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本編

第九話 苦いキス②

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 まだまだ日は高いというのに、真面目なライトは馬車でルージュを自宅まで送ってくれていた。
 馬車に揺られながらふと窓の外を見上げれば、昼間の白く丸い月がルージュのことを見下ろしている。
 並んで座る馬車の中でも繋いだ手は解かれることなく、ふいにきゅ、と力を込められてライトの方へと振り返れば、優しい瞳がルージュのことを見つめていた。
「……ライト?」
「ごめんね? もう少しでお別れかと思うと名残惜しくなっちゃって」
「!」
 ライトはいつだってストレートに自分の想いを告げてくる。
 その確かな愛情にほんのりと頬を染めながら、ルージュは恥ずかしそうにライトを見つめ返す。
「もう……っ、ライトってば」
 もう少し一緒にいたいのはルージュも同じ。
 夕暮れまではまだ時間があるというのに、日が高いうちにルージュを家まで送らなければと帰宅を急かしてきたのは心配性のライトの方だ。
「帰したくないなぁ……、って言ったら軽蔑する?」
「!?」
 そこで悪戯っぽく苦笑され、ルージュの瞳は大きく見開いた。
 ライトはいつだって自分の気持ちを隠すことなく口にする、ストレートな愛情表現を惜しむことのないタイプだけれど、今だかつてそういった系統の発言をしたことは一度もない。
 まさかライトがそんなことを言うなんてと驚くルージュに、ライトは真っ直ぐルージュを見つめたまま仄かに甘く笑む。
「でも、本当のことだから」
「っ」
 きゅ、と繋いだ手の指先が絡んできて、ルージュの顔へは一気に熱が昇る。
「卒業までまだ一年以上もあるしね」
 ライトにとっての卒業の意味。
「早く結婚したい、って思ってる」
「……っ」
 真剣な瞳で甘く微笑まれ、恥ずかしくて恥ずかしくてどんな反応を返したらいいのかわからなくなってくる。
 ルージュとライトは、互いの両親も周りの友人たちも、誰もが認める恋人同士で婚約者同士。
 学園を卒業すればすぐに結婚となるであろうことは、もう前々から決められていたようなものだ。
 ルージュだって、幼い頃からライトの“お嫁さん”になることを夢見ていた。
「そうすれば、こんな思いをせずにずっと一緒にいられる」
「ライト……」
 会えないのは週末だけで、学校が始まればまた毎日顔を合わせるというのに。
 学園に入学する前までは、いくら婚約者同士とはいえ、なにか用事でもなければそうそう会うことも叶わなかったというのに、毎日会うことのできる贅沢な環境に身を置くようになり、ルージュもそれが当たり前になってしまった。
「……うん……。私も、ライトと一緒にいたい」
「ルージュ……」
 一緒にいたいと思う気持ちはルージュも同じ。
 こんなに優しく素敵な人が。自分が大好きだと思える人が、自分と同じように自分のことを大切に思い……、愛してくれている。
 こんな奇跡が、一生の人生の中でどれほどあるだろうか。
「……ルージュ」
 ほんの少しの恥ずかしさと喜びではにかんだルージュの頬に、繋いでいなかったもう片方のライトの手が伸びてきた。
「……ぇ……?」
 そっと触れ、優しく上を向かされる。
「……ライ……、」
 目元に影が差し、その意味を察して動揺する。
 目を閉じたライトの綺麗な顔が、ゆっくりと近づいてきて……。
 自分も目も閉じなければと、そう思ったその瞬間。
 ――『オレのことを好きになれよ』
「……っ!?」
 目の間にいるライトが、ライトと同じ顔をしたナイトと重なった。
「……ゃ……っ!」
「!」
 咄嗟に身を捻って腕を突っ撥ねてしまい、我に返って呆然とする。
「……ぁ……。ご、ごめんなさい……っ、私……っ」
 ライトのことを拒否するつもりなど欠片もなかった。
 むしろ、受け入れようと思っていた。
 それなのに。
「……ごめんね。性急だった」
「っち、違……っ、そうじゃなくて……!」
 傷ついた素振りを見せるでもなく、ただ純粋に謝ってそっと離れていくライトの姿に、懸命にそんなつもりではないと首を振る。
「うん……。ありがとう」
 そんなルージュの態度に、決して嫌だったわけではなく、ただ驚いただけだと伝えようとしていることがわかったのだろう。
 ライトは甘く微笑わらい、そっとルージュの髪を撫でてくる。
「俺は、こうしてルージュが傍にいてくれるだけで充分だから」
「……っ!」
 本当は、ただ驚いたことが理由ではないのに。
 ライトにナイトが重なって……。本来拒絶してはならない人を拒否してしまった。
 けれど、なにも言えないまま。
 胸に罪悪感を抱えたまま、ルージュはライトに見送られ、実家に戻ったのだった。


 そして、その夜のこと。
 寮の自室よりも遥かに広い、自分好みの調度品ばかりで埋め尽くされた、過ごしやすい自宅の私室で、ルージュはぼんやりと窓の外を見つめながらライトとの別れ際の会話を思い出していた。
『……少し、寄っていかない?』
 外はまだ明るかった。
 離れがたいのはルージュも同じ。
 互いの母親同士が親友であることもあり、ルージュの家はいつだってライトの訪問は歓迎だ。
 けれど。
『今日は止めておくよ』
 やんわりと断られ、先ほどのことがあった手前、それ以上ライトのことを引き留めることはできなかった。
『……また、週明けに学校で』
 そう優しく微笑むライトはいつも通りだったけれど。
『うん……。またね』
 やはり、馬車の中でライトを……、ライトからのキスを拒絶してしまったことがライトを傷つけたのだろうかと……、そう思うと胸が締め付けられるような思いがした。
 あれは、キスをしようとしていたのだと……、そう思うルージュの認識は間違っているだろうか。
 ――『ファーストキスは結婚式まで取っておこうって生真面目なタイプなのに』
 そう……、ライトはそういう性格で間違いない。
 ――本当に?
 でも、本当にそうだろうかとも思う自分がいる。
 ライトだって健全な成人男性だ。いくら清廉潔白で生真面目な性格をしているとはいえ、そういう欲がないなどというはずはない。
 ただ、そういった欲望よりも、ルージュのことを大切に愛おしく思ってくれているだけで。
 そんなライトが、ルージュにキスをしようとした。
 そこにはそれなりの意味が……、少なからず、ライトもここ最近のルージュの様子に不安を覚えているということではないのだろうか。
 それを、自分は。反射的に拒否してしまった。
 ライトのことが嫌なはずはないのに。
 むしろ、初めて“恋人らしい行為”を求められ、今となっては嬉しかったとも思うのに。
 全ては、もう遅い。
「……ライト……」
 こんなにも、ライトのことが好きなのに。

 と……。

「よっ」
「!?」
 突然窓の外から顔を覗かせた人物に、一瞬心臓が止まるかと思いながらルージュは目を見張る。
 そんな、真夜中近い時間帯の不審な来客者は。
「っ、ラ……ッ、……ナ、イト……?」
 姿形はライトだが、こんなことをする人物がライトであるはずはない。つまり、目の前にいるのはナイトだ。
「入れてくんない?」
「っ」
 下半分だけを開けていた窓は、人が通れるほどではない。
「開けてよ」
「! だ、だめ……っ」
 くす、と笑って窓に手をかけてくるナイトに、ルージュは咄嗟に声を上げる。
「なんでだよ」
 不満そうに顰められる眉。
「こんな時間に、乙女が男の人を部屋に招き入れるわけがないでしょう……!?」
 当然と言えば当然の常識を口にすれば、ナイトはニヤリと意地の悪い笑みを向けてくる。
「そうだよな~。ライトのキスすら拒んだのにな」
「!」
「ライト、落ち込んでたぜ~?」
「…………え……?」
 にやにやとルージュの反応を窺うように窓の外から覗き込まれ、ルージュの瞳は動揺に揺らめいた。
 なぜ、そんなことを。ライトとルージュしか知り得ぬことを、ナイトが知っているのか。
「ライトから聞いた」
 そんなルージュにナイトはあっさりと種明かしをし、意味ありげな目を向けてくる。
「どんな相談を受けたか知りたいか?」
「……っ」
「入れてくれたら教えてやるぜ?」
 ライトが、ルージュとのことをナイトに相談したというのか。
 まさか、とも思うけれど、そうでもなければナイトが二人の間で起こったことを知るはずがない。
 もしかしたら、今までもこんなふうにナイトはライトからルージュの話を聞いていて、だからルージュのことも詳しいのだろうか。
 あの時、ライトを拒んでしまったことで、ライトを傷つけてしまったのではないかと悩んでいたルージュは、ナイトのその甘い誘惑に心揺れ動かされてしまう。
 しかも。
「てか、オレはむしろ今日、それを伝えにきたんだし」
「……え……」
 肩を竦めたナイトに思わぬことを告げられて、ルージュの瞳は驚きに瞬いた。
「二人の仲を取り持ってやろうと思って」
 それは、本当のことだろうか。
 思わず疑ってしまうルージュに、どうやら全てお見通しらしいナイトは苦笑する。
「だって、フェアじゃないだろ?」
 ここでナイトの言う“フェア”がどんな意味なのかはわからないが、どことなく納得できてしまう言い振りだった。
 だから、つい。
「なにもしないから入れてよ」
「……」
 捨てられた子犬なような目を向けられて、つい、気を許してしまっていた。
「ルージュ」
「……十分だけだから」
 ここは、ルージュの自宅のルージュの部屋。大声を出せばすぐに駆けつけてくる家族もいる。
「サンキュ……ッ」
 そうして静かに窓を開けたルージュに、ナイトの嬉しそうな笑顔が零れていた。
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