトと呼びます」
「では、オレのこともエミールと」

 エミール様は気さくにそう言ってくれたが、そういうわけにもいかないだろう。

 僕は早くも、エミール様と二人で話したいとユーリ様に乞うたことを後悔していた。
 いつもユーリ様があまりにやさしいから、自分の立場や態度を気にしたことがなかったけれど、よく考えたらこのひとをお屋敷に呼びつけるというのは失礼だったのではないだろうか。
 僕の方から、お伺いすべきだったのではないだろうか。

「あ、あのっ」

 口を開いてから思い至る。
 そういえばソファに座っているのは僕だけだ。立ちっぱなしのエミール様にいまさら焦って、僕は急いで腰を上げた。

「僕はあまり物を知りません。頭が悪いのです。だから失礼があったら教えてください」
「リヒト様……リヒト、大丈夫だから座ってください。楽にしてもらっていいです」
「僕、あの、僕は、オメガのひとと、お話がしたくて」
「わかってます。ユーリ様から、あなたがそう言っていたと聞いて、オレはお伺いしたのです。オレも座りますから、あなたも座ってください」

 エミール様が僕の肩を上から抑えた。かくりと膝が折れて、僕はまたポスンとソファに腰を落としてしまった。

 言葉通り、僕の隣にエミール様が座る。
 僕が顔をそちらへ向けると、エミール様の輪郭がぼんやりと映った。
 顔はよくわからない。髪はユーリ様よりももっと濃い色の金髪だ。全体的に青い服を纏っているように見える。ユーリ様より小柄で、でも僕よりは大きい。僕にわかるのはそれぐらいだった。
 
「ここのお屋敷は、面白いですね」

 不意に、エミール様がそう言った。

「玄関からこの部屋までは段差がひとつもなかったし、廊下には手すりがついていた。造りは単純だけれど、警備は厳重。ユーリ様のお気持ちがものすごく込められているお屋敷ですね。それにこのティーセット。お茶も焼き菓子もたったいま給仕されたものだとわかるのに、室内に使用人の姿はない。まるで魔法の小人が居るようだ」

 話しながら、エミール様が笑った。

「小人とは、なんですか」

 僕が尋ねると、エミール様が僕の目の前にご自分のこぶしを持ってきた。

「これは見えますか」
「……はい、ぼんやりと」
「これぐらいの大きさの妖精が夜な夜な人間の仕事をお手伝いする、という物語があるんです。その妖精を小人と言います」
「小さいですね」
「はい。なので人間は小人に気づくことがなかなかできないんですよ」
「目が良くても、見えないんですか?」
「見えませんね」

 エミール様がアハハと笑い声をあげた。

「小人は姿隠しの魔法を使えるとも言われてます。小さい上に魔法を使われたら絶対に見えませんね」

 目が良くても見えないものがあるんだ、と僕は驚いた。
 でもこれは物語のお話だ、と思い出して僕はエミール様に訊いてみた。

「小人という生き物は、本当に居るんですか?」

 エミール様が楽しげな声で、
「どうでしょうね」
 と言った。

「この世界のどこかには、魔法使いや妖精や、オレたちが見たこともない生き物が潜む場所があるという話も聞きます。だから小人も、居るかもしれませんね」
「居るとしたら、どこに住んでるんでしょうか。おうちはありますか?」
「そうですねぇ。物語では、木の内側や花のつぼみに隠れているという話はありますが、小人の家は出てきてませんでしたね。でもきっと、どこかオレたちが見えないところに、家があるんでしょう」

 小さな小人の、小さな家を想像したらなんだかとても可愛かった。
 木や花ならここの温室にもあるから、もしかしたらそこに小人が潜んでいるかもしれない。
 探してみようか。

 僕の目ではきっと見つからないだろうけど、エミール様みたいに目が見えるひとにも見えないのだったら、見つからなくても落ち込むことはない。

 自分の想像が楽しくて、僕は口元を抑えてうふふと笑いを漏らした。

 ふと、頭になにか重みがかかった気がして軽く首を振ると、エミール様が、
「すみません」
 と謝ってきた。

「とてもきれいな髪だったので、つい撫でてしまいました」

 どうやらエミール様が僕の頭を撫でたようだ。

「ユーリ様には、どうかご内密に」

 なぜかここでユーリ様のお名前が出てきた。
 意味がわからずに僕はまばたきをしたけれど、エミール様のお声がとても真剣だったから、とりあえず「はい」と頷いておいた。






しおりを挟む
感想 259

あなたにおすすめの小説

初心者オメガは執着アルファの腕のなか

深嶋
BL
自分がベータであることを信じて疑わずに生きてきた圭人は、見知らぬアルファに声をかけられたことがきっかけとなり、二次性の再検査をすることに。その結果、自身が本当はオメガであったと知り、愕然とする。 オメガだと判明したことで否応なく変化していく日常に圭人は戸惑い、悩み、葛藤する日々。そんな圭人の前に、「運命の番」を自称するアルファの男が再び現れて……。 オメガとして未成熟な大学生の圭人と、圭人を番にしたい社会人アルファの男が、ゆっくりと愛を深めていきます。 穏やかさに滲む執着愛。望まぬ幸運に恵まれた主人公が、悩みながらも運命の出会いに向き合っていくお話です。本編、攻め編ともに完結済。

【完結】幼馴染から離れたい。

June
BL
隣に立つのは運命の番なんだ。 βの谷口優希にはαである幼馴染の伊賀崎朔がいる。だが、ある日の出来事をきっかけに、幼馴染以上に大切な存在だったのだと気づいてしまう。 番外編 伊賀崎朔視点もあります。 (12月:改正版)

トップアイドルα様は平凡βを運命にする

新羽梅衣
BL
ありきたりなベータらしい人生を送ってきた平凡な大学生・春崎陽は深夜のコンビニでアルバイトをしている。 ある夜、コンビニに訪れた男と目が合った瞬間、まるで炭酸が弾けるような胸の高鳴りを感じてしまう。どこかで見たことのある彼はトップアイドル・sui(深山翠)だった。 翠と陽の距離は急接近するが、ふたりはアルファとベータ。翠が運命の番に憧れて相手を探すために芸能界に入ったと知った陽は、どう足掻いても番にはなれない関係に思い悩む。そんなとき、翠のマネージャーに声をかけられた陽はある決心をする。 運命の番を探すトップアイドルα×自分に自信がない平凡βの切ない恋のお話。

【書籍化確定、完結】私だけが知らない

綾雅(要らない悪役令嬢1/7発売)
ファンタジー
書籍化確定です。詳細はしばらくお待ちください(o´-ω-)o)ペコッ 目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。 優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。 やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。 記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2024/12/26……書籍化確定、公表 2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位 2023/12/19……番外編完結 2023/12/11……本編完結(番外編、12/12) 2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位 2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」 2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位 2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位 2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位 2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位 2023/08/14……連載開始

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

【完結】伴侶がいるので、溺愛ご遠慮いたします

  *  
BL
3歳のノィユが、カビの生えてないご飯を求めて結ばれることになったのは、北の最果ての領主のおじいちゃん……え、おじいちゃん……!? しあわせの絶頂にいるのを知らない王子たちが吃驚して憐れんで溺愛してくれそうなのですが、結構です! めちゃくちゃかっこよくて可愛い伴侶がいますので! 本編完結しました! 時々おまけを更新しています。

目が覚めたら囲まれてました

るんぱっぱ
BL
燈和(トウワ)は、いつも独りぼっちだった。 燈和の母は愛人で、すでに亡くなっている。愛人の子として虐げられてきた燈和は、ある日家から飛び出し街へ。でも、そこで不良とぶつかりボコボコにされてしまう。 そして、目が覚めると、3人の男が燈和を囲んでいて…話を聞くと、チカという男が燈和を拾ってくれたらしい。 チカに気に入られた燈和は3人と共に行動するようになる。 不思議な3人は、闇医者、若頭、ハッカー、と異色な人達で! 独りぼっちだった燈和が非日常な幸せを勝ち取る話。

僕の番

結城れい
BL
白石湊(しらいし みなと)は、大学生のΩだ。αの番がいて同棲までしている。最近湊は、番である森颯真(もり そうま)の衣服を集めることがやめられない。気づかれないように少しずつ集めていくが―― ※他サイトにも掲載

処理中です...