【完結】「奥さまは旦那さまに恋をしました」〜紫瞠柳(♂)。学生と奥さまやってます

天白

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嫁に行ってこい

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 誰もが想像できるような典型的な日本庭園。広大なそれを見渡せるどこか古めかしいお座敷内で、僕は誰もが想像できないような命令を、ある日突然下された。

「は?」

「聞こえなかったか? なら、もう一度言ってやる……嫁に行って来い」




  『奥さまは旦那さまに恋をしました』




 車種はわからないけれど、多分外車だろう黒塗りの車に揺らされること一時間。今現在、左側後部座席の窓からは青い空と共にマンションばかりが見える。それも高層マンション。高さに比例するほど、お家賃も上がってそうなのがよ~くわかる素晴らしい外観。新聞についてくる広告に、どーんと入ってくるやつだね。その外観を眺めているだけでもしばらく過ごせそうなもんだけど、残念ながら今はドライブを楽しんでいるわけではない。

 僕が「嫁に行ってこい」と言われたのがつい二週間前のこと。嫁ぎ先は一等地の高級マンション最上階と言われて、「うわぁ、長い名字なんですね~」と返したら大笑いされた……みんなひどい。

 でもね。結婚相手と婚家の意味を履き違えてしまうくらい、そのときの僕は混乱していたんだからしょうがないんだよ。あの時、「それって何? おいしいの?」と返さなかっただけマシだと思うよ……多分。

 静かに当時の様子を思い返してみても、車窓から見える外の風景は依然と変わらない。つい最近まで日本家屋に住んでいた僕からすれば、マンションっていうのは珍しい建物だから、どれだけ長く眺めていても飽きる事はない。だから変わらなくてもいいんだけどね。だって、あれ縦に長いし、それに高いよ。エレベーターだってあるし。エレベーター……。

「これから、毎日、エレベーター……」

 どうしよう。すごくわくわくしてきた。これから先のことを考えて、ちょっと憂鬱になってたこともどうでもよくなるくらい、エレベーターの方が楽しみになってきた。あれかな。扉と反対の壁がガラス張りになってて、エレベーターの中から外の景色を見渡せるかな。たっかいところから「人が○○のようだー!」って気分になっちゃうのかな。いや、それはちょっと嫌だけど……高い場所から地上を見下ろしたいという願望は、空を飛び回りたい男子のロマンだよ、きっと。うへへ……。

 そして一人、エレベーターだけでわくわくすること三十分。僕を乗せた車はいつの間にか屋内に入っていた。わ、わくわくしすぎた……。

 しかし、はて。ここはどこだろう?

「あの」

「停車するまで、もうしばらくお待ち下さい」

 僕が質問するよりも先に、さっきまで無言かつ無表情の運転手さんは静かにそう言った。シートベルトはしていたけど、僕がさも身を乗り出さんばかりに動いてしまったからだろう。せっかく安全運転をしてくれているのに悪いことをしちゃったなあ。

 うんうん、と。頭の中で反省すると同時に車は静かに停まった。あれ、いつの間に停まったの? ってくらい静かで優しい停車だった。

 運転手さんは車から降りると、すばやく僕が座っている左側後部座席の方に回り、ゆっくりとドアを開けてくれた。自分から降りても良かったんだけど、前の家主から「お前はちったあ大人しくしていろ」と言われていたもんだから、勝手に動かず、大人しくしているんです。

 そしてシートベルトを外して車から降りるなり、僕は短い感想を口にした。

「広っ」

 駐車スペースだろうということは地下に入った時になんとなく予想できたけど、普段から目にする駐車場とはあきらかに違っていたから確信がなかった。それは駐車スペースにしては無駄に広すぎるほどで、しかも乗ってきたこの車一台だけしか無かったからだった。

「すっご~い……」

 開いた口が塞がらない。僕は異次元にやって来てしまったのかもしれない。

 ぽかんとしている僕に、運転手さんが声を掛けた。

「こちらです」

 はっ!?

 我に返った僕は、運転手さんの顔を見上げると、運転手さんはにこりともせずに、僕をこの建物――高級マンションの中へと誘導してくれた。

 目的地は最上階。だから、最上階の部屋までの移動手段はやっぱりというか、予想通りのエレベーターだった。駐車場から直通のエレベーターみたいで、エントランスと呼ばれる所は通されなかった。すごいね~。あの一台しか車が無い駐車場からの直通でしょ? つまり、専用ってことでしょ? この後に他の人が車を停めるって話ならまた別だけど……。

 でね。僕、今エレベーターに乗ってるの。わくわくして三十分も思いを馳せてたエレベーターに乗ってるんだけど。アイドリングストップだろうかって思ってしまうほど、僅かな機械音もない静かなエレベーターなの。もう全っ然、音がしないの!

 その上、雑誌でしか見たことのないラグジュアリーホテルみたいなこの空間。ご丁寧にふかふかなソファまである。ふかふかだと言い切れるのは、実際に座っているからわかるわけで。あ、運転手さんは立ってるんだけどね。その運転手さんの話によれば、マンションのまだ見ぬエントランスも同様のデザインらしい。

 じゃあ、これからはそのエントランスを通るんだろうか? それとも、今のようにこのエレベーターに乗るんだろうか? セキュリティが高いとか聞いたけれど、聞いただけでどうすればいいのか……諸々の細かい話は、まだ聞いていない。そもそも、マンションの鍵を所有していないし。

 聞きたいことは山ほどあるんだ。でも、それを聞くべき相手は、この運転手さんじゃない。

 これから一緒に暮らしていくことになる、僕の旦那さまにだ。

 突然、「嫁に行って来い」と言われたあの日、僕は一枚の写真を見せられた。そこには、見覚えのある一人の若い男の人が写っていた。

「この男に会ったことはあるな?」

「はい。数回ですけど」

「話したこともあるな?」

「はい。少しですけど」

「じゃ、この男の嫁に行って来い」

 この男の人の嫁に行って来いと言われた。「嫁に行って来い」だけなら二度目だった。

 二度も言われた。

 このまま思考が止まっていたなら、何も疑問を抱かずに流されるところだった。

 けれど。

「僕、男なんですけど」

 最大の問題点はそこだった。なのに……。

「知ってる。それがどうした?」

「同性、ですけど」

「そうだな」

「子ども、産めませんけど」

「そうだな」

「そもそも結婚、できないと思うんですけど」

「そうだな」

 会話は数秒で終わった。

「他に質問は?」

「え~と……ない、です」

 この時だって本当は聞きたいことなんて山ほどあった。でも、何から聞けばいいのかわからなかったから、もういいやって。

 あの時はそんな感じだったけど……そういう問題じゃないってことが、冷静になった今、思い知らされ中。

 だって男だよ? 僕、男だよ? 男の僕が、男の旦那さまと結婚するんだよ? それに僕、まだ高校生だよ? それも高校二年生! 結婚できる歳じゃあないでしょ? わかってるの? 周りの大人の人たち、わかってて僕を嫁に出したの? あんにゃろう。

 と、心の中でうがうが言ってても、もう遅い。だってもう、お嫁さんになるんだもんね。今更引き返せないし。

 それに……。

「お前の荷物は後日、全部宅配で送ってやるからな。心配しなくていいぞ」

 とまで言われちゃったし。

 それにもともとあそこは僕の家じゃないし。僕はご厄介になってた身だし……文句は言えないんだけどね。

 でも、もう一つ問題がある。

 正確には一つじゃない。問題はたくさんある。

 だけどキリがないから、とりあえず一つにしとく。特に大事な問題って意味でね。

 僕はあの結婚話から今日まで、僕の旦那さま(になる人)と会っていない。

 うん。まぁ、とても大きな問題だよね。僕もそう思う。今になって、そう思うよ。うん。本当に。

 だからかなぁ。さっきからちょっと胃の辺りがきゅうってしててね。お昼食べ過ぎだって思ってたんだけど、これ違うよね。

 なんで今さらになって問題視してるかっていうとね。それまでの僕は旦那さま(になる人)と、一回か二回は会ったことがあるから、別に初めましてじゃないんだよね。何より、僕が前にご厄介になっていた御宅の、あの方がとても気に入っている人物だということから、まぁ、そんなに大して気にしてなかったというか。ちょこっと挨拶した感じも、特にその人自身が変ってわけじゃなさそうだったから……一緒に暮らすのも大丈夫そうかな~って。

 そうやって今日まで何もせず、ただ思ってるだけだったから。それがようやく問題なんだなって、今さら気づかされたわけです。

 でも。

 相手はどうなんだろう? 奥さんとなる人が僕で本当によかったんだろうか? 一人で悶々と考えてたってしょうがないことなんだろうけど。

 相手は僕と違って大人だし、あの方からちゃんと、きちんと、お話は伝わっていることだろうから、相手にとっての問題っていう問題はきっとないんだ……と思う。嫁となる僕の性格とか、趣味とか、癖とか、その他いろんなこととか、ちゃんと伝わってるはずだし。それ以外も、なんか、いろいろ。うん。きちんと伝わっているはずだ。

 はずだろう。うん。きっと。たぶん。はず……なんだけど。なんでこんなに心配になっちゃうんだろ。

 それに、話が僕抜きで全部進んでいるとはいえ、今日の目的は僕とその旦那さま(になる人)とのお話し合いらしいんだよね。

 うん。もう嫁になることは決まってるんだよ。今向かってる先も新居らしいし。引き返せないってのも本当のこと。

 もう確定で、決まっちゃってることなんだけど。

 でも。一応僕の意思を尊重してのこと、らしい。

「どうしても嫌だったら断って帰って来ていいぞ。迎えてやる」

 今朝、あの家を出て行く前に、家主のあの方から笑顔でそう言われた。

 言った横で、僕の荷物全部をダンボールの中に詰めていたけどね。ちゃっかりガムテープでぐるぐると巻いてたし。ぐるぐると。

 絶対、帰ってくるなって意味だよね。あれ。嫁になれってことだよね?「どうしても」の部分も強調されてたし。

 今更お話し合いを設けるくらいなら、結婚を決める前にしたかったなぁ……っていうのが本音なんだけどね。

「でも大人の考えることって、わかんないよなぁ……」

「何か、仰いましたでしょうか?」

「え? あ、いいえっ。独り言ですっ! えへへへ~」

 おっとっと……うっかり口に出してたよ。

 「なんでもないです」と、しきりに首を横に振ってみせると、運転手さんは首を傾げることもなく、「そうですか」と、エレベーターの階数表示に視線を戻した。

 まぁ、いいや。

 もう口癖みたいになってるこの台詞。

 それをたくさん吐き出したって問題じゃない。

 僕にとって、問題じゃない。

 そう。

 本当は、きっと。何も問題なんかないんだ。

 僕は結局のところ、それらを受け入れたんだから。

 だから。

 今日、旦那さまに会うのが結婚する前の「お話し合い」だというのなら。

 意見を聞いてもらえるのなら。

 僕が言いたいことはもう、決まっている。

 ポーン……と、不快ではない音が灯るように鳴った。最上階に着いたということを、エレベーターが知らせてくれたんだ。

 その扉が開くと同時に、僕の目の前に現れた彼を前にして唇を動かした。

「僕を、もらってください」

 すると。

 真紅の髪の旦那さまは、不敵に微笑みながら僕を攫うように抱きしめた。
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