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第九話

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 そうして手にすることができた、得難き妻。
 美しく綺麗で可愛らしい人。
 顔合わせの時に初めて傍で見ることのできたシャーロットに、無表情なゼノンが本当は心の内でどれだけ動揺していたかなど、誰にもわからないだろう。
 ――『背中で語れ。女は自然と付いてくる』
 頭の中に甦る、敬愛する師の言葉。
 ――自分は、この一回りも年の離れた少女のことを、ずっと恋い焦がれ、欲していた……。
 ――好きだ。愛している。
 そう思って口にしたくとも必死に耐えていた。
 全ては、ほんの少しでも自分へと向けられるシャーロットの心を留めておくために。
『……変わらぬ愛を誓いますか?』
 結婚式での宣誓。
 その時だけは、口にしても許されるから。
『誓います』
 迷うことなく、堂々と力強く応えていた。


 そしてそれからが、ゼノンにとっては地獄の日々となった。
 新婚初夜のあの日。少しでも気を抜けば暴走してしまいそうになる己の欲望と闘いながら、ゼノンは極力優しく慎重に、初めての行為で強張る妻の身体を開いていった。
 だが。
『……っ痛……ぁ……っ!』
 苦痛の色濃い表情かおで泣かれ、それ以上のことができずに、ある意味妻の元から逃げ出した。
 あのままそれ以上のことをせずに隣で眠るなど、とても出来るような状態ではなかった。自分の欲望はもう限界まで達していて、一人になった後にその欲を吐き出そうにも、一度や二度では収まらないほどだった。
 ――そこまでの欲を覚えたことなど、今まで一度もなかったというのに。


 その後も、シャーロットの身体の強張りは消えることなく、その度にゼノンは情けなくも妻の元から逃げ出していた。
 ――全ては、まだ未成熟な妻を傷つけないために。怖がらせないために。
 愛する妻のためを思って取っていた行動が、まさかシャーロットを追い詰めているなどとは思いもせずに。
 それでもある時、三日間続けて夜を過ごしたその日。やっと本当の意味で夫婦の営みを果たすことができた。だが、一度精を放っただけのゼノンの半身はまだその熱を保っていて、華奢な妻を貪り尽くしたいと訴えていた。
 今日、初めて最後まで自分を受け止めてくれた愛しい妻。シャーロットはすでにぐったりとしていて、これ以上ゼノンの欲望に付き合うなど、到底無理な話だった。
 だから。
『……すまないが……』
 抑えることのできない己の劣情に嫌悪感を覚えながら、ゼノンはシャーロットを一人残して部屋を出てしまっていた。
 成人したばかりのシャーロットは、法的には“大人”とみなされても、まだ小さく華奢だった。少しでも強い力を込めれば壊れてしまいそうなシャーロットの身体を体感し、いつしか、せめて二十歳はたちになるまでは待とうと決めていた。
 それがゼノンのなんとなくの気持ちの区切りだった。


 そうして一年がたった頃。辺境の地で災害が起き、ゼノンたち国軍はその復興支援をするために三ヶ月ほど王都から離れなければならなくなっていた。
 軍は、なにも戦の時のためだけに存在しているわけではない。
 あらゆる有事にすぐに駆けつけ、人々を助けることが一番の目的だ。
 そこで思いもよらない再会・・をしたのが、各地を転々と旅する芸の一座で踊り子を務める彼女だった。
『お久しぶりです』
 にこりと微笑まれ、特になにか心が動かされることもなく、あぁ、と一言だけを口にした。
 彼女たちは今回、災害に見舞われた人々の心を少しでも癒すことができるようにと、王から依頼を受けてやってきたというから、丁重に迎え入れてもてなした。
 国を跨いで慰労の為に芸を見せ、時には戦地まで足を運ぶ一団は、ある意味とても有名な一座だった。
『今宵は……、いかが致しましょう?』
 微笑まれ、一瞬だけ驚愕した。数年前、同じように任務で訪れた僻地で出会い、誘われて一夜を共にしたことがあった。聖職者でもないゼノンは、これまで気分次第では女性の誘いを受けるようなこともあった。
 一時だけの身体の関係を、深く考えたことなどなかった。――そう、シャーロットと結婚するまでは。
『……いや、遠慮しておく』
『そうですか』
 気が乗らなそうなゼノンへと、女性はそれ以上なにを言うこともなく、にこりと微笑んだだけだった。
 けれど、それから約半年後。
『是非また・・御寝所に呼んで下さいませ』
 思いがけず再び再会した彼女からシャーロットの前で誘われて、さすがに内心動揺した。隣にいる妻を見れば、どことなく顔色を青くしている気配が窺えて、思わず「背中で語れ」という師の言葉を忘れて言い訳を並べ立てたくなってしまったほど。
 今、過去の自分に会うことができたなら、殴ってやりたいほどの衝動だった。
 一時の快楽を共有した彼女たちと、愛する妻は全く違う存在だ。今は貴女だけだと、そう叫んで抱き締め、愛を口にして口づけたかった。
『……過去の話だ。今はもう……』
 けれど、次に向けられたシャーロットの表情かおは。
『……気にしていませんから大丈夫です』
 にこりと優しく微笑まれ、内心酷く動揺した。
 それはまるで、ゼノンの浮気・・を許容しているかのようで。
 ――つまりは、嫉妬を覚えたりしないほど、ゼノンのことはただ王命で仕えることになった夫なのだと。妻として義務感で従っているだけなのだと、そう言われているかのようで……。
 自分へと向けられる微笑みに、ほんの少しは想われていると思っていた。例え王命で嫁いできたのだとしても、そうやって少しずつ少しずつ、距離を縮めていけたらと。
 一回りも年上の、王命で嫁いだ夫のことを愛するまでのことはできなくとも、夫婦としての穏やかな信頼を築いていけたらと、そう思っていたというのに。
 自分はずっと、師の言葉通り、背中と瞳で語ってきたつもりだった。
 貴女のことを愛している。生涯愛し、守り抜くと。
 もし、自分がシャーロットの立場だったなら。愛しい妻に男の影がちらついたなら、嫉妬でおかしくなってしまいそうだ。けれど、シャーロットはそうではない。
『……離縁……っ、してくださいませ……っ』
 縋るように告げられた懇願。
 だから、離縁を?
 愛していない夫に、とうとう耐えられなくなって?
 その言葉を聞いた時の絶望感を、誰がわかるだろうか。
 子供がないことを対外的な言い訳にしてまで、自分から離れたいのだろうか。


 ――離さない。
 この愛しい女性ひとを自分の傍に留めておけるならばなんでもする。
 恥も外聞もプライドも、全て捨ててしまって構わない。
 幸いにも、頭の回転は早かった。
「……まず、聞かせてくれ。なぜ、離縁を?」
「……それは、貴方が一番よくわかっていることかと思います」
 理由があるのなら、それを払拭してみせるだけの自信も多少ならばあった。
「……考えてもわからないから聞いているのだが」
 貴女が望むことならばなんでもする。
 それで、貴女が手に入るなら。

 そして、返ってきたその答えは。

「言っていただかなければわかりません……っ!」

 ずっとずっと、むしろ口にしたくてできずにいた。
 ずっと、心の中では思っていた。
 それを、口にして離れていかないというのなら。
 この想いを口にすることを望まれているというのなら。

 ――そんな、簡単なこと。

「貴女のことを、愛している」
「綺麗だ」
「抱きたい」
「ずっと傍に」

 何度でも、何度でも。いくらでも真実の想いを口にしよう。
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