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本編
第四十一話 手を取って③
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「……え……」
呆然と佇むアリーチェにちらりと視線を投げたイザベラは、わざとらしい不満を示して赤い唇を尖らせる。
「死体だなんて酷い言いようね? この身体、結構気に入っているのに」
ぷりぷりと怒ってみせながら、クロムへ「それに」とジトリとした目を向ける。
「死んでなんていないわよ? せめて仮死状態とでも言ってちょうだい」
「そんなことはどうでもいいんです」
だが、イザベラの細かい主張をばっさり切って捨てたクロムは、どこか苛立たしげな様子で艶やかなその顔を睨めつけた。
「貴女が用事があるのは俺でしょう? アリーチェさんは解放してください」
イザベラの視界から隠すようにアリーチェを背に庇うクロムへ、唇に指を添えたイザベラは意味深な笑みを浮かべる。
「ん~? そういうわけにもいかないのよねぇ……」
わざとらしくしみじみ呟き、イザベラはにこりと微笑う。
「私がどうしてその子に目をつけたと思っているの」
なんのためにわざわざこんな手の込んだ真似をしたと思っていると呟くイザベラの話は、アリーチェには全く意味がわからない。
クロムは全てわかっているようだが、一体二人はなんの話をしているのだろうか。
「この身体。それなりに使い勝手は良いし、気に入ってはいるのだけれど」
年若く美しい容姿と魅惑的な身体。
自分の身体を見せつけるようにしながらも、イザベラはクロムへにこりと微笑みかける。
「もっといい器を見つけちゃったら、新しいものにしたくなるじゃない?」
その瞬間、自分に向けられたわけではないというのに、ぞくりと冷たい寒気が走って、アリーチェは小さく身体を震わせた。
「この子、どうやら魔力はさっぱりだったみたいで。そこがずっと不満ではあったのよねぇ……」
魔術が衰退してしまった昨今、魔力そのものはあっても使えない者は多い。だが、イザベラは元々魔術を使える可能性を持っていなかったらしい。
「でも、その点、その子は私が求める条件にぴったりで」
にっこりと満足気な笑みを向けられて、アリーチェは今度こそ自分が感じている悪寒の正体に辿り着く。
イザベラが“その子”と笑う相手。
見た目はもちろんのこと、イザベラにない公爵令嬢という高い身分と魔力を持つ少女。
「欲しくなっちゃったのよねぇ……」
イザベラの瞳がじっとりと舐めるように見つめる身体の持ち主は。
「……あの……、クロム……?」
目の前の美しい女性からはとても想像できない、蛇の瞳と長い舌を思わせるイザベラの物言いに、アリーチェは震える指先で目の前の背中を掴んだ。
「俺から離れないでください」
イザベラから目を離すことなく告げられて、無言でこくりと小首を振る。
――狙われている。
クロムはもちろんのこと、アリーチェも。
二人の話は全く理解できないものの、自分たちへ向けられる明確な悪意だけは察して恐怖で身体が震えた。
“生きて帰れたら”と告げたクロムの言葉が決して誇張されたものではなかったことを、本能のようなものが察していた。
こんな恐怖は、自分にかけられた呪いを知った時でさえ感じなかった。
「アリーチェさんを人質に取らなかったのはそういうことですか」
「まぁ、それだけが理由ではないけれど」
アリーチェを人質に取られていたならこんなふうに自由が利かなかったと納得の疑問符を洩らすクロムに、イザベラは肩を竦めて苦笑する。
よくわからないが、アリーチェは別の利用価値があったがためにあの塔に閉じ込められていたらしい。
「だから、ね?」
「っ」
少しばかり妖艶に微笑んだだけだというにも関わらず、クロムの醸し出す緊張感にぴりりとした警戒が走ったのがわかった。
「ちょっと予定は狂ったけれど、やっぱり貴方には死んでもらわないとならないの」
楽しそうに告げ、イザベラは恍惚とした表情でちらりとアリーチェへ視線を投げてくる。
「絶望に身を染める人間の姿を見るのは、何度目にしてもぞくぞくするわぁ~」
イザベラが絶望させたい相手は、この場合アリーチェなのか、クロムなのか、それとも双方か。
「本当は、男たちに犯され尽くしたところでその男が死ぬ瞬間を見せてあげようと思っていたのだけれど」
「!」
うっとりと吐息をつくイザベラの言葉に息を呑む。
そういう意図があったから、イザベラはハインツへアリーチェの奉仕活動を願ったのか。
「まぁ、仕方ないわよね」
ちょっと詰めが甘かったわ。と溜め息を零すイザベラを前にして、未知への恐れからか指先が震えた。
「……ク、ロム……」
「大丈夫です。必ず守ります」
きゅ、と縋るようにクロムの服を握り締めれば落ち着いた声が返ってきて、唇にまで震えが感染する。
守る、という言葉の力強さに泣きたくなる。
その理由は。
「……クロムの命と引き換えに?」
「っ」
クロムが僅かに息を呑んだ気配が伝わって、アリーチェの瞳は大きく見開いた。
誰かに守られるという現実は、安心と同時にそれ以上の恐怖が同時に存在するということを初めて知った。
「……っそんなのは嫌よ……! いや……っ」
酷く冷静に。
とても落ち着いた様子で。
必ず守る、と。必ず呪いは解くからと約束してくれるクロムはとても力強くて頼れるけれど。
それがクロムを犠牲にすることを前提とした誓いならば、そんな約束はほしくない。
「……俺だって死にたくはありません」
そんなアリーチェに、クロムは「ですが」と困ったように苦笑する。
「さすがに力の差がありすぎまして」
殺人人形の比ではないと告げ、クロムはアリーチェへ申し訳なさげな笑みを向けてくる。
「相打ちが精一杯かと」
「……“力の差”、って……」
あれほど恐ろしい殺人人形を次から次へと壊しておきながら、それでもクロムが敵わないと判断するイザベラは一体何者なのだろう。
「っクロム……ッ!」
いい加減誤魔化さずに教えてほしいと、懇願と批難の混じった声を上げれば、クロムはイザベラへ警戒の目を向けながらも、観念したかのように唇を噛み締めていた。
「……彼女、は……、アレ、は……」
眉間に皺を寄せ、クロムは不本意そうに口を開く。
「……魔女です」
「……魔……、女……?」
魔女、というのは、お伽噺などに出てくるあの魔女のことだろうか。
基本的には恐ろしくて不気味な、この世の者とは思えない、人外の存在。
その、魔女が。
イザベラが魔女だと、そういうことなのか。
「古き時代の魔術師によって封印され、今世に甦った魔女」
「!」
ただ薄い微笑みを貼り付けているイザベラへ、クロムが確認するかのように鋭い目を向ける。
「そうですよね?」
と。
クロムの言葉を肯定するかのように、イザベラの赤い唇がニィィ……、と引き上がった。
呆然と佇むアリーチェにちらりと視線を投げたイザベラは、わざとらしい不満を示して赤い唇を尖らせる。
「死体だなんて酷い言いようね? この身体、結構気に入っているのに」
ぷりぷりと怒ってみせながら、クロムへ「それに」とジトリとした目を向ける。
「死んでなんていないわよ? せめて仮死状態とでも言ってちょうだい」
「そんなことはどうでもいいんです」
だが、イザベラの細かい主張をばっさり切って捨てたクロムは、どこか苛立たしげな様子で艶やかなその顔を睨めつけた。
「貴女が用事があるのは俺でしょう? アリーチェさんは解放してください」
イザベラの視界から隠すようにアリーチェを背に庇うクロムへ、唇に指を添えたイザベラは意味深な笑みを浮かべる。
「ん~? そういうわけにもいかないのよねぇ……」
わざとらしくしみじみ呟き、イザベラはにこりと微笑う。
「私がどうしてその子に目をつけたと思っているの」
なんのためにわざわざこんな手の込んだ真似をしたと思っていると呟くイザベラの話は、アリーチェには全く意味がわからない。
クロムは全てわかっているようだが、一体二人はなんの話をしているのだろうか。
「この身体。それなりに使い勝手は良いし、気に入ってはいるのだけれど」
年若く美しい容姿と魅惑的な身体。
自分の身体を見せつけるようにしながらも、イザベラはクロムへにこりと微笑みかける。
「もっといい器を見つけちゃったら、新しいものにしたくなるじゃない?」
その瞬間、自分に向けられたわけではないというのに、ぞくりと冷たい寒気が走って、アリーチェは小さく身体を震わせた。
「この子、どうやら魔力はさっぱりだったみたいで。そこがずっと不満ではあったのよねぇ……」
魔術が衰退してしまった昨今、魔力そのものはあっても使えない者は多い。だが、イザベラは元々魔術を使える可能性を持っていなかったらしい。
「でも、その点、その子は私が求める条件にぴったりで」
にっこりと満足気な笑みを向けられて、アリーチェは今度こそ自分が感じている悪寒の正体に辿り着く。
イザベラが“その子”と笑う相手。
見た目はもちろんのこと、イザベラにない公爵令嬢という高い身分と魔力を持つ少女。
「欲しくなっちゃったのよねぇ……」
イザベラの瞳がじっとりと舐めるように見つめる身体の持ち主は。
「……あの……、クロム……?」
目の前の美しい女性からはとても想像できない、蛇の瞳と長い舌を思わせるイザベラの物言いに、アリーチェは震える指先で目の前の背中を掴んだ。
「俺から離れないでください」
イザベラから目を離すことなく告げられて、無言でこくりと小首を振る。
――狙われている。
クロムはもちろんのこと、アリーチェも。
二人の話は全く理解できないものの、自分たちへ向けられる明確な悪意だけは察して恐怖で身体が震えた。
“生きて帰れたら”と告げたクロムの言葉が決して誇張されたものではなかったことを、本能のようなものが察していた。
こんな恐怖は、自分にかけられた呪いを知った時でさえ感じなかった。
「アリーチェさんを人質に取らなかったのはそういうことですか」
「まぁ、それだけが理由ではないけれど」
アリーチェを人質に取られていたならこんなふうに自由が利かなかったと納得の疑問符を洩らすクロムに、イザベラは肩を竦めて苦笑する。
よくわからないが、アリーチェは別の利用価値があったがためにあの塔に閉じ込められていたらしい。
「だから、ね?」
「っ」
少しばかり妖艶に微笑んだだけだというにも関わらず、クロムの醸し出す緊張感にぴりりとした警戒が走ったのがわかった。
「ちょっと予定は狂ったけれど、やっぱり貴方には死んでもらわないとならないの」
楽しそうに告げ、イザベラは恍惚とした表情でちらりとアリーチェへ視線を投げてくる。
「絶望に身を染める人間の姿を見るのは、何度目にしてもぞくぞくするわぁ~」
イザベラが絶望させたい相手は、この場合アリーチェなのか、クロムなのか、それとも双方か。
「本当は、男たちに犯され尽くしたところでその男が死ぬ瞬間を見せてあげようと思っていたのだけれど」
「!」
うっとりと吐息をつくイザベラの言葉に息を呑む。
そういう意図があったから、イザベラはハインツへアリーチェの奉仕活動を願ったのか。
「まぁ、仕方ないわよね」
ちょっと詰めが甘かったわ。と溜め息を零すイザベラを前にして、未知への恐れからか指先が震えた。
「……ク、ロム……」
「大丈夫です。必ず守ります」
きゅ、と縋るようにクロムの服を握り締めれば落ち着いた声が返ってきて、唇にまで震えが感染する。
守る、という言葉の力強さに泣きたくなる。
その理由は。
「……クロムの命と引き換えに?」
「っ」
クロムが僅かに息を呑んだ気配が伝わって、アリーチェの瞳は大きく見開いた。
誰かに守られるという現実は、安心と同時にそれ以上の恐怖が同時に存在するということを初めて知った。
「……っそんなのは嫌よ……! いや……っ」
酷く冷静に。
とても落ち着いた様子で。
必ず守る、と。必ず呪いは解くからと約束してくれるクロムはとても力強くて頼れるけれど。
それがクロムを犠牲にすることを前提とした誓いならば、そんな約束はほしくない。
「……俺だって死にたくはありません」
そんなアリーチェに、クロムは「ですが」と困ったように苦笑する。
「さすがに力の差がありすぎまして」
殺人人形の比ではないと告げ、クロムはアリーチェへ申し訳なさげな笑みを向けてくる。
「相打ちが精一杯かと」
「……“力の差”、って……」
あれほど恐ろしい殺人人形を次から次へと壊しておきながら、それでもクロムが敵わないと判断するイザベラは一体何者なのだろう。
「っクロム……ッ!」
いい加減誤魔化さずに教えてほしいと、懇願と批難の混じった声を上げれば、クロムはイザベラへ警戒の目を向けながらも、観念したかのように唇を噛み締めていた。
「……彼女、は……、アレ、は……」
眉間に皺を寄せ、クロムは不本意そうに口を開く。
「……魔女です」
「……魔……、女……?」
魔女、というのは、お伽噺などに出てくるあの魔女のことだろうか。
基本的には恐ろしくて不気味な、この世の者とは思えない、人外の存在。
その、魔女が。
イザベラが魔女だと、そういうことなのか。
「古き時代の魔術師によって封印され、今世に甦った魔女」
「!」
ただ薄い微笑みを貼り付けているイザベラへ、クロムが確認するかのように鋭い目を向ける。
「そうですよね?」
と。
クロムの言葉を肯定するかのように、イザベラの赤い唇がニィィ……、と引き上がった。
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