呪いをかけられて婚約解消された令嬢は、運命の相手から重い愛を注がれる

姫 沙羅(き さら)

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本編

第二十七話 王都にて③

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「アリーチェさん……! 待ってください……!」
 後方から響く声を無視して、アリーチェは停車場に向かってすたすたと歩いていた。
「アリーチェさん!」
「……」
 久しぶりのしっかりとしたドレス姿は動き難い上に、淑女として走るわけにもいかない。少しだけ息を切らしたクロムにすぐに追いつかれ、アリーチェはせめて、と、目を合わせないまま沈黙する。
 どうせ、目的地は同じだ。マクラーゲン公爵家の馬車がすぐそこにある以上、もうクロムからは逃げられない。
「なにか、怒ってます?」
「……別に、怒ってなんかないわ」
 そう……、怒ってなんていない。そもそも、怒る理由がどこにあるというのだろう。
 ただ、少し……。なんだかよくわからないが、ほんの少しだけ苛々するだけで。
「嘘ですね。怒っているでしょう」
 仕方がない人ですね。とでも言いたげに苦笑され、苛立ちはさらに募っていく。
「……っだから、知らないわよっ、そんなこと……!」
 あの日が近いせいだろうか。つい、そんなことを思ってしまう。
「イザベラ様はどうしたの!? 家に招かれたんじゃなかったの!?」
 イザベラと話すクロムを見たくなくて。だから置いてきたのだ。
 アリーチェとクロムの間には一種の雇用契約のようなものはあるものの、クロムの自由まで制限するものではない。
「だとしても、どうして俺が行くと思うんです」
「どうして、って……!」
 不思議そうに尋ねられ、アリーチェの瞳は泣きそうに揺らめいた。
 アリーチェよりもイザベラの方が女性的魅力があることは明白だ。
 だから、ハインツもアリーチェではなくイザベラに惹かれた。
 あの時は単純にショックを受けただけだったけれど、今はその比ではない。胸が、締め付けられるように痛くて。
「……っ、……?」
 ぎゅぅぅ……、と。心臓が押し潰されるような感覚を覚え、アリーチェは咄嗟に胸を掴んだ。
「……アリーチェさん?」
「……っ、胸、が……っ」
 突然、呼吸の仕方がわからなくなって息が詰まる。
 心臓がドクドクと異様な鼓動を刻み、指先が震えた。
「……か、は……っ」
 じとりとした脂汗のようなものが滲み出し、頭が締め付けられるように痛くなる。
「……は……っ?」
「!」
 真っ青な顔になり、そのまま倒れてしまいそうなアリーチェの様子に目を見開いたクロムは、すぐにアリーチェの膝裏に腕を回すと決して軽くはない身体を抱き上げた。
「ちょっと失礼します……っ」
 急いで馬車まで運ぶとアリーチェを横たえ、問答無用で胸元を開いていく。
「……っ」
「! 文様が……!」
 そうしてそこで咲き誇る毒々しい華の文様を目にしたクロムは、驚いたように息を呑んでいた。
「……は……っ」
 ままならない呼吸の中。つられてチラ、と落とした視線の先。満開に近い華々の姿と、今まさに喉まで伸びていく蔓の成長に、苦しさもあってアリーチェの瞳には涙が浮かぶ。
「……ク、ロム……?」
 止まっていた呪いの時間が動き出したことは明確で、アリーチェは目の前でゆっくりと花開いていく呪いの文様を見つめながら、タイムリミットが近いことを理解した。
「……くる、し……っ。私……っ、も、ぅ……?」
「死なせることだけは絶対にないと約束したでしょう!」
 強く断言するクロムの姿が、涙でじわり、と滲んだ。
「で、も……」
 そんなことを言われても、もうダメかもしれない。アリーチェは絶望と諦めから瞼を落としかけ――……。
「っんぅ……っ!?」
 突然塞がれた唇に、さらに苦しくなって目を見開いた。
「ん……っ、んっ、んぅ……っ、んんん……っ!?」
 性急に唇を割られ、すぐにクロムの舌が入り込んでくる。
「は……っ、ん……っ、ん、ふ、ぅ……っ」
 執拗に舌と舌とを絡まされ、口の中に唾液が溢れ出す。
 それを、クロムの舌先が器用にアリーチェの喉の奥に注ぎ込んできて。
「ん……っ」
 こくり、と喉が鳴り、アリーチェは抵抗することもなく混じり合った二人分の唾液を飲み込んでいた。
「……ぁ……、ク、ロム……ッ」
 それは、相変わらず甘くて。
 くらり、と酩酊するような感覚は、死神に誘われているからなのか、口づけに酔っているからなのかわからない。
 ただ、渇きを水で満たすような感覚に、「足りない」となにかが叫ぶ。
「とりあえず応急処置です」
「?」
 唇を離したクロムに真剣な表情で告げられても意味はわからない。
 けれど、今のアリーチェにとって、そんなことはどうでもいいことだった。
「……も、っと……」
 もっと、ほしくて。
 全然、足りなくて。
 なにかが枯渇した身体は、クロムから与えられるその“なにか”を切望していて。
「もっと……っ、して……っ」
 自らクロムの首の後ろに腕を回してキスを強請れば、クロムは苦々しく顔を歪ませる。
「……そんなことを言って、本当にどうなっても知りませんよ?」
 本意ではない、とでも主張したげなクロムの様子にはズキリと胸が痛んだけれど、そんなことを気にしてはいられなかった。
「いい、から……っ」
 潤んだ瞳で懇願すれば、すぐに唇は重なった。
「ん……っ、ん……」
 口腔内をまさぐってくるクロムの舌の動きにぞくぞくとした感覚を覚えながら、自らも必死に舌を絡ませる。
「ん……っ、ん……っ」
 もっと、もっと……、と、貪るように舌を絡ませ、溢れる唾液を一滴も溢さないよう、コクリ、コクリ、と喉を鳴らして呑み込んだ。
 甘くて、甘くて。
 からからに乾いた喉が満たされていくような感覚に、夢中になってクロムに縋りつく。
「……は……っ、ぁ……っ、ク、ロム……ッ」
 深くて長い口づけに、小休憩を入れるように唇を浮かせれば、アリーチェの瞳はとろん……、と完全に蕩けていた。
「……気持ち、ぃ……」
 あの時の感覚が蘇り、アリーチェは無意識に甘い吐息を零す。
 全身がふわふわとした感覚に満たされて、思考回路が緩慢になり、なにも考えられなくなってくる。
 残った感覚は、ただクロムに触れてほしい、という想いだけ。
「クロ……」
「……少し、退化しましたか?」
 だが、続きを強請るように蕩けた表情を浮かばせるアリーチェを、クロムは真剣な瞳で見下ろしてくる。
 否。実際は、じ、と観察するかのようにアリーチェの肌に咲く毒々しい華の文様を見つめていて。
「え……?」
 独り言のようなクロムの呟きに胸元へ視線を落とせば、そこでは先ほど確かに咲いていた華が蕾の状態にまで戻っていて、アリーチェは呆然とした声を洩らしていた。
「……どうして……」
「すみません。詳しくは後です」
 神妙な顔をしたクロムが僅かな緊張を漂わせながら再度唇を近づけてきて、アリーチェはきょとん、とした大きなを返す。
「今は、時間が」
「? ん……っ」
 うやむやにするかのように唇を塞がれて、それでもくらくらとする甘さには逆らえない。
「ん……っ、ん、んぅ……っ、ん、ふ……ぁ……」
 急くように何度も何度も角度を変えて口づけられ、その度にくちゅり……っ、くちゅ……、という水音が耳に届いてぞくぞくする。
「ふ……っ、ぁ……っ」
 アリーチェの白い喉が艶めかしく唾液を飲み干して、甘い吐息が零れ落ちる。
「……は、ぁ……っ」
「アリーチェさん」
 と。
 ふいに唇を離したクロムが超至近距離からアリーチェを射貫いてきて、その瞳の真剣さに、とろん、としつつもアリーチェはなにかあったのかと眉を寄せる。
「?」
「俺の傍から絶対に離れないでくださいね?」
「……え……っ?」
 その直後。
 はだけていた服をいつの間に戻していたのか、再度アリーチェを抱き上げたクロムが人一人を抱えているとはとても思えない身軽さで馬車を飛び出していき、アリーチェは咄嗟にクロムの胸元へ縋りつく。
「ちょ……っ、クロ……ッ」
 一体、なにが起こっているというのだろう。
 だが。
 アリーチェを抱えたまま停車場を走り抜けるクロムを追うようにして近づいてくる黒い影があり、アリーチェはぎくりと肩を強張らせる。明らかに不審な動きをしているというのに、警備兵の誰一人として気にしている様子はない。
 そのまま軽やかな動きで停車場の傍にある小さな雑木林へと足を踏み入れたクロムは、アリーチェを腕に抱いたまま真横へ腕を走らせた。
 ――ひゅ……っ!
 と風を切る音が鳴り、なにかがなにかに突き刺さるような軽い衝撃音がして、アリーチェは反射的にそちらだと思う方向へと振り返る。
「!?」
 そしてそこにいた……、あったのは。
「え……?」
 人の形をしながらも人ではないもの。
 糸のない操り人形を思わせるような真っ黒な影に、アリーチェの瞳は大きく見開いた。
「殺人人形です」
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