離縁を申し出たら溺愛されるようになりました!? ~将軍閣下は年下妻にご執心~

姫 沙羅(き さら)

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後日談 ⑨

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 一ヶ月ほど前から、ボルドー家にはゼノンに付いて一人の新米騎士がよく顔を出すようになった。
 騎士として登用されたばかりの青年は、まだ二十歳にもならない若者でありながら、ゼノンがかなり目をかけている人物であるということが窺えた。
「アルク様……! アルク様……! これっ、見てください……!」
「ローズマリー様」
 茅色かやいろのさらりと靡く髪。常に柔らかな微笑みを浮かべている爽やかな好青年。アルクと呼ばれた新米騎士は、自分の元へ駆け寄ってきたシャーロットとゼノンの愛娘――先日七歳になったばかりのローズマリーへと、目元を優しく和らげる。
「こちらの刺繍はローズマリー様が……?」
 アルクの目の前に差し出されたものは、簡単な小花が刺繍された、練習用の白い生地。
「初めてなので恥ずかしいんですけど……」
 恥ずかしそうに頬を染めるローズマリーに、アルクは迷惑だという様子を見せることもなく、甘く笑う。
「初めてでこれだけできれば素晴らしいですよ」
「! 本当ですか!?」
「えぇ」
 そう優しく頷いたアルクの同意に、ローズマリーはきらきらと瞳を輝かせる。
「上手にできるようになったら、アルク様のお家の紋章と名前を刺繍したハンカチを贈ってもいいですか!?」
 それはきっと、幼いゆえの、ただただ純粋な気持ち。
 普通、男性の家の紋を刺すなど、婚約者や妻の立場でなければありえない。
 だからそれは、普段お世話になっているアルクへ、お礼の気持ちを贈りたいと思ったからこその言葉で。
「もちろんですよ。ローズマリー様に名前を刺繍して頂けるなど幸福の極みです」
 十も年下の幼い少女に期待の眼差しを向けられたアルクは、嫌な表情かおをすることなく優しくそれを受け入れた。
 ――それもきっと、幼い少女相手だからだろう。
 こんなに幼い少女とどうこうなろうなど、当然欠片足りとも考えてはいない。
「頑張って上手になります……!」
 けれど、アルクのそんな社交辞令も当然のように受け取ったローズマリーは、高揚にキラキラと瞳を輝かせながら嬉しそうな笑顔を浮かべる。
「ですから、その時は一番にもらってくださいね……!」
 刺繍を教える講師でも、親弟妹おやきょうだいでもなく。一番最初に渡したいと期待に満ちた目を向けられたアルクは、にこりと柔らかな微笑みを向ける。
「楽しみにしています」
「っ、はい……!」
 そんな、嬉しそうに瞳を潤ませる我が子の姿を、シャーロットはゼノンと共に少しだけ離れた位置から見守って。
「……ゼノン様。眉間に皺が寄ってます」
 隣に立つ夫の顔が、わかりにくいながらも不機嫌そうに顰められている気配を感じ取り、困ったように苦笑した。
「……なんだあれは」
「今日、初めて刺繍を習ったので」
 我が子が一生懸命刺繍針を動かしていた姿を思い出しながら、シャーロットはゼノンへ説明する。
 針と糸と格闘し、初めてにしてはなかなかの出来栄えだと講師にも褒められていた刺繍。それを誰かに見てほしくなってしまうのは、子供にとっては当たり前の欲求だろう。
 けれど。
「それはわかっている。だが、なぜそれをアルクに見せる必要がある」
 今だににこにことアルクを見上げておしゃべりを続けている愛娘と、そんなローズマリーに視線を合わせるように身を屈めて微笑んでいる部下の姿をむっすりと見つめ、ゼノンの眉間には更に深い皺が寄る。
「……アルク様は本当にローゼに良くしてくださいますから」
「確かにアルクは伯爵家の次男で、とても紳士的だが」
 柔らかな空気を醸し出すアルクは、一度剣を奮えば“若き獅子”と呼ばれるほどの鋭さを身に纏うが、社交界では数多くの女性の心を揺らすほどの“貴公子”だ。
 洗練された会話に所作。柔らかな身のこなしと微笑み。そんなアルクにローズマリーが憧れを抱いたとしても、それは仕方のないことかもしれない。
 ――それが、幼いがゆえの淡い気持ちで終わるかどうかはわからないけれど。
「“背中で語れ”とご指導なさいますか?」
「……シャーロット……」
 アルクがゼノンを慕っていることは間違いない。
 だから、ゼノンとは正反対の部下に、感情を表に出すな、と。
 くすくすと可笑しそうに笑うシャーロットへ、ゼノンの顔は苦虫を噛み潰したようなものになる。
 寡黙である姿勢を貫いた結果、長い擦れ違いを生んでしまった自分たちの過去。
「冗談です」
 それも今となっては笑って語れるものだが、あのまま擦れ違っていたら、この幸せを手に入れることはできなかった。
 シャーロットは不機嫌な夫の顔を見上げ、茶目っ気たっぷりの瞳を向ける。
「貴方の跡を継がせることを考えるほど有能な方なのでしょう?」
 長く将軍職に就き、部下を指導し、育て、国を守ってきたゼノンだが、誰かにその椅子を譲ろうとしている気配はしばらく前から伝わっていた。だが、なかなか相応しい人物が見つからず、ずるずると将軍職を続けてきたことも。
 そんな中で、アルクは次代を担う若き騎士としてゼノンが最も目をかけている青年だ。
「ローゼは見る目がありますね」
「っ、それは……っ」
 そんなアルクを見初めるなど、我が子ながら慧眼があると笑うシャーロットに、ゼノンは言葉を詰まらせる。
 そこからは、シャーロットが口にした言葉の意味を、わかるようで理解したくないという男親の葛藤が伝わってくる。
「ローゼは私によく似ていますから」
 見た目はもちろんのこと、中身――、特に、男性の好みが。
「十も年上で、軍を率いるほど強く求心力のある方」
 アルクとゼノンは醸し出す雰囲気こそ正反対だが、根本にあるものは同じだろうと感じられた。
 常に柔和な微笑みを絶やさないアルクは、一見感情が豊かそうに思えるが、その実笑顔で武装をしているだけだ。その微笑みの下で、本当はなにを考えているのかわかりにくい。
「好きになる男性のタイプも同じだなんて」
「っ」
 誰よりも強くて優しい人。血は争えないと笑うシャーロットに、ゼノンが息を詰める気配がした。
「そう、思いませんか?」
「…………っ」
 現在シャーロットとゼノンの間には三人の子供がいるが、女の子はローズマリーのみ。愛する妻によく似た愛娘を溺愛する男親の心境は複雑だ。
「アルク様はお強くて優秀で、心も広いとてもできた方なのでしょう?」
 ゼノンが認め……、そして、シャーロットの目から見れば、愛する夫と同じく強く優しい男性。
「これ以上の方はなかなかいらっしゃらないかと思いますが」
「……シャーロット……」
 娘が初めて恋する相手としては申し分がないとからかうように笑う愛妻へ、ゼノンの顔は渋くなる。
「旦那様」
 感情のわかりにくい夫の元へ嫁いで十年。
 まだまだ子供だったシャーロットは成長し、母として強くなった。
「愛しています」
「っ」
 にっこりと柔らかな微笑みを向ければ、突然の妻からの愛の言葉にさすがのゼノンも驚いたのか、耳元が少しだけ赤くなる。
「なにかご不満ですか?」
 まだ幼い愛娘は、日々成長し、いつか誰かの元へ嫁がなければならないけれど。
 妻である自分は、生涯傍にいるから。
「……いや……」
 そっと肩を引き寄せられ、シャーロットはされるがままに逞しい胸元へ身を寄せる。
「……貴女がオレの傍にいてくれるだけで充分だ」
 辺りの様子を窺ったゼノンが、誰もこちらを見ている気配がないことを確認し、そっと身を屈めると唇を寄せてくる。
 ちゅ……っ、と。
 ほんの一瞬、軽いリップ音を立てて重なった唇。
「愛してる」
 真摯に紡がれる愛の言葉に、シャーロットは幸せそうに微笑み返していた。
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