上 下
12 / 58
本編

第十一話 余命五日の初夜①

しおりを挟む
 気づけば三食のご飯を作る時以外には、研究室に籠っているクロムの傍で読書をしたり編み物をしてみたり、時には真剣なその横顔をこっそり観察してみたり……、という生活が当たり前になってしまっていた。
 読書は元々嫌いではなかったが、編み物や縫い物に関して言えば、貴族令嬢の嗜みとして一通り覚えた程度でそこまで好きではなかったのだが、ここに来て研究員たちの個人的な物を繕っているうちにいつの間にか好きな作業の一つになりつつあった。
 簡単なボタン付けから始まり、穴の開いたズボンなどを修復するたびにあまりにも喜ばれるものだから、悪い気はしなくなり、つい調子に乗ってしまう。
 このままクロムの嫁に……、と大騒ぎをすることだけは止めてもらいたいが、なんだかんだと今も誰かの繕い物をしている最中だったりする。
 ひたすら呪いの宝石の分析に没頭するクロムとは相変わらず会話らしい会話はないままだが、居心地の悪さを感じたことは一度もないから不思議だった。
 むしろ。
(……楽、なのよねぇ……)
 筆頭公爵家の令嬢として。王太子の婚約者として。ずっと弱味を見せることのできない緊張した生活を続けてきたせいか、肩肘を張らないこの生活をアリーチェは案外と気に入っていた。
 慣れてくればクロムに食事を与えながらこっそりとその真剣な横顔を眺めるひと時も好きになってしまっていて、自然と肩の力が抜けているのを感じる。
 さらには、一度だけクロムがなにかを思い立った時にアリーチェが食事の準備をしていて傍に居なかったことがあるのだが、その時のいじけたような表情は今でも忘れらない出来事になっている。
 そんな二人の姿に周りの研究員たちからは「らぶらぶだねぇ~」などという野次が飛んできたものの、それは綺麗に黙殺した。
 いつの間にかクロムの面倒を見るのはアリーチェの役目のように認識されているが、それは呪いが解けるまでの期間限定だ。
 呪いが解けた暁には、王都の公爵家に戻って――……。
(……戻って……? それで私はどうするの……?)
 婚約を解消されたのは、アリーチェが種類も解呪方法もわからない呪いにかかったからだ。
 だからといって、呪いが解けた後に婚約者の立場に舞い戻ることができるかといえばそうは思えない。
 ハインツは表面上ではアリーチェの解呪を待つと言ってくれていたが、本音では恋人であるイザベラと一緒になりたいと思っているのだろうから。
(……お父様が見つけてきた顔も知らない男性ひとの元へ嫁ぐの……?)
 アリーチェは、筆頭公爵家のご令嬢。王太子に婚約を解消されたいわくつきの女だからといっても、妻にと望む貴族子息は多いだろう。
 けれどきっと、そんな過去を持つ女性を本当の意味で愛し大切にしてくれる人はいないに違いない。
 形ばかりは妻として扱ってくれてはいても、愛人を持たれたり他に本命がいたりと、冷遇される未来しか見えてこない。
(だったら……)
 ふ、とクロムの方へと瞳を向け、その直後、ふいに顔を上げたクロムとばっちり視線が合ってしまい、アリーチェは思い切り動揺してしまう。
「な……っ、なななな……、なに……っ?」
 自分がなにを考えかけていたかなど一瞬にして吹き飛んで、裏返った声でクロムへ問いかける。
 と。
「ちょっと、お話があります」
 とうの昔に夕食は終わっていて、すでに研究室内にはクロムとアリーチェしか残っていなかった。
 妙に真剣な顔つきと声色をしたクロムの様子に、アリーチェは嫌な予感を覚えてこくりと小さく息を呑む。
「……な、なに?」
 なにか、嫌な報せだろうか。
 思わず身構えるアリーチェへ、クロムの淡々とした声が届く。
「残念なご報告なのですが、覚悟して聞いてもらってもいいですか?」
「っ」
 覚悟、という言葉を聞いた途端、びくりと肩が反応した。
(……ま、さか……)
 やはり、解呪は無理、という話なのだろうか。
 だが。
「その呪い、なんとかなりそうです」
「…………え……っ?」
 それはむしろ喜ばしい報告なのではないだろうか。
 けれど呆気に取られたアリーチェへ向けられるクロムの表情は真剣そのもので、アリーチェは自分はなにか聞き間違いをしただろうかとぱちぱちと瞳を瞬かせる。
「ですが」
 クロムが“残念”と前置きした理由。
「圧倒的に時間が足りません」
「……え……」
「正攻法で臨むと、呪いの発動の方が先にきてしまいます」
「!」
 ここで、やっとアリーチェはクロムが“残念な報告”だと言った意味を理解した。
 呪いを解く方法はわかった。だが、その辺りの事情はよくわからないが、呪いを解くために必要な環境を整えるための時間がタイムリミットまでに足りないのだ。
「っだったら……!」
 自分はどうなってしまうのだろうと、じわりと涙が滲んだ。
「はい。すみません」
「そんな……っ」
 あっさりと謝られ、泣き出したくなってしまう。
「……だって……、約束……」
 絶対に死なせないと約束してくれたのに。
 死ぬようなことだけは絶対にないと、そう強く断言してくれたのに。
 それなのに。
「はい。解呪はできずとも貴女の命を救う方法が、あるにはあります」
 そこであっさりと告げられて、呆気に取られたアリーチェの瞳からは涙が引っ込んだ。
「……は……」
「ただ、あまりお勧めできない方法なだけで……」
 そういえば、以前そんなようなことを聞かされていたことを思い出す。
 できる限り取りたくはない、最後の手段があるにはあるのだと。
「方法としては、呪いを解くのではなく、ただ呪いを一時的に抑えるだけのものになります」
 すでにアリーチェの身体に浮かんだ蔦の文様は、脚と腕の付け根部分にまで広がっていた。
 最初一つだった華は大輪の華を咲かせつつあり、蕾も花開き、新たな蕾さえできている。
 それを、“消す”のではなく、ただ成長を“止める”だけ。
「正攻法に行きつくまでそうやって呪いの発動を伸ばす、というのが最後の手段です」
 根本的な解決には繋がらないが、呪いの発動を一時的に止めることによって命のタイムリミットを伸ばすのだとクロムは口にした。
 定期的にその手段を用いれば、理論上はずっと呪いを発動させずに済むことにはなる。
「……抑える……」
 そんなことが……。と呆然とした呟きを洩らすアリーチェに、クロムは神妙な面持ちで頷いた。
「古代魔道具を使います。俺以外では誰もできない方法だと断言します」
 そんなふうに言われても、なぜだかクロムを疑う気持ちは微塵たりとも浮かばなかった。
 クロムがそう言うからにはきっとそうなのだろう。
 この広い世界のどこを探しても、きっと、クロム以外にアリーチェの呪いを解ける人間などいない。
 なぜか、そんな確信があった。
「俺が今までこの手段を取ろうとしなかったことには理由がありまして」
 元々クロムは、これが“最後の手段”なのだと言っていた。
 ぎりぎりまでアリーチェに伝えなかったことには、もちろんそれなりの理由があるに違いない。
「……なに?」
 覚悟を決めて先を促したアリーチェを、クロムが真っ直ぐ見つめてくる。
「副作用が出る可能性が高いです」
 命にかかわるようなものではないものの、身体へなにかしらの影響が出る可能性を示唆されて、アリーチェは一瞬息を呑みこんだ。
 だが。
「っ、かまわないわ!」
 死ぬことに比べれば、数日間高熱に浮かされようが身体に痺れが残ろうがかまわない。
 どうせもう、あの頃の自分には戻れない。
 例え明るい未来など訪れなくとも、死にたくない、と思うことだけは本能だった。
「女は度胸よ!」
 クロムに会うために、家を飛び出してきたあの時のように。
「やってちょうだい……!」
 誰かに命を預けなければならないのなら、その相手はクロムがいい。
 すぐにでも始めましょうと告げれば、クロムが少しばかり驚いたように目を丸くしたのがおかしくて、アリーチェは思わずくすくすと微笑わらってしまっていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

悪役令嬢にされた令嬢は野獣王子に溺愛される!

ビッグベアー
恋愛
BLACK会社で無給の残業体の限界が来て私は通勤中に倒れそのまま意識が薄れ気づくと異世界のアリス・ラディッシュ公爵令嬢として生まれた。 そう私が唯一ハマった携帯ゲームの18禁乙ゲーの〈婚約破棄からの恋〉と言うなんとも分からないゲームだ。 ヒロインのアリスは王太子の婚約者でも悪役令嬢のせいで王太子と婚約破棄をされそこからゲームがスタートがファンの間に広まり私も同僚に進められやってハマった。 正直ヒロインは顔とかあまり出て来ないイベントでドキドキするような画像が出でくる位だから王太子との婚約まで気付くことはなかった。 恋や恋愛何てしたことがないから私は考え悪役令嬢を演じ婚約破棄まで我慢した…

憧れだった騎士団長に特別な特訓を受ける女騎士ちゃんのお話

下菊みこと
恋愛
珍しく一切病んでないむっつりヒーロー。 流されるアホの子ヒロイン。 書きたいところだけ書いたSS。 ムーンライトノベルズ 様でも投稿しています。

巨根王宮騎士の妻となりまして

天災
恋愛
 巨根王宮騎士の妻となりまして

引きこもり令嬢が完全無欠の氷の王太子に愛されるただひとつの花となるまでの、その顛末

藤原ライラ
恋愛
 夜会が苦手で家に引きこもっている侯爵令嬢 リリアーナは、王太子妃候補が駆け落ちしてしまったことで突如その席に収まってしまう。  氷の王太子の呼び名をほしいままにするシルヴィオ。  取り付く島もなく冷徹だと思っていた彼のやさしさに触れていくうちに、リリアーナは心惹かれていく。けれど、同時に自分なんかでは釣り合わないという気持ちに苛まれてしまい……。  堅物王太子×引きこもり令嬢  「君はまだ、君を知らないだけだ」 ☆「素直になれない高飛車王女様は~」にも出てくるシルヴィオのお話です。そちらを未読でも問題なく読めます。時系列的にはこちらのお話が2年ほど前になります。 ※こちら同じ内容で別タイトルのものをムーンライトノベルズにも掲載しています※

王女の朝の身支度

sleepingangel02
恋愛
政略結婚で愛のない夫婦。夫の国王は,何人もの側室がいて,王女はないがしろ。それどころか,王女担当まで用意する始末。さて,その行方は?

姉の夫の愛人になったら、溺愛監禁されました。

月夜野繭
恋愛
伯爵令嬢のリリアーナは、憧れの騎士エルネストから求婚される。しかし、年長者から嫁がなければならないという古いしきたりのため、花嫁に選ばれたのは姉のミレーナだった。 病弱な姉が結婚や出産に耐えられるとは思えない。姉のことが大好きだったリリアーナは、自分の想いを押し殺して、後継ぎを生むために姉の身代わりとしてエルネストの愛人になるが……。

騎士団長の欲望に今日も犯される

シェルビビ
恋愛
 ロレッタは小さい時から前世の記憶がある。元々伯爵令嬢だったが両親が投資話で大失敗し、没落してしまったため今は平民。前世の知識を使ってお金持ちになった結果、一家離散してしまったため前世の知識を使うことをしないと決意した。  就職先は騎士団内の治癒師でいい環境だったが、ルキウスが男に襲われそうになっている時に助けた結果纏わりつかれてうんざりする日々。  ある日、お地蔵様にお願いをした結果ルキウスが全裸に見えてしまった。  しかし、二日目にルキウスが分身して周囲から見えない分身にエッチな事をされる日々が始まった。  無視すればいつかは収まると思っていたが、分身は見えていないと分かると行動が大胆になっていく。  文章を付け足しています。すいません

【完結】【R18】伯爵夫人の務めだと、甘い夜に堕とされています。

水樹風
恋愛
 とある事情から、近衛騎士団々長レイナート・ワーリン伯爵の後妻となったエルシャ。  十六歳年上の彼とは形だけの夫婦のはずだった。それでも『家族』として大切にしてもらい、伯爵家の女主人として役目を果たしていた彼女。  だが結婚三年目。ワーリン伯爵家を揺るがす事件が起こる。そして……。  白い結婚をしたはずのエルシャは、伯爵夫人として一番大事な役目を果たさなければならなくなったのだ。 「エルシャ、いいかい?」 「はい、レイ様……」  それは堪らなく、甘い夜──。 * 世界観はあくまで創作です。 * 全12話

処理中です...