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本編

第四十二話 手を取って④

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「……あ、貴女の目的はなに?」
 得体の知れない存在を前にして、例えようのない恐ろしさから唇が震えた。
 だが、思わず突いて出ていたアリーチェの問いかけに、イザベラの瞳はきょとん、と不思議そうに瞬いた。
「目的?」
 “甦った”のだとクロムは言った。
 “古き時代”というのは、失われた古代魔術が存在していた頃を示しているに違いない。
 そんな時代に生きた魔女が、今世で一体なにを企んでいるというのだろう。
 ――『この国はもう、すでに半分乗っ取られかけています』
 その言葉が意味するもの。
「世界を恐怖に陥れること? 世界を支配すること?」
 アリーチェには、そんな単純な野望しか思いつかない。
 震えそうな恐怖を押し殺しながら問いかければ、イザベラは呆れたように肩を落とす。
「答えてあげる義理はないけれど」
 それはそうだろう。
 思わず尋ねてみてしまったものの、アリーチェも答えが返ってくるとは思っていない。
 だが。
「そうねぇ……、特別よ?」
 どこか気分よさげに微笑んだイザベラは、指先を添えた赤い唇を魅惑的に引き上げた。
「私はね。別に、ただ女王様になりたいわけじゃないの」
 “女王様”という例えは、やはり世界の支配者を示しているのだろうか。
「美味しいものを食べるためには腕のいい料理人が必要だし、食材を作る農民もいる。綺麗なドレスを着るためには仕立て屋だって宝石職人だって必要でしょう?」
 当たり前すぎる自然の摂理を説くイザベラからは、贅沢な生活を送りたいのだという欲望が見え見えだった。
 まるでそのために王太子妃の地位が必要だったのだとも聞こえる口ぶりに、アリーチェはこくりと息を呑む。
「食い尽くしたらダメなのよ。その辺の匙加減が難しくて」
 どこか気難し気な表情かおをして零す小さな溜め息は、かつて失敗したことがあるような言い振りだ。
「娯楽は必要だけれど、あまり派手にするのもよくはないわよね」
 しみじみと落とされる吐息に、じとりとした汗が滲むのを感じた。
 イザベラが言う“娯楽”という言葉には、残虐的な行為を彷彿とさせる響きがあった。
 ――『絶望に身を染める人間の姿を見るのは、何度目にしてもぞくぞくするわぁ~』
 きっと、かつての古き時代に、魔女は己の欲望を満たすために多くの人々の命を弄んできたのだろう。
 だが、渋々ながらも今世はそれを自粛するつもりだと取れる言い様は、小蠅程度の面倒事を払うことすら面倒だと言っているように聞こえた。
「確かにちょっと手間暇はかかるけれど、まぁ、それくらいなら許容範囲内かしら」
 じっくりと時間をかけて少しずつ裏で手を回し、自分の思い通りの世界を作る。
「今はその手間やリスクも少し楽しいわ」
 ハインツを誘惑し、アリーチェから王太子妃の座を奪い取り。
 そういった策略を立てて動く手間暇も今は楽しいとイザベラは微笑む。
 そうして王太子妃となった暁には、ハインツを思うままに動かし、ハインツを通して国王まで……、という計画を立てているのだろうかと考えたアリーチェは、そこではたと気づく。
「……さっき、すでにこの国は乗っ取られかけてる、って……」
 クロムの言葉を思い出し、背中へ嫌な汗が滲んだ。
 思えば、前々からどことなく“違和感”のようなものを感じていたような気もする。
「はい。残念ながら、国王・王太子を始め、侍従・側近の半分以上はアレの支配下に置かれています」
「!」
 冷静な声色であっさりと肯定され、アリーチェの身体はあまりの動揺で震えた。
「……ハインツ殿下と、陛下も……?」
 ハインツに対し、どことなくおかしいと感じていたことを思い出す。
 イザベラの言いなりのような振る舞いは、恋に溺れるが故かと思い込んでいたのだが、本当は違ったのか。
 そしてまさか、すでに国王まで。
「……王太子が貴女と婚約を解消したのは、アレの魅惑魔術にかけられてしまっていたからでしょう」
 ハインツの意思というよりも、イザベラに操られて。
 魅惑の魔術をかけられていたためにイザベラに夢中になり、なんの罪悪感を抱くこともなくアリーチェを罠に嵌め、イザベラを妃にしようとした。
「恐らくはそこが始まりです」
 この国を掌握するために、まずは王太子から陥落させた。
 と。
「! 待って!? ほとんどの側近が、って……!」
 そこでまたハッとなったアリーチェからの追究に、クロムはくす、と苦笑した。
「アリーチェさんのお父上はさすがですね」
 国王の側近、と聞いてアリーチェが思い浮かぶのは、まず自分の父親だった。
 元々国王の側近の数はそれほど多くはない。そのほとんどが、と聞けば、すでに自分の父親もイザベラの手中に堕ちているのかと考えるのが普通だろう。
 だが、アリーチェの父親は。
「アリーチェさんとの婚約解消を機に遠ざけられていたようですが、本当の理由は婚約を解消したことではないでしょう」
 アリーチェがハインツの婚約者を降りたのち、王宮内でのアリーチェの父親の立場が少しばかり微妙になっていたような話はちらほらと小耳に入っていた。
 それは、国王やハインツがアリーチェの父親に対して後ろめたさや気まずさを感じて、ということなのかと思っていたのだが、本当の原因は違っていたらしい。
「恐らくは、アリーチェさんのお父様が国王たちの動きを怪しんでいるのに気づいて遠ざけたんです」
 どうやらアリーチェの父親が王宮内の不審に気づいて原因を探っていたらしいと聞いて目を見張る。
 もしかしたら、イザベラに目を付ける程度のところまではいっていたのかもしれない。
「大体間違ってはないけれど」
 僅かにむっとした様子のイザベラがアリーチェとクロムの会話に割って入ってきて、一歩前へ進み出る。
「おしゃべりはそこまでにして、そろそろいいかしら?」
「!」
 一気に緊張感が高まって、クロムからはぴりりとした空気が滲み出る。
「わかっているでしょう?」
 くす、と。イザベラの赤い唇が引き上がった意味。
「……ク、クロム……」
「大丈夫です」
 不安で揺れる瞳を向ければクロムの背に庇われて、心臓がきゅ、となる。
 守ってもらえることが嬉しいと感じる一方で、クロムが一度として自身の安否を約束してくれなかったことが恐ろしくて堪らない。
「逃がさないわ」
「――……っ!」
 直後、イザベラの身体からぶわりとした黒い気配が立ち上った。
 それは、どこかで知っているような……、アリーチェにかけられた呪いの毒々しさを思い起こさせるものだった。

「二人共、わらわの糧になるがよい……っ!」
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