溺愛アルファの完璧なる巣作り

夕凪

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甘美なるアルファの苦悩

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 リヒトと同じオメガであるエミールが言葉を失った。
 クラウスも愕然としたように目を見開いている。

 それはそうだろう。
 アルファの匂いを感知できないオメガなど、前代未聞だ。
 
発情期ヒートはどうなのです」

 エミールに問われ、ユリウスは首を振った。

「まだありません。用心のために首輪は欠かすことなくつけていますけどね」

 五感の弱いリヒトは、いざというときに自分で身をまもるどころか危険を察知することすら難しい。
 だから決して外さないように言い聞かせて、毎日うなじをガードする首輪を装着させている。首輪は簡単には外せないようロックがかかっていて、その鍵はユリウスが持っている。

 ヒートがないのでつがうことはまだできないけれど、うなじにおのれの歯形がないというだけで、あの子がユリウスのオメガだという事実に変わりはなかった。
 だからリヒトをまもるのはユリウスの役目なのだ。

「匂いがわからない、ヒートがこない、ということは僕にとっては些事さじですよ」

 ユリウスは片頬で軽く笑って、この話題を終わらせようとした。
 しかし次兄が厳しい顔つきで口を挟んできた。

「ユーリ。おまえ、夜はどうしている」
「夜? もちろん寝てますよ」
「おまえのオメガと一緒にか」
「ええ」

 リヒトを拾ったときから、ベッドは常に共にしている。

 小さな体を抱きしめて眠ることは、もはや息をすることと同じくらい自然なことだった。
 リヒトもそう思っているのだろう。成長してからも、一緒の寝台に入ることを拒まれたことはない。

「侍医はなんと言っている」

 クラウスの質問に、ユリウスは笑って答えた。

「見違えるほど健康になった、と」
「違う。リヒトではなくおまえのことだ」

 はぐらかそうとしたユリウスをゆるさずに、クラウスは追及を重ねた。

、侍医はなんと言っているんだ」
「…………」

 ユリウスは唇を引き結び、無言で兄の青い瞳を見つめた。

「ユーリ。答えなさい」

 十五歳年上の兄の命令に、ユリウスは天井を仰いで溜め息を漏らした。

「わかった。わかりました。言いますよ。抑制剤は毎日飲んでます。でも僕は健康です。これでいいですか」

 早口に答えながら両腕を広げておのれの頑健さを主張したが、クラウスの眼差しはゆるまない。エミールまでもが心配そうに眉を顰め、「毎日!」と口を押さえた。

 そう、ユリウスはリヒトを手元に置いて以降、十二年もの間毎日アルファの本能を抑えつける抑制剤を飲み続けていた。

 サーリーク王国ではアルファ用の抑制剤というのは、特段珍しいものではない。
 特に、不特定多数の人間が集う場へ出る機会のあるユリウスら王族たちや、任務で見知らぬ土地に赴くことの多い騎士団員たちの内の多くのアルファは、抑制剤を服用していた。  

 不意にオメガと接触した際に、本能のままに行動してオメガを傷つけないためである。

 しかし抑制剤は、恒常的に服用するものではない。
 体内に抗体ができてしまい、薬の効きが悪くなるからである。薬効を求めて強い成分の物を口にすれば、今度は副作用に苦しむこととなる。
 だから多くのアルファは抑制剤は必要な場面のみ使用している。

 そもそも特定の相手が居るアルファの場合は、抑制剤は必要ない。
 伴侶相手に本能を抑制する必要はないし、伴侶の匂いがおのれにとっては至上のものとなるから、ほかの匂いに対しては興味が薄れるのだ。

 つがい持ちのアルファが、つがい以外のオメガのヒートに遭遇しても理性を保つことができた、という例は過去にいくつもある。
 それほどにアルファにとって匂いというものは、大きな影響がある。

 因みにオメガの数はアルファよりも少ないので、ベータを伴侶にするアルファも多い。ベータ同士では感知できないようだが、ベータにもオメガの誘惑香のようなものはうっすらとあって、アルファが相手を選ぶ際はこの匂いの相性というものが重視されていた。

 ともかく、アルファは相手の匂いを嗅ぎ分ける。
 そして、好意を抱く者の匂いはアルファの本能を強く刺激する。

 それがオメガとなると、いっそ暴力的なほどだ。

 いますぐこのオメガを自分のものにしたい、という独占欲と。
 体の中におのれを注いで、自分の匂いを植え付けてやりたいという、肉欲と。
 うなじを噛んでつがいにしたい、という衝動が。

 胸の深くでぜて全身に広がり、耐えきれないほど欲望を掻き立ててくるのだ。

 抑制剤はそのどうしようもない欲求を散らす役割を果たしてくれる。

 毎日毎晩ユリウスの隣で眠る、リヒトの。
 可愛らしい寝顔と、やわらかそうな唇と、なめらかな頬のラインと、華奢な首筋と、そこから香る甘くて瑞々しい匂い。

 リヒトにはユリウスの匂いがわからない。
 けれどユリウスにはわかる。

 鮮烈で鮮明で他の誰とも違う、おのれのオメガの匂いが。

 口の中によだれが溜まる。
 口づけて、服をはいで、首輪を取り去って、リヒトのすべてを奪いたい。

 そうしたい、とユリウスが言えば、きっとリヒトは拒まない。

 リヒトは全面的にユリウスを信用しているから。
 食事のときはこうするものだ、とユリウスが教えたから、十九歳にもなるのにいまだにユリウスの膝に座って、ユリウスがひと口ずつ与えるものを、なんの疑問も抱かずに雛鳥のように食べるほど、純真な子だから。

 ユリウスが望めが、リヒトは拒まないだろう。

 でも、あの子に喜びはない。
 皮膚感覚に乏しいリヒトに、ユリウスが触れたところで、快感などは生まれない。

 ヒートを起こさないということはつまり、リヒトの体が肉体の交わりを必要としていない、ということだ。

 ユリウスは欲望のままにリヒトを傷つけるなんてことは、絶対にしたくない。
 だから抑制剤を飲み続けている。

 王族お抱えの医師や薬師には決して相談できないから、副作用リスクを承知で秘密裏に、町医者から入手した強い薬を使っている。

「ユーリ。オメガをまもろうとするおまえの気持ちは立派だ。けれど私には弟を心配する権利がある。ユーリ。毎日おのれのオメガと居て、飢えないアルファなど居ない。その飢えを薬で抑えるか、他で発散させるか。おまえはどっちだ」

 クラウスが言葉通り弟を心配する兄そのものの表情で問いかけてきた。
 ユリウスは右手を広げ、次兄の前に翳した。

「兄上。僕には右手これがありますよ」 

 冗談を言ったつもりだったが、どうやら不発だったようだ。クラウスの顔が痛ましげに曇ってしまった。

「兄上。エミール殿も。そう深刻にならないでください。僕にとってこれは、大した問題ではありませんから」
「ユーリ様、しかし、この先もあなたのオメガにヒートが来なければ……」
「たとえそうであったとしても、あの子が僕のオメガということに変わりはありません。何度も言いますが、僕にとっては些事です」

 ユリウスはきっぱりと断言した。
 強がりでもなんでもなく、本心でそう思っている。

 ユリウスの気持ちが伝わったのか、エミールが口を噤んだ。しかし弟を溺愛しているクラウスは釘を刺すのを忘れなかった。

「抑制剤は控えなさい」
「兄上」
「オメガを想うおまえの気持ちはわかる。だからやめろとは言わないが、控えなさい。目の下に隈ができている。不眠は副作用によるものだろう。それと少し痩せたな。吐き気があるか。それも副作用だ」
「寝てますし体重も落ちてません」
「虚勢を張れるうちに控えなさいと言ってるんだ。おまえが倒れたら、リヒトは誰がまもる」

 痛いところを突かれて、ユリウスはぐっと押し黙った。

 言い訳をするようだが、兄の指摘通り睡眠障害と食欲不振が顕著になっていたため、自分でも抑制剤の使用を減らさなければとは思っていたのだった。

 ユリウスは観念して、白旗を上げた。

「わかりました。控えます」
「いい子だ、ユーリ」

 子どもの頃のようにクラウスに頭をなでられて、むず痒い気分になる。これが長兄のマリウスだったなら、もみくちゃにされていただろう。

 このことがバレたのが次兄でまだ良かった。
 エミールも口が軽い性質たちではないので、この件はこの場限りで収められる。

 気持ちを切り替えてユリウスは、
「それで、エミール殿のお話というのは」
 と話題を振った。

 今日はデァモントの件をクラウスから聞くことの他に、兄のつがいからもなにやら相談したいことがあるとのことだった。

 エミールもパッと表情を改め、卓上にいくつかのカードを並べだした。



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