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本編

第二話 婚約解消の真実①

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 しばらく前にアリーチェが成人したことで、周りからはそろそろ婚姻の日取りを決めようかという話が出始めた頃だった。
 そのため、ここ最近のアリーチェは準王族のような扱いになっており、王太子妃とほぼ変わらない公務をこなしていたから、荷物の整理には殊の外時間を要してしまった。
 ちなみにその間、執務室には誰もいなかった。それは、アリーチェが信頼されているというよりも、呪い持ちのアリーチェに近づくなと言われていたためだろう。
(とにかく、今後の身の振り方を考えなくてはならないわ)
 一通りの身辺整理を終えたアリーチェは、最後にぐるりと室内を見回して忘れモノ・・・・がないか確認すると、きゅ、と唇を噛み締める。
 もう、この部屋に来ることはないだろう。
 なにか残してしまったものがあったとしても、呪い持ちのアリーチェが再びここに足を踏み入れることは許されない。
「…………」
 くるりと踵を返したアリーチェはほんの一瞬だけ足を止め、すぐになにかを振り切るように歩き出す。
 ――決して振り返ったりはしない。
 胸の奥では衝撃や動揺、驚愕や悲痛といった様々な感情が渦巻いていたが、その中でも一番に感じていたことは妙な虚しさだった。
 王太子であるハインツとは決して愛し合っていたわけではないが、それでも婚約を解消されたことは少なからずアリーチェにショックを与えていた。
 そういった意味では、ハインツが最後の最後まで父親である国王に意見していた姿には胸を打たれた。互いに“政略結婚”だと割り切った関係だったが、それでもそれなりの信頼関係は築けていたということなのだろう。
 だが、それよりもなによりも。薄情な人間だと言われるかもしれないが、今まで王子妃になるために積み上げてきた努力や培ってきた経験が無駄になったことが、なによりもアリーチェに打撃を与えていた。
 アリーチェは決して才能に恵まれていたわけではなかった。だから、今までずっと……。ずっと、王太子妃に――、ゆくゆくは王妃になるために並々ならぬ努力を重ねてきたのだ。
 それが。
(……呆気ないものね)
 こんなふうに、思い描いていた未来像が一瞬で儚く消えてしまうなど。
 王妃となる以外の将来も夢も考えたことはなかった。
 これから先、どうしたらいいのだろう。
「……あら?」
 そんなことを考えていると、気づけば見慣れぬ場所まで来てしまっていた。
 アリーチェらしからぬ失態だが、やはり精神的な打撃は大きかったらしい。王宮の出入り口とはまるで反対側。裏手にある植物園近くまで来てしまっていたことに、アリーチェは心の中で自嘲する。
(いやね。私としたことが)
 植物園はその名の通り、植物が育てられている小さな裏庭だ。季節折々の美しい花が咲き乱れる庭園や中庭とは違い、主に薬草などが育てられていたように記憶する。そのため、王宮内の目立たない場所にひっそりと作られている。
「……」
 人々の目を楽しませる華やかな庭園と。人々に役立つ植物が栽培されている地味な裏庭。
 今まで気にも留めていなかったことが突然気になってきて、アリーチェは全体的に地味な草花を見回した。
 ふと顔を上げた視線の先にはそれなりの大きさをした温室もあり、その扉が薄く開いていることに気づいてアリーチェの目は僅かに見開いた。
(……少し見て帰るくらい……、いいわよね?)
 こんなところに来るのは、きっと最初で最後だろう。
 そう思えば、王宮を去る前に少し寄り道をするくらい許されるだろうと、少し大胆な気持ちが湧き上がる。
「……お邪魔いたします……」
 例え近くに人がいたとしても聞こえないくらいの声で扉を押し、おずおずと中へ足を踏み入れる。
(……今まで来たことはなかったけれど、こんなふうになっているのね……)
 目の前に現れた光景は“緑”。庭園や中庭のような色鮮やかな華やかさは一切なく、一面には低木や緑が広がっているだけの素朴な空間。
 けれど、陽の光を受けて輝く草木は美しく、アリーチェの感性はこれはこれでとてもお洒落な世界だと認識した。
 そして、それよりもなによりも。
(……案外嫌いではないかもしれないわ)
 不思議と落ち着く感じがする空間に、アリーチェは知らず肩の力を抜く。
 どこからか水の音が聞こえてくるような気がするのは、水生植物も育てているからだろうか。
 と。
「……?」
(なに、か……)
 ふいに自分以外の気配を感じ、アリーチェは草陰に隠れるようにしながらも、そっとそちらの方へと足を向けた。
(人の、声……)
 温室の扉が開いていたことを思えば、“先客”がいると考えた方が自然だろう。とするならば、どちらかといえばアリーチェの方が招かざる客ということになる。
(……誰か……、いる……?)
 こんなところにいたことが大事になっては適わないと、自分以外の存在を確認しようとしたアリーチェは、その瞬間ぎくりと足を止めると肩を震わせる。
「……っ!?」
 思わず口元を手で覆い、そこにいる人物を凝視した。
(……殿、下……!?)
 こちらに背中を向けていてもわかる。奥の少しだけ開けた空間にいたのは、もう会うことの許されない婚約者、ハインツだった。
(こんなところで一体なにを……)
 低木に身を隠しながらそっとハインツを覗き見たアリーチェは、そこにある影が一つではないことに気づいて大きく目を見張る。
「!」
 長く伸びる葉と、他でもないハインツの影になって一瞬気がつかなかった人物。
 こちらに背中を向けたハインツの影に隠れてしまうほど密着しているその人物は。
(……あれは、伯爵家の……)
 しっかりと抱き合っている二人の姿を愕然と見つめ、アリーチェは冷水を浴びせられたかのように身体が冷えていくのを感じた。
「ハインツ様……っ」
「あぁ、イザベラ。会いたかったよ」
「わたくしもです……っ」
 感極まった様子で互いを抱き締め合う二人からは、彼らがここで落ち合ってすぐであることが窺える。
 ――もし、アリーチェがここへ来るタイミングがほんの少しでも早ければ。
 もしかしたら、ハインツか彼女か、どちらかに鉢合わせしていたかもしれない。
 現実逃避からかついそんなことを考えてしまったが、呆然と佇むアリーチェの目の前で二人の会話は進んでいく。
「もう少しだ、イザベラ。もう少しだけ辛抱してくれ」
 ハインツが顔を上げさせ、艶やかな黒髪をそっと撫でている相手は、レーガン伯爵家の娘・イザベラだ。
 社交界でも美しすぎると有名なイザベラは、髪を撫で下ろすハインツの手にうっとりとした表情を返しているが、“辛抱”とは一体なんのことを言っているのだろうか。
 状況が呑み込めず、ただその場で二人の遣り取りを見守ることしかできないアリーチェは、次の瞬間、己の耳を疑った。
「さすがに婚約を解消したばかりですぐに君を迎えるわけにもいかない」
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