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獣人だけは勘弁してください
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まだ圭介としてのこの身体は発情したことがないとはいえ、いつどこでフェロモンを垂れ流すか知れない。不用意に誰かと番にならないよう、常に革製のチョーカーを首につけている。ちなみに、少しでも自衛できるよう上質なそれを買い与えてくれたのは、そこで冷や汗をだらだらと流している父さんだった。
αとΩ。恋人関係や婚姻関係よりも強いとされる、その二つの性にのみ存在するという特殊な繋がり――それが番。αがΩの項を噛むことで成立するというこの繋がりだが、前世で俺はそれを経験していない。結局、死ぬまでずっとフリーだったからポコポコと子宝に恵まれたわけだが……番になれば相手を惑わすそのフェロモンを発さなくなると聞く。
とはいえ、こればかりは里中さんとの相性もあるだろうし、番になることが必ずしもΩの幸せとは限らない。実際、番にならずとも恵は幸せだった。誰かと添い遂げることはなくとも、たくさんの可愛い子供達に出会うことができたのだから。
俺はすっかり冷めたお茶を一口飲んだ後、陸郎の肩に手を置いてやんわりと声をかけた。
「陸郎。もうその辺にしておきなさい。俺は家を出るけれど、決して里中さんの家に囲われるわけじゃないんだから。また会いに来るよ。お前の好きな塩大福でも持ってな」
「けどなぁ、母ちゃん! 儂はまだ母ちゃんと一緒に……!」
「だまらっしゃい! いい歳こいた大人が母ちゃん、母ちゃんと鬱陶しいわ! 親子を離すと決めた本人が今更あーだこーだ言うんじゃない!」
「ごめんなさいっ!」
やんわりと止めるはずがつい怒鳴ってしまった。いかんいかん。この気性の激しさは圭介ではなく恵の方が出てしまうな……なるべく抑えないと。俺は口元を手で抑えた。
しゅんと項垂れる陸郎を隣に、俺は両親へと向き直った。何だか、久々に二人の顔を見た気がする。父さんの目元には皺が増え、母さんの肌には白さが増した。二人とも、こんなに老けていただろうか?
俺が姿勢を正したことで、父さんは背筋をピンと伸ばし、母さんもそれに合わせるようにした。二人して俺の顔色を窺うよう、眉間に皺を寄せている。緊張した面持ちの彼らに、俺は大丈夫だよと笑ってみせた。
「父さん、母さん。俺、行ってくるよ。これから里中さん家で暮らすことになるけれど、時々は家に帰ってきてもいいかな?」
「も、もちろんだ!」
父さんは陸郎の叱責もあってか即答だった。Ωだとわかる前はそこそこ仲良くやってきた家族だ。すぐにとは言わないけれど、時間をかけて歩み寄ればまた明るく笑い合える日がくるかもしれない。
失った時間は取り戻せないが、埋めていくことはできる。俺は父さんに「ありがとう」と、お礼を口にした。
「それで、里中さんのことなんだけど……」
とにもかくにも彼について詳細を知りたい。父さんは「そうだった」と思い出したように、これから伺う里中さんについて説明した。
「里中宗佑さん。お歳は二十八で職業は多岐にわたるけれど経営コンサルタントが主な仕事かな。ご自身も会社を経営されていて、作家としても活躍されている。私が編集社に勤めているからその繋がりで知り合ったのだけれど、物静かないい人だよ。土地とマンションも多く所有されていて不動産賃貸業もやられているし、生活に困ることはまずない。独身でいらっしゃって恋人もいないそうだ。圭介が嫌でなければ番になってもいいと答えてくれている」
ざっと聞いただけでも、やはりαはすごい。俺より十歳も上とはいえ、その若さですでにやり手だ。土地は相続だとしても、多岐に渡って仕事をこなすなどそうそうできるものではない。
だからこそ、不思議だ。どうしてそんなエリートが、まだ見もしない俺と番になってもいいなどと言ってくれたのだろう? きっと俺の写真くらいは見たのだろうけれど、外見で見染める要素はこれっぽっちもないはずだ。
自分で言うのもおかしな話だが、圭介は本当に平々凡々だ。黒くて短いがやや猫っ毛の髪に、同色の円らな瞳は二重ではなく一重瞼。鼻と口は小さいし、輪郭もどちらかと言えば面長。背はちょうど一七〇センチで体重は五三キロという細身の身体はΩらしくなよっちいものだ。特別不細工というわけではないけれど、美人と称されるには程遠い。Ωだから多少は人目を惹く見た目で生まれてきたのかもしれないが、一際美人だった恵と比べると月とすっぽんなのだ。
それに番は特別なものだ。恋人や結婚とは違って、簡単に別れることができない。特にΩからは解消することができない為、αに捨てられると強い精神的ストレスを受けてその後は番を作ることもできずに一生発情期を抱えた人生を送る羽目になるという。
まあ、俺は前世で発情期が治まらないまま一生を終えた身だから、その末路に悲観はしていない。そもそも番自体に今も昔も憧れがない。番になった後で捨てられる方が困るしな。
里中さんの真意が気になるところではあるが、Ωとはいえ息子を預ける先に父さんが選んだ人だ。悪い人ではないのだろう。今はこれ以上は考えず、本人に会ってからまた身の振り方を考えればいい。
その時、父さんの隣で黙っていた母さんが意を決したように口を開いた。
「圭ちゃん。嫌だったら断っていいのよ」
「さ、聡子っ?」
母さんの発言に父さんがぎょっとする。俺も驚いて目を見開いた。少なくとも、俺の知っている母さんは父さんの言うこと成すことに反対する人じゃない。でもこの時の母さんは珍しく、父さんの制止も聞かずに反論した。
「だっておかしいわよ。Ωだからって今日まで会ったことのない知らない人の家に行かせるなんて! この子は私達の息子よ。今だって、これからだって大切な……ねえ、圭ちゃん。こんなお母さんで本当にごめんなさい。許してとは言わないわ。でも、お母さんはやっぱり……圭ちゃんと離れたくないわ」
「母さん……」
まさか、母さんがそんな風に言ってくれるなんて。隣にいる陸郎が「よく言った! 聡子さん!」と手を叩いて賛同する。お前はちょっと黙ってなさい。
正直、胸がジンと熱くなった。嬉しい。Ωだからもうすっかり愛情はなくなってしまったものだと思っていたのに……。母さんの思いがとても嬉しい。一瞬でも、情けないと思ってごめん。本音を言ってくれてありがとう。
俺はじわりと滲む涙を袖口で拭うと、母さんに向かってにっこりと笑った。
「ありがとう。母さんの気持ちはすごく嬉しい。でも、俺は行くよ。今のままではΩが生きづらいのも本当だし、何より巻き込んでしまった里中さんに申し訳ない。俺ももう大人なんだ。いい加減、引きこもりからも卒業しないとね」
「圭ちゃん……」
「社会勉強だよ。それに、今の俺からは信じられないかもしれないけれど、これでも昔は結構逞しかったんだ。戦争も生き抜いたし、娼館に身を落としても子供六人を男手一つで育ててきたんだよ。まあ、途中でおっ死んじゃったけど」
しょーもない理由で死んだからこそ、俺の尊厳を守る為に幼い陸郎に嘘の情報が伝えられたのだろうけれど。ほんと、どんな阿呆な死に方だよ、俺。
でもそれがなかったら、きっと最後まで逞しく生きていったと思う。いや、恵は最後まで逞しく生きてきた。だからこそ、俺はどこでだってやっていける。
Ωだからなんだってんだ! せっかく生まれ変わったこの人生、精一杯楽しんでやる!
「大丈夫! 戦時中の記憶が甦っちゃって、獣人はちょっぴり……いや、かなり苦手だけど。でも、相手が狼や虎じゃなければきっと楽しくやっていけるって!」
「えっ!?」
意気込みをみせたところで、今度は父さんが変な声を出した。それは驚いた表情というより、しまった! みたいなこう、やっちまった感のある顔なのだけれど……
何なの、その反応は。え? 嘘だろ? ちょっと? おいおい、父さん?
「ま、まさか、父さん。里中さんって……」
父さんが首を落とすように頷いた。
「里中さん……宗佑さんは、獣人なんだ…………狼の」
うっすらと射しこんだ希望の光が、重たい鉄扉で閉ざされたようだった。俺は手の甲を額に当てて宙を仰いだ。
誰か嘘だと言ってくれ。
αとΩ。恋人関係や婚姻関係よりも強いとされる、その二つの性にのみ存在するという特殊な繋がり――それが番。αがΩの項を噛むことで成立するというこの繋がりだが、前世で俺はそれを経験していない。結局、死ぬまでずっとフリーだったからポコポコと子宝に恵まれたわけだが……番になれば相手を惑わすそのフェロモンを発さなくなると聞く。
とはいえ、こればかりは里中さんとの相性もあるだろうし、番になることが必ずしもΩの幸せとは限らない。実際、番にならずとも恵は幸せだった。誰かと添い遂げることはなくとも、たくさんの可愛い子供達に出会うことができたのだから。
俺はすっかり冷めたお茶を一口飲んだ後、陸郎の肩に手を置いてやんわりと声をかけた。
「陸郎。もうその辺にしておきなさい。俺は家を出るけれど、決して里中さんの家に囲われるわけじゃないんだから。また会いに来るよ。お前の好きな塩大福でも持ってな」
「けどなぁ、母ちゃん! 儂はまだ母ちゃんと一緒に……!」
「だまらっしゃい! いい歳こいた大人が母ちゃん、母ちゃんと鬱陶しいわ! 親子を離すと決めた本人が今更あーだこーだ言うんじゃない!」
「ごめんなさいっ!」
やんわりと止めるはずがつい怒鳴ってしまった。いかんいかん。この気性の激しさは圭介ではなく恵の方が出てしまうな……なるべく抑えないと。俺は口元を手で抑えた。
しゅんと項垂れる陸郎を隣に、俺は両親へと向き直った。何だか、久々に二人の顔を見た気がする。父さんの目元には皺が増え、母さんの肌には白さが増した。二人とも、こんなに老けていただろうか?
俺が姿勢を正したことで、父さんは背筋をピンと伸ばし、母さんもそれに合わせるようにした。二人して俺の顔色を窺うよう、眉間に皺を寄せている。緊張した面持ちの彼らに、俺は大丈夫だよと笑ってみせた。
「父さん、母さん。俺、行ってくるよ。これから里中さん家で暮らすことになるけれど、時々は家に帰ってきてもいいかな?」
「も、もちろんだ!」
父さんは陸郎の叱責もあってか即答だった。Ωだとわかる前はそこそこ仲良くやってきた家族だ。すぐにとは言わないけれど、時間をかけて歩み寄ればまた明るく笑い合える日がくるかもしれない。
失った時間は取り戻せないが、埋めていくことはできる。俺は父さんに「ありがとう」と、お礼を口にした。
「それで、里中さんのことなんだけど……」
とにもかくにも彼について詳細を知りたい。父さんは「そうだった」と思い出したように、これから伺う里中さんについて説明した。
「里中宗佑さん。お歳は二十八で職業は多岐にわたるけれど経営コンサルタントが主な仕事かな。ご自身も会社を経営されていて、作家としても活躍されている。私が編集社に勤めているからその繋がりで知り合ったのだけれど、物静かないい人だよ。土地とマンションも多く所有されていて不動産賃貸業もやられているし、生活に困ることはまずない。独身でいらっしゃって恋人もいないそうだ。圭介が嫌でなければ番になってもいいと答えてくれている」
ざっと聞いただけでも、やはりαはすごい。俺より十歳も上とはいえ、その若さですでにやり手だ。土地は相続だとしても、多岐に渡って仕事をこなすなどそうそうできるものではない。
だからこそ、不思議だ。どうしてそんなエリートが、まだ見もしない俺と番になってもいいなどと言ってくれたのだろう? きっと俺の写真くらいは見たのだろうけれど、外見で見染める要素はこれっぽっちもないはずだ。
自分で言うのもおかしな話だが、圭介は本当に平々凡々だ。黒くて短いがやや猫っ毛の髪に、同色の円らな瞳は二重ではなく一重瞼。鼻と口は小さいし、輪郭もどちらかと言えば面長。背はちょうど一七〇センチで体重は五三キロという細身の身体はΩらしくなよっちいものだ。特別不細工というわけではないけれど、美人と称されるには程遠い。Ωだから多少は人目を惹く見た目で生まれてきたのかもしれないが、一際美人だった恵と比べると月とすっぽんなのだ。
それに番は特別なものだ。恋人や結婚とは違って、簡単に別れることができない。特にΩからは解消することができない為、αに捨てられると強い精神的ストレスを受けてその後は番を作ることもできずに一生発情期を抱えた人生を送る羽目になるという。
まあ、俺は前世で発情期が治まらないまま一生を終えた身だから、その末路に悲観はしていない。そもそも番自体に今も昔も憧れがない。番になった後で捨てられる方が困るしな。
里中さんの真意が気になるところではあるが、Ωとはいえ息子を預ける先に父さんが選んだ人だ。悪い人ではないのだろう。今はこれ以上は考えず、本人に会ってからまた身の振り方を考えればいい。
その時、父さんの隣で黙っていた母さんが意を決したように口を開いた。
「圭ちゃん。嫌だったら断っていいのよ」
「さ、聡子っ?」
母さんの発言に父さんがぎょっとする。俺も驚いて目を見開いた。少なくとも、俺の知っている母さんは父さんの言うこと成すことに反対する人じゃない。でもこの時の母さんは珍しく、父さんの制止も聞かずに反論した。
「だっておかしいわよ。Ωだからって今日まで会ったことのない知らない人の家に行かせるなんて! この子は私達の息子よ。今だって、これからだって大切な……ねえ、圭ちゃん。こんなお母さんで本当にごめんなさい。許してとは言わないわ。でも、お母さんはやっぱり……圭ちゃんと離れたくないわ」
「母さん……」
まさか、母さんがそんな風に言ってくれるなんて。隣にいる陸郎が「よく言った! 聡子さん!」と手を叩いて賛同する。お前はちょっと黙ってなさい。
正直、胸がジンと熱くなった。嬉しい。Ωだからもうすっかり愛情はなくなってしまったものだと思っていたのに……。母さんの思いがとても嬉しい。一瞬でも、情けないと思ってごめん。本音を言ってくれてありがとう。
俺はじわりと滲む涙を袖口で拭うと、母さんに向かってにっこりと笑った。
「ありがとう。母さんの気持ちはすごく嬉しい。でも、俺は行くよ。今のままではΩが生きづらいのも本当だし、何より巻き込んでしまった里中さんに申し訳ない。俺ももう大人なんだ。いい加減、引きこもりからも卒業しないとね」
「圭ちゃん……」
「社会勉強だよ。それに、今の俺からは信じられないかもしれないけれど、これでも昔は結構逞しかったんだ。戦争も生き抜いたし、娼館に身を落としても子供六人を男手一つで育ててきたんだよ。まあ、途中でおっ死んじゃったけど」
しょーもない理由で死んだからこそ、俺の尊厳を守る為に幼い陸郎に嘘の情報が伝えられたのだろうけれど。ほんと、どんな阿呆な死に方だよ、俺。
でもそれがなかったら、きっと最後まで逞しく生きていったと思う。いや、恵は最後まで逞しく生きてきた。だからこそ、俺はどこでだってやっていける。
Ωだからなんだってんだ! せっかく生まれ変わったこの人生、精一杯楽しんでやる!
「大丈夫! 戦時中の記憶が甦っちゃって、獣人はちょっぴり……いや、かなり苦手だけど。でも、相手が狼や虎じゃなければきっと楽しくやっていけるって!」
「えっ!?」
意気込みをみせたところで、今度は父さんが変な声を出した。それは驚いた表情というより、しまった! みたいなこう、やっちまった感のある顔なのだけれど……
何なの、その反応は。え? 嘘だろ? ちょっと? おいおい、父さん?
「ま、まさか、父さん。里中さんって……」
父さんが首を落とすように頷いた。
「里中さん……宗佑さんは、獣人なんだ…………狼の」
うっすらと射しこんだ希望の光が、重たい鉄扉で閉ざされたようだった。俺は手の甲を額に当てて宙を仰いだ。
誰か嘘だと言ってくれ。
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