【完結】檻の中の劣等種

天白

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羽柴

外伝 6

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 その後、雫は二週間を病院で過ごし、シキの自宅へと連れて行かれた。検査の合間に雫の身体にはマイクロチップが埋め込まれた。今後、もう二度と雫を失わない為にと、シキの独断でそれは行われた。雫は怯えたままだったが、何をするでもなくずっと大人しくしていた。

 雫は同年代の男子に比べて身体が一回りほど小さかった。極度に痩せ細っているというわけではないから、あの屋敷でそこそこの食事は摂らせてもらっていたようだった。腰まで伸びた長い黒髪で殆ど顔が隠れていたが、幼い頃の面影を残しつつも見違えるくらい美しく成長していた。

 しかしその黒い瞳に輝きはなかった。焦点の合っていない瞳は常に窓の外を眺めていた。シキが身体の清拭をする時も強張りは見せるものの、人形のように固まり大人しくしていた。身体につけられた痕は、時間と共に少しずつ薄まっていった。

 雫は滴と名前が変えられた。シキが新しく名づけた。滴にしてみれば、初めて与えられた名前だった。

 何も覚えていない滴にとって、俺は兄ではなく初めて目にする人間だった。どう接していいのかわからず、俺は羽柴として滴へ寄り添った。口調に気をつけ、優しく笑いかけてやれば徐々に心を解いていってくれると思ったからだ。しかし滴は俺達から離れ、ずっと部屋の隅で膝を抱えて座っていた。

 当時、雫が好きだったサンドウィッチを作るも、滴は食べなかった。何なら食べられるだろうかと、俺は洋食、和食、お菓子など様々な物を作ってテーブルの上に並べた。その中で滴が自分から手にして食べられたのはロールパンだけだった。他のおかずは口にせず、ロールパンを持って部屋の隅に座りゆっくり食べる。その後はずっと部屋の隅にいるばかりで何もしない。立ち上がったかと思えば、トイレに行くだけ。しばらくはそんな日々だった。

 シキは基本的に滴を放っていた。仕事が忙しかったせいもあるが、同じ空間にいても滴にべったりと構うことはしなかった。時折、服を着替えさせたり、髪を梳いたり、身体の清拭をする時だけ滴を膝の上に乗せていた。遠慮なく触れるシキに対し、カチコチに固まっていた滴だったが、その強張りは時間をかけて解かれていった。

 俺に対しても緊張が解れていってくれれば……俺は根気よく滴へと接した。

「滴様。パンは美味しいですか?」

「……」

「卵は如何です? これは甘くて美味しいと思いますよ」

「……」

「しず……」

「ひぅっ!」

「滴……」

 フォークで刺した玉子焼きを差し出すと、両手で頭を守るように翳された。ガタガタと震えて小さな悲鳴をあげる子に、俺はなす術もなかった。

 滴を取り戻せば、また前のように戻れると思っていた。家族が揃うと、笑って過ごせると、そう信じていた。

 信じていた。

 そして、あの夜がやってきた。

「滴様?」

 この頃の滴は用意したベッドで眠ることはなく、リビングの床でブランケットを被り眠っていた。一人で滴が部屋から出ていくことはなくとも、俺は心配で夜中も様子を見ることにしていた。

 しかし、この日リビングへ様子を見に来た俺は滴の姿がないことに気づいた。まさか、逃げた? 一瞬だけ脳裏を過るも、人の気配を感じてすぐにそこへ向かった。

 ソファの裏側、そこに滴はいた。

「滴様……」

「……ん、あ……」

 姿を目にしてほっとするも、様子がおかしい。ブランケットに全身を包ませ、もぞもぞと動いている。耳を澄ませば、小さな呻き声が聞こえた。

「は……ひぅ……」

「滴様っ、どうしました? 具合でも……っ!?」

 尋常ではないと察した俺は滴を抱き起こし、ブランケットを剥がした。そこにあったのは……

「はあっ……ん、はあ……ぅ……」

 身につけていた寝衣を乱し、自身の胸と股間に手を差し込み、不器用な自慰を行う滴の姿だった。

「や……ん、はあっ……はあ……いた……いよ……」

「滴……」

「ん、痛い……よぉ……く、るし……」

 片方の指は胸にある小さな突起を摘まみ、つねるような愛撫をしており、またもう片方の指は股間の一番奥にある孔へと痛々しく埋められていた。その手前の孔からはダラダラと涎のような愛液が流れており、小さな陰茎は反り勃ってはいるものの射精できずに震えていた。

 半分眠っているのか瞼を閉じつつも、喘ぎ苦しむその姿に俺は言葉を失った。

 雫を見つけてしまえば、俺にとってこの八年は瞬く間だった。しかしこの子にとって、この八年間は全てだったんだ。人として形成される大事な時期に、この子はあの老人に支配された。心も、身体も、何もかもをあの老人によって犯され、蝕まれた。一日、一日がこの子を作る大切な時間だったのに、俺達は救出に八年もかけてしまったんだ。

 俺の腕の中で息を詰まらせるこの子に、俺は何もできなかった。楽にしてあげたいと思うのに、それができなかった。

 もういっそ、俺と一緒に死んでしまおうか。そんな思いが頭を過った。その時……

「羽柴」

「シキ……?」

 シキが俺の後ろから現れ、苦しむ滴を抱き上げた。そして滴をソファへ寝かせると、俺を見ることなく命令した。

「外にいろ」

「ですが、シキ……」

「出ていろ」

「……はい」

 厳格な口調で告げられ、俺は静かにリビングを出た。扉を閉め切る前、シキが滴へ優しく囁く声が聞こえた。

「滴、大丈夫だ。今、楽にしてあげる」

「ん…………し、き……? んっ……んんぅ……あ、ん……」

 俺のよく知る幼い声が、快楽に満ちた声を上げ始めた。

「んんっ……あ……ん、そこ……はあっ……きもち、い……ん……はあ、ん……」

 胃の方から、グッと吐き気が込み上げた。きっと淫靡な光景が広がっていることだろう。それは見ずとも、あの幼い嬌声から容易に想像ができてしまった。

 衣服の擦れる音に、粘り気のある水音。二人が何をしているのか、それがわかるだけで俺はその場で吐いていた。

 ゲホゲホと咳き込む俺の背後で、滴は悦楽に満ちた声を一変させる。

「あ、あん……ん……はあっ……や、え……やっ、やあああっ! やだ、やだあっ……! こわいっ……やだ……んっ、はあっ……やだよぉっ……やめ、て……やめて……やめてえっ……! たすけてっ、たすけてえっ……!」

 滴……滴……しずくっ……!

「いやああああっ!」

 ごめん。ごめん……ごめん!

 俺は扉を閉めると走って逃げた。そして洗面台へ顔を突っ込み、ゲエゲエと胃液を撒き散らした。

 ただ心の中でずっと、滴に謝り続けた。

 ごめん……ごめん、滴。

 何もできなくて……守ってやれなくて……

 ごめん、雫っ……!

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