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医師の診察
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ユリウス立ち合いの下で、子どもの診察が行われた。
血液の検査をするためにまた針を血管に刺さなければならず、ユリウスはかわいそうな子どもをずっと抱きしめていたが、当の子どもは眉ひとつしかめることはせずに、諾々とそれを受け入れていた。
採血のついでに、バース検査も行った。
薬師の掲げた白い器に入った液体の中へ、子どもの血を数滴垂らす。
変化はすぐに起こった。
透明な液体が深い藍色へと染まる。
間違いなくオメガだ。
こんな幼くして分化するのは非常に珍しい、と薬師も目を丸くしていた。
もしかすると子どもは、見た目ほど幼くはないのかもしれない、との指摘もあった。
通常は十歳頃で分化する第二性。過去には七歳で分化した例もあったそうだが、この子の場合はあまりに早すぎる。
ユリウスが二年前に子どもからオメガの誘惑香を感じとったというならば、その時点で子どもは六、七歳に達していたのかもしれない、と薬師は言った。
しかしそうであるならば、子どもの身長も体重も、同年代のそれにまったく満たっていないのはどう解釈せよというのか。
痩せ細り、泥まみれで死にかけていた子どもが、しあわせに暮らしていたとは到底思えずに、ユリウスの胸はしくしくと痛んだ。
ひと通りの診察を終え、検査結果を携えたベルンハルトからユリウスに告げられた言葉は、非常に衝撃的なものであった。
「この子は、五感が総じて弱いですなぁ」
ユリウスと子ども、そしてロンバードとベルンハルトのみが居る部屋の中で、片眼鏡の侍医が重々しくそう告げた。
「五感……!」
「五感ってことは、あれですか、目と、耳と」
指折り数えようとするロンバードを制して、ベルンハルトが説明を続けた。
「視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚の五つですな。つまり、目が見えにくい、耳が聞こえにくい、味がわかりにくい、匂いがわかりにくい、皮膚感覚が伝わりにくい」
「最後のがよくわからないな。具体的には?」
ユリウスが問えば、ベルンハルトが澱みなく答える。
「一般的に触覚とは、皮膚で感じる刺激のことですな。たとえば私が若君の肩に触る。若君は触られたな、とわかる。これが触覚です。この子の場合、背後から腕に触れてみてもまったく反応しませんでしたなぁ。さらには、温、冷、痛などの刺激も伝わりにくいようです」
「大変じゃないか!」
ユリウスは思わず叫んでいた。
大声になったから聞こえたのだろう。子どもの目がこちらを向いた。
じっと見つめてくる、金色の瞳。
ベルンハルトによると、物の輪郭や形はわかるが、細部までは見えていないだろうとのことだ。
ユリウスの顔も、きちんとは見えていないのだろうか。
そう考えると胸がきゅうっと切なく引き攣れた。
「ゆぅい」
子どもがつたない口調でユリウスの名を呼ぶ。
すこし不安そうな声だ。ユリウスの動揺が伝わってしまったのか。
「なんでもないよ。大丈夫」
ユリウスは子どもを抱き上げて頬ずりをした。
可愛い可愛い、ユリウスのオメガ。
「見えなくても聞こえなくても大丈夫。僕がまもるよ」
囁くユリウスの横で、ロンバードが医師へと質問を重ねている。
「味覚がないってことは味がわからないってことですか?」
「ないんじゃない。弱いんだ。五感が弱い。まるでわからないわけじゃないけれども、わかりにくい」
「なるほど……。つまり」
「つまり、気をつけてあげなければならないことが山ほどある、ということですなぁ、若君」
ベルンハルトが言葉の最後でこちらを向いた。
もちろん、とユリウスは頷いた。
これまで以上に、この子を大切にする。
「だからと言って騎士団の仕事をしない、というのはなしですよ、ユリウス様」
ロンバードが口を挟んできた。
うるさい大男をチラと睨んで、ユリウスは鼻を鳴らした。
「そんなことはわかってる。だけど有事の際はこの子が優先だ」
キッパリと言い切ったユリウスに、ロンバードが嘆息をこぼす。
「そうならないように、見まもりの目を増やしましょうかね」
「それは僕が居ないときだけにしてくれ。僕が居るときはこの子と二人でいい」
「へぇへぇ」
「ずいぶんといい返事だ」
「了解しました! 我が君!」
わざとらしい敬礼を見せたロンバードは、そのまま回れ右をして退室していった。大方グレタと今後の相談をしに行ったのだろう。ユリウス不在の間、子どもの世話は主にグレタの仕事になる。
「ベン、他に気になることは?」
ユリウスは子どもを抱いたまま、侍医へと問いかけた。
ベルンハルトはやさしげなしわを目じりに作って、首を横へ振った。
「若君の看病の甲斐あって、体調は良くなってきていますなぁ。ああ、ひとつだけ。その子の使っている言葉ですが」
「通訳が見つかったか?」
「いいえ。どうやら、どの国の言葉とも違う、と」
「え?」
ユリウスは怪訝に眉を寄せた。
「そのことで兄君が、話をしたいと仰せでしたよ」
兄君、とベルンハルトが言うのは長兄、マリウス・エアステ・ミュラーのことだ。
ユリウスは鼻筋にしわを寄せて「う~ん」と葛藤したが、次期国王の呼びつけを断るわけにもいかない。
しかも内容が、おのれのオメガに関わることなのだ。
「わかった。行ってくるよ」
ユリウスは渋々頷き、気力の補給とばかりに子どもの首筋に鼻先を埋め、やわらかで甘いオメガの匂いを吸い込んだ。
血液の検査をするためにまた針を血管に刺さなければならず、ユリウスはかわいそうな子どもをずっと抱きしめていたが、当の子どもは眉ひとつしかめることはせずに、諾々とそれを受け入れていた。
採血のついでに、バース検査も行った。
薬師の掲げた白い器に入った液体の中へ、子どもの血を数滴垂らす。
変化はすぐに起こった。
透明な液体が深い藍色へと染まる。
間違いなくオメガだ。
こんな幼くして分化するのは非常に珍しい、と薬師も目を丸くしていた。
もしかすると子どもは、見た目ほど幼くはないのかもしれない、との指摘もあった。
通常は十歳頃で分化する第二性。過去には七歳で分化した例もあったそうだが、この子の場合はあまりに早すぎる。
ユリウスが二年前に子どもからオメガの誘惑香を感じとったというならば、その時点で子どもは六、七歳に達していたのかもしれない、と薬師は言った。
しかしそうであるならば、子どもの身長も体重も、同年代のそれにまったく満たっていないのはどう解釈せよというのか。
痩せ細り、泥まみれで死にかけていた子どもが、しあわせに暮らしていたとは到底思えずに、ユリウスの胸はしくしくと痛んだ。
ひと通りの診察を終え、検査結果を携えたベルンハルトからユリウスに告げられた言葉は、非常に衝撃的なものであった。
「この子は、五感が総じて弱いですなぁ」
ユリウスと子ども、そしてロンバードとベルンハルトのみが居る部屋の中で、片眼鏡の侍医が重々しくそう告げた。
「五感……!」
「五感ってことは、あれですか、目と、耳と」
指折り数えようとするロンバードを制して、ベルンハルトが説明を続けた。
「視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚の五つですな。つまり、目が見えにくい、耳が聞こえにくい、味がわかりにくい、匂いがわかりにくい、皮膚感覚が伝わりにくい」
「最後のがよくわからないな。具体的には?」
ユリウスが問えば、ベルンハルトが澱みなく答える。
「一般的に触覚とは、皮膚で感じる刺激のことですな。たとえば私が若君の肩に触る。若君は触られたな、とわかる。これが触覚です。この子の場合、背後から腕に触れてみてもまったく反応しませんでしたなぁ。さらには、温、冷、痛などの刺激も伝わりにくいようです」
「大変じゃないか!」
ユリウスは思わず叫んでいた。
大声になったから聞こえたのだろう。子どもの目がこちらを向いた。
じっと見つめてくる、金色の瞳。
ベルンハルトによると、物の輪郭や形はわかるが、細部までは見えていないだろうとのことだ。
ユリウスの顔も、きちんとは見えていないのだろうか。
そう考えると胸がきゅうっと切なく引き攣れた。
「ゆぅい」
子どもがつたない口調でユリウスの名を呼ぶ。
すこし不安そうな声だ。ユリウスの動揺が伝わってしまったのか。
「なんでもないよ。大丈夫」
ユリウスは子どもを抱き上げて頬ずりをした。
可愛い可愛い、ユリウスのオメガ。
「見えなくても聞こえなくても大丈夫。僕がまもるよ」
囁くユリウスの横で、ロンバードが医師へと質問を重ねている。
「味覚がないってことは味がわからないってことですか?」
「ないんじゃない。弱いんだ。五感が弱い。まるでわからないわけじゃないけれども、わかりにくい」
「なるほど……。つまり」
「つまり、気をつけてあげなければならないことが山ほどある、ということですなぁ、若君」
ベルンハルトが言葉の最後でこちらを向いた。
もちろん、とユリウスは頷いた。
これまで以上に、この子を大切にする。
「だからと言って騎士団の仕事をしない、というのはなしですよ、ユリウス様」
ロンバードが口を挟んできた。
うるさい大男をチラと睨んで、ユリウスは鼻を鳴らした。
「そんなことはわかってる。だけど有事の際はこの子が優先だ」
キッパリと言い切ったユリウスに、ロンバードが嘆息をこぼす。
「そうならないように、見まもりの目を増やしましょうかね」
「それは僕が居ないときだけにしてくれ。僕が居るときはこの子と二人でいい」
「へぇへぇ」
「ずいぶんといい返事だ」
「了解しました! 我が君!」
わざとらしい敬礼を見せたロンバードは、そのまま回れ右をして退室していった。大方グレタと今後の相談をしに行ったのだろう。ユリウス不在の間、子どもの世話は主にグレタの仕事になる。
「ベン、他に気になることは?」
ユリウスは子どもを抱いたまま、侍医へと問いかけた。
ベルンハルトはやさしげなしわを目じりに作って、首を横へ振った。
「若君の看病の甲斐あって、体調は良くなってきていますなぁ。ああ、ひとつだけ。その子の使っている言葉ですが」
「通訳が見つかったか?」
「いいえ。どうやら、どの国の言葉とも違う、と」
「え?」
ユリウスは怪訝に眉を寄せた。
「そのことで兄君が、話をしたいと仰せでしたよ」
兄君、とベルンハルトが言うのは長兄、マリウス・エアステ・ミュラーのことだ。
ユリウスは鼻筋にしわを寄せて「う~ん」と葛藤したが、次期国王の呼びつけを断るわけにもいかない。
しかも内容が、おのれのオメガに関わることなのだ。
「わかった。行ってくるよ」
ユリウスは渋々頷き、気力の補給とばかりに子どもの首筋に鼻先を埋め、やわらかで甘いオメガの匂いを吸い込んだ。
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