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本編

第九話 余命十日の抱き枕①

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 朝。夜着を脱いだ時に胸元の文様を確認するのは癖のようになっていた。
 現状を受け入れてはいるものの、未だにあれは悪い夢だったのではないかと……、朝起きたら胸元の刻印が消えていたりしないだろうかと、ついそんなことを考えてしまう。
 そうしていつもと同じように鏡に映った己の胸元へと目を落としたアリーチェは、その瞬間、引き攣った悲鳴を上げかけて呑み込んでいた。
「ひ……っ!?」
 胸の谷間近くに咲く毒々しい華の文様は、今日も存在を主張していて――……、否、主張しすぎて・・・・いた。
「……育って……、る……?」
 昨日までに比べ、心なし大きくなったような気がする華の文様を見つめ、アリーチェの心臓はドクドクと嫌な鼓動を刻む。
 新たに現れた華の蕾のような文様に、さらには細い蔦のようなものが生え始めている呪いの証は、まさに“成長している”としか言いようのないものだった。
「……な、んで……」
 鏡に映る青白い顔をした自分自身を愕然と見つめ、アリーチェはすぐにハッとなると着の身着のまま小さな客室を飛び出した。
「クロム……ッ! クロム……ッッ!」
 徹夜か、もしくは寝ても研究室で仮眠だけ、というクロムは、いつも通りそこにいるだろうか。
「クロム……ッ!」
 ノックも忘れて扉を開け放てば、そこには自分の研究机に向かったクロムが丸い目をしてアリーチェへと顔を上げていた。
「こんな朝からどうしました?」
 いつもと変わりないクロムの姿に、知らずほっとしてしまうのはなぜだろうか。
 アリーチェは無意識に小さな吐息をつき、それでも焦った様子でクロムへと訴える。
「も、文様が……っ!」
「文様が?」
 きょとん、と続きを促してくるクロムに、なぜだかじわりと涙が滲んだ。
「刻印が……っ、大きくな……っ」
 呪いの証が大きくなるなど、どう考えても吉兆のはずがない。
 全力で走ってきたせいか胸が喘ぎ、途切れ途切れに声を上げるアリーチェへ、けれどクロムからは動揺も焦燥も見られない。
「……あぁ……」
「! なにか知ってるの……!?」
 むしろこの事態を予想していたかのような薄い反応に、アリーチェの瞳は揺れ動く。
「……いえ……」
「なによ!? 勿体ぶってないで話してちょうだい……!」
 例え可能性の一つだったとしても、こうなることを想定していたのだとしたら教えておいてほしかったと、アリーチェはうっすらと涙の滲んだ目でクロムを睨み付ける。
 呪いの文様が育つなど……、そんなことは俄かには信じられないが、事前に知ってさえいればこんなふうに取り乱したりしなかっただろう。
「……その……」
「早く言いなさいよ……!」
 キ……ッ! と八つ当たりのように鋭い視線を投げ、アリーチェは説明を求めて声を上げる。
「呪いが育つ・・なんてことがあるの……!?」
 小さな華の蕾に短い蔦。まるでこれからさらに華が咲き、身体中に蔦が伸び生えていくような感覚には空恐ろしさで身体が震えてしまう。
「呪いが、発動の準備を始めた証拠です」
 どことなく困ったように告げられて、アリーチェは一瞬唖然とした。
 クロムの言葉自体はわかっても、言われたことの意味がわからなかった。
「……それ、って……?」
「俺の見立てた通りです。少しずつ身体に根付いていった呪いが、発動十日前になって全身へ浸透し始めたんだと思います」
「……は……」
「恐らくは、これから少しずつその文様が全身に広がっていくのだと思います」
 アリーチェが感じた感覚は正しかったらしい。これから本物の植物のように少しずつ蔦は伸びていき、胸元の華も毒々しく咲き乱れるだろうと説明され、今度こそ愕然と言葉を失った。
「だからといって、痛くも痒くもないかと。そういう類の呪いのようなので」
「……なにを呑気な……」
 死ぬ直前まで肌に浮かんだ文様以外身体に変化はなにもなく、発動と同時に一瞬で命を奪う呪い。
 その瞬間までなに不自由なく普通の生活が送れればいいというものではない。
「いえ。これでも少しは焦ってますよ? 思ったよりも解析にてこずっていて」
「そんな……っ!」
 ここにきて初めて知らされた解析の進捗具合にアリーチェの顔は青くなる。
 毎日飄々と分析を続けているから、順調に進んでいると思っていたのだ。それがまさか。
「あぁ、でも、心配はしないでください」
 にこりともすることなく、クロムはただ淡々と冷静な瞳をアリーチェへ向けてくる。
「貴女を死なせないことだけはお約束します」
「……え……?」
「ただ、今俺が持っている方法は手段を選ばないものなので、本当にどうにもならなかった時の最後の一手ですが」
「それってどんな……」
 そんなものがあるのなら、最初から話しておいてほしい。
 そう呆然と問いかけるアリーチェへ、クロムの真剣な瞳が返ってくる。
「それはさすがにお話しできません」
 方法はあるが、その中身は話せない。そんな中途半端な回答では、アリーチェの不安は拭われない。
「ですが、これだけは断言できますから」
 不安定に揺れ動くアリーチェの瞳へ、こちらを真っ直ぐ見つめたクロムの顔が映り込む。
 ――『絶対に、死なせない』
 なに一つ解決していないのに、信じてしまっていいような気がするのはなぜなのだろう。
「と、いうことで」
 手元の解析に意識を戻しつつ、クロムは声だけをアリーチェへ投げてくる。
「なるべく俺の傍にいてくださいね?」
 呪いを確認したいと思った時にすぐに確認できるように。
 呼びに行く時間すら惜しいと告げられて、こんな時にも関わらず、アリーチェは今日も三食分の食事をクロムに食べさせることになるのだろうな、と、呑気なことを考えてしまっていた。
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