上 下
42 / 58
本編

第四十一話 手を取って③

しおりを挟む
「……え……」
 呆然と佇むアリーチェにちらりと視線を投げたイザベラは、わざとらしい不満を示して赤い唇を尖らせる。
「死体だなんて酷い言いようね? この身体、結構気に入っているのに」
 ぷりぷりと怒ってみせながら、クロムへ「それに」とジトリとした目を向ける。
「死んでなんていないわよ? せめて仮死状態とでも言ってちょうだい」
「そんなことはどうでもいいんです」
 だが、イザベラの細かい主張をばっさり切って捨てたクロムは、どこか苛立たしげな様子で艶やかなその顔をめつけた。
「貴女が用事があるのは俺でしょう? アリーチェさんは解放してください」
 イザベラの視界から隠すようにアリーチェを背に庇うクロムへ、唇に指を添えたイザベラは意味深な笑みを浮かべる。
「ん~? そういうわけにもいかないのよねぇ……」
 わざとらしくしみじみ呟き、イザベラはにこりと微笑わらう。
「私がどうしてその子に目をつけたと思っているの」
 なんのためにわざわざこんな手の込んだ真似をしたと思っていると呟くイザベラの話は、アリーチェには全く意味がわからない。
 クロムは全てわかっているようだが、一体二人はなんの話をしているのだろうか。
「この身体。それなりに使い勝手は良いし、気に入ってはいるのだけれど」
 年若く美しい容姿と魅惑的な身体。
 自分の身体を見せつけるようにしながらも、イザベラはクロムへにこりと微笑みかける。
「もっといい器を見つけちゃったら、新しいものにしたくなるじゃない?」
 その瞬間、自分に向けられたわけではないというのに、ぞくりと冷たい寒気が走って、アリーチェは小さく身体を震わせた。
「この子、どうやら魔力はさっぱりだったみたいで。そこがずっと不満ではあったのよねぇ……」
 魔術が衰退してしまった昨今、魔力そのものはあっても使えない者は多い。だが、イザベラは元々魔術を使える可能性を持っていなかったらしい。
「でも、その点、その子は私が求める条件にぴったりで」
 にっこりと満足気な笑みを向けられて、アリーチェは今度こそ自分が感じている悪寒の正体に辿り着く。
 イザベラが“その子”と笑う相手。
 見た目はもちろんのこと、イザベラ・・・・にない公爵令嬢という高い身分と魔力を持つ少女。
「欲しくなっちゃったのよねぇ……」
 イザベラの瞳がじっとりと舐めるように見つめる身体の持ち主は。
「……あの……、クロム……?」
 目の前の美しい女性からはとても想像できない、蛇の瞳と長い舌を思わせるイザベラの物言いに、アリーチェは震える指先で目の前の背中を掴んだ。
「俺から離れないでください」
 イザベラから目を離すことなく告げられて、無言でこくりと小首を振る。
 ――狙われている。
 クロムはもちろんのこと、アリーチェも。
 二人の話は全く理解できないものの、自分たちへ向けられる明確な悪意だけは察して恐怖で身体が震えた。
 “生きて帰れたら”と告げたクロムの言葉が決して誇張されたものではなかったことを、本能のようなものが察していた。
 こんな恐怖は、自分にかけられた呪いを知った時でさえ感じなかった。
「アリーチェさんを人質に取らなかったのはそういうことですか」
「まぁ、それだけが理由ではないけれど」
 アリーチェを人質に取られていたならこんなふうに自由が利かなかったと納得の疑問符を洩らすクロムに、イザベラは肩を竦めて苦笑する。
 よくわからないが、アリーチェは別の利用価値があったがためにあの塔に閉じ込められていたらしい。
「だから、ね?」
「っ」
 少しばかり妖艶に微笑んだだけだというにも関わらず、クロムの醸し出す緊張感にぴりりとした警戒が走ったのがわかった。
「ちょっと予定は狂ったけれど、やっぱり貴方には死んでもらわないとならないの」
 楽しそうに告げ、イザベラは恍惚とした表情でちらりとアリーチェへ視線を投げてくる。
「絶望に身を染める人間の姿を見るのは、何度目にしてもぞくぞくするわぁ~」
 イザベラが絶望させたい相手は、この場合アリーチェなのか、クロムなのか、それとも双方か。
「本当は、男たちに犯され尽くしたところでその男が死ぬ瞬間を見せてあげようと思っていたのだけれど」
「!」
 うっとりと吐息をつくイザベラの言葉に息を呑む。
 そういう意図があったから、イザベラはハインツへアリーチェの奉仕活動・・・・を願ったのか。
「まぁ、仕方ないわよね」
 ちょっと詰めが甘かったわ。と溜め息を零すイザベラを前にして、未知への恐れからか指先が震えた。
「……ク、ロム……」
「大丈夫です。必ず守ります」
 きゅ、と縋るようにクロムの服を握り締めれば落ち着いた声が返ってきて、唇にまで震えが感染する。
 守る、という言葉の力強さに泣きたくなる。
 その理由は。
「……クロムの命と引き換えに?」
「っ」
 クロムが僅かに息を呑んだ気配が伝わって、アリーチェの瞳は大きく見開いた。
 誰か・・に守られるという現実は、安心と同時にそれ以上の恐怖が同時に存在するということを初めて知った。
「……っそんなのは嫌よ……! いや……っ」
 酷く冷静に。
 とても落ち着いた様子で。
 必ず守る、と。必ず呪いは解くからと約束してくれるクロムはとても力強くて頼れるけれど。
 それがクロムを犠牲にすることを前提とした誓いならば、そんな約束はほしくない。
「……俺だって死にたくはありません」
 そんなアリーチェに、クロムは「ですが」と困ったように苦笑する。
「さすがに力の差がありすぎまして」
 殺人人形の比ではないと告げ、クロムはアリーチェへ申し訳なさげな笑みを向けてくる。
「相打ちが精一杯かと」
「……“力の差”、って……」
 あれほど恐ろしい殺人人形を次から次へと壊しておきながら、それでもクロムが敵わないと判断するイザベラは一体何者なのだろう。
「っクロム……ッ!」
 いい加減誤魔化さずに教えてほしいと、懇願と批難の混じった声を上げれば、クロムはイザベラへ警戒の目を向けながらも、観念したかのように唇を噛み締めていた。
「……彼女、は……、アレ、は……」
 眉間に皺を寄せ、クロムは不本意そうに口を開く。

「……魔女です」

「……魔……、女……?」
 魔女、というのは、お伽噺などに出てくるあの魔女のことだろうか。
 基本的には恐ろしくて不気味な、この世の者とは思えない、人外の存在。
 その、魔女が。
 イザベラが魔女だと、そういうことなのか。
「古き時代の魔術師によって封印され、今世に甦った魔女」
「!」
 ただ薄い微笑みを貼り付けているイザベラへ、クロムが確認するかのように鋭い目を向ける。
「そうですよね?」
 と。
 クロムの言葉を肯定するかのように、イザベラの赤い唇がニィィ……、と引き上がった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

悪役令嬢にされた令嬢は野獣王子に溺愛される!

ビッグベアー
恋愛
BLACK会社で無給の残業体の限界が来て私は通勤中に倒れそのまま意識が薄れ気づくと異世界のアリス・ラディッシュ公爵令嬢として生まれた。 そう私が唯一ハマった携帯ゲームの18禁乙ゲーの〈婚約破棄からの恋〉と言うなんとも分からないゲームだ。 ヒロインのアリスは王太子の婚約者でも悪役令嬢のせいで王太子と婚約破棄をされそこからゲームがスタートがファンの間に広まり私も同僚に進められやってハマった。 正直ヒロインは顔とかあまり出て来ないイベントでドキドキするような画像が出でくる位だから王太子との婚約まで気付くことはなかった。 恋や恋愛何てしたことがないから私は考え悪役令嬢を演じ婚約破棄まで我慢した…

憧れだった騎士団長に特別な特訓を受ける女騎士ちゃんのお話

下菊みこと
恋愛
珍しく一切病んでないむっつりヒーロー。 流されるアホの子ヒロイン。 書きたいところだけ書いたSS。 ムーンライトノベルズ 様でも投稿しています。

巨根王宮騎士の妻となりまして

天災
恋愛
 巨根王宮騎士の妻となりまして

引きこもり令嬢が完全無欠の氷の王太子に愛されるただひとつの花となるまでの、その顛末

藤原ライラ
恋愛
 夜会が苦手で家に引きこもっている侯爵令嬢 リリアーナは、王太子妃候補が駆け落ちしてしまったことで突如その席に収まってしまう。  氷の王太子の呼び名をほしいままにするシルヴィオ。  取り付く島もなく冷徹だと思っていた彼のやさしさに触れていくうちに、リリアーナは心惹かれていく。けれど、同時に自分なんかでは釣り合わないという気持ちに苛まれてしまい……。  堅物王太子×引きこもり令嬢  「君はまだ、君を知らないだけだ」 ☆「素直になれない高飛車王女様は~」にも出てくるシルヴィオのお話です。そちらを未読でも問題なく読めます。時系列的にはこちらのお話が2年ほど前になります。 ※こちら同じ内容で別タイトルのものをムーンライトノベルズにも掲載しています※

王女の朝の身支度

sleepingangel02
恋愛
政略結婚で愛のない夫婦。夫の国王は,何人もの側室がいて,王女はないがしろ。それどころか,王女担当まで用意する始末。さて,その行方は?

姉の夫の愛人になったら、溺愛監禁されました。

月夜野繭
恋愛
伯爵令嬢のリリアーナは、憧れの騎士エルネストから求婚される。しかし、年長者から嫁がなければならないという古いしきたりのため、花嫁に選ばれたのは姉のミレーナだった。 病弱な姉が結婚や出産に耐えられるとは思えない。姉のことが大好きだったリリアーナは、自分の想いを押し殺して、後継ぎを生むために姉の身代わりとしてエルネストの愛人になるが……。

騎士団長の欲望に今日も犯される

シェルビビ
恋愛
 ロレッタは小さい時から前世の記憶がある。元々伯爵令嬢だったが両親が投資話で大失敗し、没落してしまったため今は平民。前世の知識を使ってお金持ちになった結果、一家離散してしまったため前世の知識を使うことをしないと決意した。  就職先は騎士団内の治癒師でいい環境だったが、ルキウスが男に襲われそうになっている時に助けた結果纏わりつかれてうんざりする日々。  ある日、お地蔵様にお願いをした結果ルキウスが全裸に見えてしまった。  しかし、二日目にルキウスが分身して周囲から見えない分身にエッチな事をされる日々が始まった。  無視すればいつかは収まると思っていたが、分身は見えていないと分かると行動が大胆になっていく。  文章を付け足しています。すいません

【完結】【R18】伯爵夫人の務めだと、甘い夜に堕とされています。

水樹風
恋愛
 とある事情から、近衛騎士団々長レイナート・ワーリン伯爵の後妻となったエルシャ。  十六歳年上の彼とは形だけの夫婦のはずだった。それでも『家族』として大切にしてもらい、伯爵家の女主人として役目を果たしていた彼女。  だが結婚三年目。ワーリン伯爵家を揺るがす事件が起こる。そして……。  白い結婚をしたはずのエルシャは、伯爵夫人として一番大事な役目を果たさなければならなくなったのだ。 「エルシャ、いいかい?」 「はい、レイ様……」  それは堪らなく、甘い夜──。 * 世界観はあくまで創作です。 * 全12話

処理中です...