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至福なる看病

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 特権、という言葉ある。
 ある身分の者だけが持っている権利、という意味である。

 ユリウス・ドリッテ・ミュラーという新人騎士がなぜ、これほどに自由な振る舞いができたのかと言うとそれは、この特権のなせる業であった。

 ユリウスは騎士団団長の弟、というだけでなく、サーリーク王国王家の三男、という高貴なる身分が備わっている。

 父のシュラウドが現国王。第一王子で継承権一位が長兄のマリウス。第二王子で騎士団長のクラウスが次兄。

 王后(つまりユリウスたちの母)アンネリーゼは二人の王子を立て続けに出産し、乳母や侍従たちとともに子育てに熱心に関わった。
 そして長男のマリウスが十七で成人を迎え、次男のクラウスが齢十五歳で騎士団に入団を果たし兄を支える立場になるという決意を周囲へ示し、国王夫妻はそろそろ子どもたちも自立したので夫婦水入らずで旅行でも、と話をしていたちょうどその頃、アンネリーゼの腹に新しいいのちが宿った。

 それが三男のユリウスである。

 王も王后もマリウスもクラウスも、この歳の離れた末っ子をたいそう可愛がった。家族総出で可愛がった。家族だけでなく、冷血という二つ名を持つ宰相も、鉄仮面と評される無表情な侍従長も、城の誰もが、輝くばかりの金髪と透き通る新緑色の目の天使のごとく愛らしい第三王子にメロメロになった。

 ユリウスが泣けば周りは全力でそれを慰めたし、ユリウスが笑えば誰もがしあわせで満たされた。

 そんなふうに愛情を全身に注がれて自由奔放に育ったユリウスは、いま、熱心に医療と看護と子育ての知識を吸収している。

 場所は、王城のユリウスの私室である。

 不器用な手つきでおしめを替えているユリウスの背後から、ロンバードと元乳母のグレタがハラハラとしたような眼差しを送ってきていた。

 そのうるさい視線を無視して、ユリウスは清潔な白い布を、ベッドに横たわる子どもの股間へと当てた。
 子どものそこにはささやかな男性器がちょこんとついている。
 男の子なのだな、と最初に目にしたときにユリウスは思ったが、男女の別などはどうでも良かった。
 
 この子が僕のオメガ。
 そう思うだけでとにかく可愛くて可愛くて、性別など寸毫も気にならなかった。

 おのれのオメガをおのれの手で世話する。
 その至福にゆるみそうになる口元を引き締めながら、一生懸命手を動かしていたユリウスの背中に、グレタの声が飛んできた。

「ああダメですダメです。そこにしわが寄ってます。ちゃんと広げて……そんな当て方をしたら漏れてしまいますよ。もっとこう……いえ、違います、坊ちゃんちょっとそこを」
「どかないってば!」

 顔を半分振り向けて、ユリウスは眉をしかめた。

 グレタはユリウスの乳母だった女性で、そのまま十歳になるまでは侍女として仕えてくれていた。幼少期のすべてを知られているからだろうか、このグレタに対してユリウスは中々強く出ることができない。
 それでも以前よりも少ししわの増えた彼女の顔を精一杯睨みつけ、
「グレタ、うるさいよ」
 と苦情をこぼした。

 ロンバードが広い肩をそびやかし、これみよがしな溜め息をこぼす。

「意地張らずにグレタさんにやってもらった方が早いしその子も無駄に体力を奪われないでしょうに」
「意地でやってるんじゃない。僕の役目だからしているんだってば。おまえもうるさいなぁ」

 ユリウスはイライラと眉を吊り上げた。

 ロンバードはユリウスのせいで早々に騎士団の任務を外されて帰国することになってしまったので、そのことを三日経ったいまも根に持っているのだ。

 元々ロンバードは騎士団長が直々に指揮する第一部隊の所属で、クラウスの右腕ともいわれる活躍を見せていた。その腕を高く買ったクラウスが、ロンバード曰く兄バカ丸出しの人事で、末弟ユリウスの護衛官として王城勤務へと変更した。ロンバードの希望も聞かずに、勝手に。

 泣く泣く騎士団を離れたロンバードは、ユリウスが騎士団に入団したことで久方ぶりに自身も古巣へ戻ることができたと喜んでいたのに、任務半ば(というかほぼ初日)で離脱する羽目になったのだ。それは恨み言のひとつも言いたいだろう。

 しかしユリウスには任務で赴いた先で、王命よりもなによりも優先すべきものが見つかってしまったのだから仕方ない。

 ネチネチと恨みがましい視線と、ハラハラと心配げな視線を送ってくる二人から顔を背けて、ユリウスは苛立つ気分を抑えるために眠り続けている子どもの顔をじっと見つめた。

 見ているだけで不快感は消え去り、得も言われぬ清涼感と多幸感が胸に満ちてくる。すごい。なんという効力。

 あの後……ユリウスが山の中でこの子を拾い、兄の天幕テントで保護した後、ここでは充分な世話ができないと判断して早々に帰国を決めた。

 備蓄入れにしていた籠を拝借し、やわらかな布をしっかりと敷き詰めて寝心地よく整えたそこに、小さな体を横たえた。
 その姿はさながら巣で眠る小鳥のようで、ユリウスは巣と化したその籠を自ら大事に大事に抱えて、ロンバードと薬師を伴い、下山を果たして足で馬車に乗り、王城へ舞い戻ったのだった。

 兄の天幕で診てもらった医師の見立てでは、この子は極度の栄養失調と脱水、眼病に皮膚病も患っており、生きているのが奇跡、ということであった。

 それを聞いたユリウスは、子どもの耳元で、
「僕に会うために頑張ったんだよね」
 と囁いた。

 こんなに幼く小さな体で、死の淵でなんとか踏ん張ってユリウスの訪れを待っていたのかと思うと、胸が捩れそうに苦しくなった。




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