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本編
第三十八話 引き離された手②
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「そうだな。君は随分と浅はかな真似をした」
そこでやっとハインツの瞳がアリーチェを映し、冷たい眼差しが向けられた。
「将来の王太子妃とまで言われた君ともあろう者が、法を知らないわけではないだろう」
「っ、それは……っ」
確かに、アリーチェは知っていてクロムを止めなかった。
だが、そもそも正攻法を許さなかったのは王家の方だ。
ならば一体、アリーチェにどうしろというのだろう。
「本来は君も刑に処されるところだが……。どちらにせよ君はもう長くはないのだろう?」
「!」
淡々とした問いかけに、アリーチェは思わず息を詰める。
いくらアリーチェの存在が邪魔だったとはいえ、人間として、それが余命幾ばくもない者に向ける眼差しだろうか。
ハインツは元々少しばかり考えが足りずに先走ってしまうような熱い面もあったが、決して無能なわけではなかった。アリーチェとも想い合って結ばれた婚約ではなかったけれど、仕事上のパートナーとしては上手くいっていたはずだった。
(……ハインツ、様……?)
いくらなんでも、ハインツはそこまで無慈悲な人間ではないはずだ。
(なに、か……)
なにかが、おかしい。
第六感のようなものが違和感を伝えてくるものの、それがなんだかはわからない。
「よって、君の身分や以前私の婚約者として行ってきた働きを鑑みて、残された時間を奉仕活動に捧げることでマクラーゲン公爵家の方までは罪を問わないことにした」
家にまで罪が及ばないことに関してはほっとするものの、結局アリーチェに残された時間はそう長くないということか。
そしてその、長くはない時間を。
「……奉仕、活動……?」
「そうなんですよっ、アリーチェ様っ。みな様が揃って死刑だと口にするものですから、わたくし、さすがにお可哀想になってしまって」
一体なにをさせられるのだろうと妙なざわめきを覚えるアリーチェに対し、にこにことした笑顔を浮かべたイザベラが、ひょこっと横から顔を出す。
「つい、ハインツ様に減刑をお願いしてしまって」
「イザベラは優しいからな」
出過ぎた真似をしてしまったと恥ずかしそうに頬を染めるイザベラを、ハインツの甘い瞳が見下ろしているが、アリーチェには意味がわからない。
王太子の恋人とはいえ、ただの貴族令嬢でしかないイザベラの“おねだり”が、なぜこうも簡単に通ってしまうのか。
ハートマークを飛ばす二人を呆然と見つめるしかないアリーチェへ、イザベラはにっこり微笑みかけてくる。
「アリーチェ様、“娼婦”、ってご存知です? 殿方に身体でご奉仕する大変なお仕事ですわ……っ」
「……な……っ?」
言われたことの意味がわからず目を見開くアリーチェへ、イザベラは普通はなかなかできない“奉仕活動”だと笑顔を振り巻いて、鉄格子の向こうで一歩前へ進み出る。
「なかなか娼館に通えずにいろいろと溜まっている兵たちも多いでしょうから、まずはこちらの騎士団から奉仕活動を始められては、と思いまして、もう準備は進めておりますのっ」
「イザベラは有能で仕事が早いな」
「お褒めいただき光栄ですが、これくらい当然のことですわっ」
楽しそうにドレスの裾を翻しつつ振り向いて、イザベラはハインツへ笑顔を返す。
一見普通に話が進んでいるように見えるものの、この違和感はなんだろうか。
それらの二人のやりとりは、完全にイザベラが主導権を握っているようにしか思えない。
「時間も限られていることですし、アリーチェ様にはさっそく明日から頑張っていただければ、と思うのですけれどっ」
にこにこと笑うイザベラの真意が見えず、わけのわからない不気味さに身体がふるりと震えた。
「陛下も殿下もとてもお優しい方ですからっ。一週間しっかりご奉仕なさってみな様を癒してさしあげられた暁には、大罪人の処刑の席に立ち会わせてくださるそうですよっ?」
だから頑張ってくださいねっ? と笑顔で応援され、アリーチェはなによりも重要なことを思い出す。
「待って! クロムは!? クロムはどうしているの……っ!?」
この際自分の処遇などどうでもいい。どうせこのまま放置され続けていれば、数日中に呪いに喰い殺されるに違いない。
だが、クロムは。クロムだけは。
アリーチェの事情に巻き込んでしまったクロムだけは、なんとしても助けなければ。
「さぁ、な? 私の元には特になんの報告も来ていないが」
妙に緩慢な動作で「知らない」と肩を竦めるハインツの一方で、人差し指を可愛らしく顎に添えたイザベラは上目遣いで空を仰ぐ。
「兵たちからだいぶ手厚い洗礼を受けたような噂は耳にしましたけれど」
「――っ!」
とぼけた口調で告げてきたイザベラの言葉の意味。
罪人として牢に放り込まれた者が、兵たちの鬱憤を晴らす道具のように暴力を振るわれることがあるとはアリーチェも聞いたことがある。
(……そ、んな……)
屈強な兵士たちから殴る蹴るの暴力を受けているクロムの姿を想像してしまい、アリーチェの顔からはみるみると血の気が引いていく。
運動も筋肉も無縁なクロムがそんな暴力を受けたなら、骨折の一つや二つでは済まないだろう。
「なんでも、黙りを決め込んでいて陛下の問いかけになにもお答えにならなかったとか」
「!」
集団暴行の理由は、尋問の末の拷問に近いらしい。
国王がクロムからなにを聞き出したかったのかはわからないが、その結果不興を買い、ならば殺してしまえということに繋がったのだろうか。
「クロム、は……」
もはや無事ではないだろうが、怪我はどの程度のものなのか、きちんと手当はされているのだろうかと真っ青になるアリーチェへ、イザベラは「あら」と不思議そうに目を丸くする。
「アリーチェ様はご自分の心配をなさった方がよろしいのでは? あと一週間もつかどうかはわからないじゃないですか」
クロムの処刑を見守る前に自身の方が先に逝ってしまうのではないかと笑われても、イザベラのわざとらしい同情などもはや耳に入ってこない。
「ご自分が招いた結果とはいえ、このようなことになってしまって、本当に残念ですわ」
大袈裟に肩を落としてみせたイザベラは、そう言って大きな溜め息を吐き出した。
その後も一言二言なにかを告げられたような気もするが、クロムのことだけで頭がいっぱいいっぱいだったアリーチェは、なにを言われたのか覚えていない。
(クロム……ッ!)
ただ、遠ざかっていく二種類の足音を遠いどこかで聞きながら、アリーチェは絶望に打ちひしがれていた。
そこでやっとハインツの瞳がアリーチェを映し、冷たい眼差しが向けられた。
「将来の王太子妃とまで言われた君ともあろう者が、法を知らないわけではないだろう」
「っ、それは……っ」
確かに、アリーチェは知っていてクロムを止めなかった。
だが、そもそも正攻法を許さなかったのは王家の方だ。
ならば一体、アリーチェにどうしろというのだろう。
「本来は君も刑に処されるところだが……。どちらにせよ君はもう長くはないのだろう?」
「!」
淡々とした問いかけに、アリーチェは思わず息を詰める。
いくらアリーチェの存在が邪魔だったとはいえ、人間として、それが余命幾ばくもない者に向ける眼差しだろうか。
ハインツは元々少しばかり考えが足りずに先走ってしまうような熱い面もあったが、決して無能なわけではなかった。アリーチェとも想い合って結ばれた婚約ではなかったけれど、仕事上のパートナーとしては上手くいっていたはずだった。
(……ハインツ、様……?)
いくらなんでも、ハインツはそこまで無慈悲な人間ではないはずだ。
(なに、か……)
なにかが、おかしい。
第六感のようなものが違和感を伝えてくるものの、それがなんだかはわからない。
「よって、君の身分や以前私の婚約者として行ってきた働きを鑑みて、残された時間を奉仕活動に捧げることでマクラーゲン公爵家の方までは罪を問わないことにした」
家にまで罪が及ばないことに関してはほっとするものの、結局アリーチェに残された時間はそう長くないということか。
そしてその、長くはない時間を。
「……奉仕、活動……?」
「そうなんですよっ、アリーチェ様っ。みな様が揃って死刑だと口にするものですから、わたくし、さすがにお可哀想になってしまって」
一体なにをさせられるのだろうと妙なざわめきを覚えるアリーチェに対し、にこにことした笑顔を浮かべたイザベラが、ひょこっと横から顔を出す。
「つい、ハインツ様に減刑をお願いしてしまって」
「イザベラは優しいからな」
出過ぎた真似をしてしまったと恥ずかしそうに頬を染めるイザベラを、ハインツの甘い瞳が見下ろしているが、アリーチェには意味がわからない。
王太子の恋人とはいえ、ただの貴族令嬢でしかないイザベラの“おねだり”が、なぜこうも簡単に通ってしまうのか。
ハートマークを飛ばす二人を呆然と見つめるしかないアリーチェへ、イザベラはにっこり微笑みかけてくる。
「アリーチェ様、“娼婦”、ってご存知です? 殿方に身体でご奉仕する大変なお仕事ですわ……っ」
「……な……っ?」
言われたことの意味がわからず目を見開くアリーチェへ、イザベラは普通はなかなかできない“奉仕活動”だと笑顔を振り巻いて、鉄格子の向こうで一歩前へ進み出る。
「なかなか娼館に通えずにいろいろと溜まっている兵たちも多いでしょうから、まずはこちらの騎士団から奉仕活動を始められては、と思いまして、もう準備は進めておりますのっ」
「イザベラは有能で仕事が早いな」
「お褒めいただき光栄ですが、これくらい当然のことですわっ」
楽しそうにドレスの裾を翻しつつ振り向いて、イザベラはハインツへ笑顔を返す。
一見普通に話が進んでいるように見えるものの、この違和感はなんだろうか。
それらの二人のやりとりは、完全にイザベラが主導権を握っているようにしか思えない。
「時間も限られていることですし、アリーチェ様にはさっそく明日から頑張っていただければ、と思うのですけれどっ」
にこにこと笑うイザベラの真意が見えず、わけのわからない不気味さに身体がふるりと震えた。
「陛下も殿下もとてもお優しい方ですからっ。一週間しっかりご奉仕なさってみな様を癒してさしあげられた暁には、大罪人の処刑の席に立ち会わせてくださるそうですよっ?」
だから頑張ってくださいねっ? と笑顔で応援され、アリーチェはなによりも重要なことを思い出す。
「待って! クロムは!? クロムはどうしているの……っ!?」
この際自分の処遇などどうでもいい。どうせこのまま放置され続けていれば、数日中に呪いに喰い殺されるに違いない。
だが、クロムは。クロムだけは。
アリーチェの事情に巻き込んでしまったクロムだけは、なんとしても助けなければ。
「さぁ、な? 私の元には特になんの報告も来ていないが」
妙に緩慢な動作で「知らない」と肩を竦めるハインツの一方で、人差し指を可愛らしく顎に添えたイザベラは上目遣いで空を仰ぐ。
「兵たちからだいぶ手厚い洗礼を受けたような噂は耳にしましたけれど」
「――っ!」
とぼけた口調で告げてきたイザベラの言葉の意味。
罪人として牢に放り込まれた者が、兵たちの鬱憤を晴らす道具のように暴力を振るわれることがあるとはアリーチェも聞いたことがある。
(……そ、んな……)
屈強な兵士たちから殴る蹴るの暴力を受けているクロムの姿を想像してしまい、アリーチェの顔からはみるみると血の気が引いていく。
運動も筋肉も無縁なクロムがそんな暴力を受けたなら、骨折の一つや二つでは済まないだろう。
「なんでも、黙りを決め込んでいて陛下の問いかけになにもお答えにならなかったとか」
「!」
集団暴行の理由は、尋問の末の拷問に近いらしい。
国王がクロムからなにを聞き出したかったのかはわからないが、その結果不興を買い、ならば殺してしまえということに繋がったのだろうか。
「クロム、は……」
もはや無事ではないだろうが、怪我はどの程度のものなのか、きちんと手当はされているのだろうかと真っ青になるアリーチェへ、イザベラは「あら」と不思議そうに目を丸くする。
「アリーチェ様はご自分の心配をなさった方がよろしいのでは? あと一週間もつかどうかはわからないじゃないですか」
クロムの処刑を見守る前に自身の方が先に逝ってしまうのではないかと笑われても、イザベラのわざとらしい同情などもはや耳に入ってこない。
「ご自分が招いた結果とはいえ、このようなことになってしまって、本当に残念ですわ」
大袈裟に肩を落としてみせたイザベラは、そう言って大きな溜め息を吐き出した。
その後も一言二言なにかを告げられたような気もするが、クロムのことだけで頭がいっぱいいっぱいだったアリーチェは、なにを言われたのか覚えていない。
(クロム……ッ!)
ただ、遠ざかっていく二種類の足音を遠いどこかで聞きながら、アリーチェは絶望に打ちひしがれていた。
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