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本編

第二十四話 夢の時間から覚める時②

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 初めてのあの日以来。それ以上のことは決してしてこないくせに、触れるだけのキスであれば毎日のようにされている。
「……そんなこと、初めて言われました」
 ことり、と。純粋な疑問を口にして小首を傾げたアリーチェに、クロムの瞳は驚いたように丸くなる。
「そうなの? てっきり……」
「というか」
 意外と甘えたな部分が垣間見えるクロムのことだから、と出しかけたアリーチェの推測は、すぐに途中で遮断され、
「貴女が初めてなので」
「……っ!?」
 眼鏡の奥の瞳に真っ直ぐ射貫かれ、アリーチェは驚愕に息を呑む。
「恋人がいたことがあるように見えます?」
「……見えないわね」
 冷静に向けられた問いかけに、一瞬の沈黙の後に頷いた。
 “研究が恋人だ”と誰かが言っていたことを思い出す。
 それが決して誇張されたものではないことを、アリーチェはこの一カ月強でよく理解している。
 若い頃からこんな生活をしていたのなら、恋人はおろか友人と呼べる存在すらいるかどうか怪しいレベルだ。
「正解です」
 淡々と肯定され、喜んでいいのかもわからず困惑する。
 ただ、妙に胸がそわそわどきどきして。
「……それ、って……」
 アリーチェ自身、なにを言いかけたのかわからない。
 けれど、その時。
「一度、一緒に王都へ戻ってもらえませんか」
「……え?」
 突然すぎる話題転換に、アリーチェは言われたことの意味がわからず固まった。
「言ったでしょう? 魔石の解析がほぼ終わったと」
 確かに、先ほどそんなことを聞いたような気がする。
「その結果、いくつか確認したいことができまして」
 すぐには思考を回復できずにただクロムを見つめるだけのアリーチェは、淡々とした説明を聞くでもなく耳にする。
「恐らく、呪いを解く鍵は古代遺跡の中にあります」
「……!?」
 そうして最終的に告げられた結論に、アリーチェの瞳は呆然と見開いた。
 この世界には、古き時代の遺跡があちらこちらに存在しており、それらはそれぞれの国の王家の元で厳重に管理されている。
「……だから、王都に……?」
「はい」
 古代遺跡に行くともなれば、正式な申請と王からの直接の許可が必要になる。そのためには当然、クロム自ら王都に足を運ばなければならない。
 アリーチェの解呪に関しては国王も協力の姿勢を見せてくれてはいるが、それでも許可が下りるまでにどれくらいの時間が必要とされるだろう。
 その時。

「ちょっと待った!」
 それぞれの作業をこなしつつも耳だけは二人の話に傾けていたらしい中年男性から、突然の制止の声が上がった。
「なんですか。藪から棒に」
 長年の同僚だろう男性へ、クロムは仄かに眉を顰めた顔を向ける。
「つまり、その間オレたちの飯は!」
「僕らのご飯はどうするんですか!」
 ガタリカタリと音がして、次々と立ち上がった研究員たちの訴えに、アリーチェは思わず身を引いた。
「……人命より食事の心配ですか……」
 この場合、クロムのその突っ込みが一番正しい答えだろう。だが、どうにも鬼気迫った彼らの勢いに、アリーチェなどはついつい当初の目的を忘れかけてしまいそうになる。
「そんなことがあるはずないだろう!」
「そうですよ! そんな薄情な!」
「アリーチェさんに死なれたら、これから先ずっと不味いご飯を食べなくちゃならなくなるんですよ!?」
 クロムに向かって次々と非難の声を上げる彼らは、アリーチェの呪いのことを忘れていたわけではなかったらしい。
 アリーチェに死なれては困ると本気で思っている理由に関しては、いろいろと反論や主張をしたい部分がなくもなかったが……、とりあえず今は止めておく。
「……王都から、料理人を派遣させるから……」
 確かに彼らの食事事情は深刻な問題だ。
 つい不憫に思ってしまい、打開策を提案すれば、彼らの顔には希望の光が戻ってくる。
「! 料理人……!」
「プロの……!?」
 美味しい食事への期待から、キラキラと瞳を輝かせる彼らの姿に、アリーチェの口元には苦笑が浮かんだ。
 彼らの現金な言動には腹が立ってもいいはずなのに、不思議と憎めないから困ってしまう。ここに来てから一ヶ月強。アリーチェも随分とこの環境に感化されてしまっているようだった。
「私としてはクロムを研究室ここから借りてしまっているようなものだもの。お詫びというわけではないけれど……、それくらいのことはさせてもらうわ」
 アリーチェがここに来てからというもの、クロムの時間は呪いの解析だけに使われている。つまりその間、他の研究しごとは他の研究員たちが負っているということで。
 正式な“依頼”をした以上、きちんとした謝礼は出すつもりでいたが、他の研究員たちに対する心遣いも必要だろう。
 こうなると、本腰を入れて料理人を探さなければならないかもしれない。それこそ、ずっと研究施設ここで腕を奮ってもいいと言ってくれるような料理人を。
 公爵家から正式に遠方手当を上乗せした報酬を出すということで募集したなら、名乗り出る者がいるだろうか。
 そうなれば、アリーチェがいなくなった後も安心だ。
「でも!」
 アリーチェのそんな思惑を察したのだろうか。
「絶対に帰ってきてくださいよ!?」
 まだ年若い、恐らくはクロムと同じか少し上くらいの青年から力強く訴えられ、アリーチェの目は丸くなる。
「……え……、いえ……、それは……」
 元々アリーチェが研究施設ここに留まっていたのは、呪いを解いてもらうためだ。
 王都に戻り、そのまま解呪に成功したなら、もうここには用事はない。つまり、ここで彼らと別れたならば、アリーチェが戻ってくる必要はないわけで。
「クロム! ちゃんと連れ帰ってくるんだぞ!?」
 今度は別の中年男性がクロムの方へ向き直り、説教じみた声を上げる。
「それは……、アリーチェさんの意思もありますし」
 ぼそぼそと困ったように言葉を返す独特な喋り方は、いつものクロムだ。
「なに言ってんだ! 新婚旅行ハネムーン離婚する気か!?」
 王都行きは旅行ではなく解呪のためなのだが、すでに忘れているのか、いつの間にか彼らの中で変換されてしまっているのか、どちらだろう。
「嫁だろう!」
「しっかり掴まえとけ!」
 やれ新婚旅行だ離婚だとか全く意味がわからない。
「誰が誰の嫁ですか……!」
 クロムに向かって次々と上がる批難の声に、アリーチェの盛大な突っ込みが入った。
 前々から思っていたが、いつの間にかクロムの嫁扱いをされているのはなぜなのだろう。
「え。違うんですか?」
 驚いたような目と疑問符を向けられて、くらりとした眩暈に襲われる。
 彼らは、本気だ。
 けれど。
「どうしてそうなるんですか……っっ!」
 アリーチェの叫びは、その場にいる誰一人として刺さりそうになかった。
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