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羽柴
外伝 4
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雫を一人にしたのは三時間だった。たったの三時間。その短い間に、俺達は大切なものを奪われた。
部屋に戻ると、中は荒らされていた。頬を膨らませつつも出迎えてくれる筈の雫は何処にも見当たらなかった。
高杉先生へ連絡すると、雫だけでなく先生と対立していた佐々という研究員も姿を消して、研究所内は騒ぎになっていた。
すぐに雫は戻ってくる。きっと見つけてくれる。
しかしそんな期待はあっけなく打ち砕かれた。
極秘扱いだった雫を知る存在は高杉先生と彼を支持する数名の人間のみ。その雫が攫われてしまい、捜索の為に人員を割くことはできないと無情にも告げられた。
雫は探せない。もう戻ってくることは難しい。
何かがガラガラと音を立てて崩れていった。
荒れた室内。床には青が雫へプレゼントした二十四色のクレヨンが散乱していた。千切られた画用紙も散らばっており、その内の何枚かは雫が書いていたものだろう。「赤色」「黒色」「黄色」と、それぞれの文字と同じ色のクレヨンで大きく記されていた。
雫がいない。まる一日が経った後、俺は糸が切れたように青へと怒鳴り散らかした。
「アンタが悪いんだ! アンタが雫を置いていこうって、そう言わなければこんなことにはならなかったのにっ……! 俺はっ……俺は一緒に連れていこうって……言ったのに! バカヤロウ!!」
自分よりも大きな身体の男に、俺は握った拳をドンドンとぶつけた。力任せにこれでもかと、あの人を叩いた。
「何が稀少種だ! てめえなんか、誰かがいなけりゃすぐに死んじまう癖に! ずっと一人でいりゃ良かったんだ! お前のせいでっ、お前のせいで雫はっ! お前のせいだ! 全部、全部、てめえのせいだ!!」
青のせいじゃない。そんなのはわかっていた。でも、子供だった俺の怒りは何処にもぶつけることができず、目の前にいるたった一人の家族へと向かっていた。
あの人はずっと、黙って俺の怒りを受け入れた。それがさらに腹立たしくて、俺はとにかく酷い言葉で罵った。
「なんとか言えよ、この劣等種!!」
もしかしたら根底では、そう思っていたのかもしれない。彼らをそう括っていたのかもしれない。
信じられない台詞が口から出ていた。そして口にした後、自分がどれだけ矮小で、非力で、何もできない存在なんだということを思い知らされた。
自分の醜さにも気づいてしまった。
「うっ、うぐっ……うわああああ!!」
親に殴られても、こんなに泣いたことはなかった。何の実にもならないことはわかっているのに、俺はただただ泣いた。鼻水を垂らして涎も流して、その声が掠れるまでたくさん泣いた。
どれだけの時間が経っただろう。涎と共に血が混ざっていた。どこか切ったのだろうか。喉が痛い。声が掠れて思うように出なかった。
顔はびちゃびちゃ、目はパンパン、鼻も赤く腫れていた。そんな俺に、あの人は静かに口を開いた。
「武虎」
俺の名を呼んだあの人は、綺麗な青色の瞳に何も浮かべちゃいなかった。
ただ淡々と、これからのことについて口にした。
「お前が私を憎むのは当然だ。だから今後のことは全てお前が決めろ。その為に必要なものは何でも言えばいい。私にできることであれば、何でもお前に与えてやる。但し、私は私で今後は動かせてもらう」
「う、ごく? なにを……」
「私はここから出ていく」
「出て、いくって……」
簡単にできることではなかった。しかしあの人は、ごくごく当たり前のようにそう言った。
「外に出て、あの子を取り戻してくる」
「んなの、できるわけねえだろ。アンタは存在自体が……」
「お前は私達の関係を家族だと言った。私に家族はないが、あの子が家族ならばここにいないことは許されない。それが奪われたものなら、なおさらだ」
何も浮かべていないなんて嘘だった。あの人の青い瞳は見たこともない怒りの色に満ちていた。それが表情に出ていないだけで、ゾッとするほどの凄みがあった。
俺の嗚咽はいつの間にか止まっていた。
「お前が思う通り、私には何もない。遊びで得た金が少しあるくらいだ。しかし種銭としては充分だろう」
「種銭って……ギャンブルでも、するつもりかよ……」
「アンオフィシャルというものがあるんだろう? 何でも賭けられるそうじゃないか。有り難いことに私は五体満足で生まれてきた」
あの人は自分の手を広げると、その内の人差し指を一本、反対の手で摘まんでみせる。そしてやはり、何でもないように言ってのけたんだ。
「この指一本でも、稀少種であれば高い値がつくだろう?」
「アンタ……」
ああ、この人は自分の命を賭ける気だ。ここで泣き喚く俺と違って、この人は雫を取り戻す為なら自分の命などどうでもいい、そう考えているということがわかった。
何が大切な存在だ。俺の思いはこの人の比じゃなかった。
そして俺に約束した。
「武虎。私は決めたよ。たとえ何年かかってでも、必ず雫を取り戻す。そしてお前の下に、あの子を連れてきてやる」
絶望に突き落とされたばかりだというのに、希望の光が差したような気がした。
この人が言うのは無謀な話だ。ギャンブルは騙し合い。そして少しの運だ。雫を取り戻す前にまず自分が奪われてしまうかもしれない。しかしこの人はその選択をした。
時間がない。てっとり早く金、そして地位と権力を手に入れる為にそれを選んだ。
でも、この人なら……この人なら、雫を見つけ出してくれる。俺に約束してくれたその目が絶対だった。
俺はぐちゃぐちゃの顔を乱暴に手で拭った。
「それ、アンタ一人でやるつもりかよ……」
まだ小さな身体。身長も力も大人には届かない。
それでも、この人だけに任せるわけにはいかない。
俺も雫の家族だ。
「俺をアンタの下に置け。今はまだガキだけど、これから俺はアンタの部下として働く。アンタの手足だ。どうとでも使え」
何の為の頭だ。今使わないでいつ使う。
俺は奪われたものを取り返す。その為ならなんだってやってやる。
「ぜってぇ雫を取り返す!!」
この人は、「それは心強い」と言って一瞬だけ笑みを見せた。そして落ちていた画用紙の一部を掴むと、それを眺めて何かを思いついたように言った。
「うん。雫よりは、しっくりくるな」
青色のクレヨンで書かれた大きな文字。きっと雫が一番、練習した文字だろう。
半分だけ千切られて、そこに残るのは「色」だけだったが。
「今日から私はシキだ」
それから、俺とシキは二人で研究所を出ていった。
部屋に戻ると、中は荒らされていた。頬を膨らませつつも出迎えてくれる筈の雫は何処にも見当たらなかった。
高杉先生へ連絡すると、雫だけでなく先生と対立していた佐々という研究員も姿を消して、研究所内は騒ぎになっていた。
すぐに雫は戻ってくる。きっと見つけてくれる。
しかしそんな期待はあっけなく打ち砕かれた。
極秘扱いだった雫を知る存在は高杉先生と彼を支持する数名の人間のみ。その雫が攫われてしまい、捜索の為に人員を割くことはできないと無情にも告げられた。
雫は探せない。もう戻ってくることは難しい。
何かがガラガラと音を立てて崩れていった。
荒れた室内。床には青が雫へプレゼントした二十四色のクレヨンが散乱していた。千切られた画用紙も散らばっており、その内の何枚かは雫が書いていたものだろう。「赤色」「黒色」「黄色」と、それぞれの文字と同じ色のクレヨンで大きく記されていた。
雫がいない。まる一日が経った後、俺は糸が切れたように青へと怒鳴り散らかした。
「アンタが悪いんだ! アンタが雫を置いていこうって、そう言わなければこんなことにはならなかったのにっ……! 俺はっ……俺は一緒に連れていこうって……言ったのに! バカヤロウ!!」
自分よりも大きな身体の男に、俺は握った拳をドンドンとぶつけた。力任せにこれでもかと、あの人を叩いた。
「何が稀少種だ! てめえなんか、誰かがいなけりゃすぐに死んじまう癖に! ずっと一人でいりゃ良かったんだ! お前のせいでっ、お前のせいで雫はっ! お前のせいだ! 全部、全部、てめえのせいだ!!」
青のせいじゃない。そんなのはわかっていた。でも、子供だった俺の怒りは何処にもぶつけることができず、目の前にいるたった一人の家族へと向かっていた。
あの人はずっと、黙って俺の怒りを受け入れた。それがさらに腹立たしくて、俺はとにかく酷い言葉で罵った。
「なんとか言えよ、この劣等種!!」
もしかしたら根底では、そう思っていたのかもしれない。彼らをそう括っていたのかもしれない。
信じられない台詞が口から出ていた。そして口にした後、自分がどれだけ矮小で、非力で、何もできない存在なんだということを思い知らされた。
自分の醜さにも気づいてしまった。
「うっ、うぐっ……うわああああ!!」
親に殴られても、こんなに泣いたことはなかった。何の実にもならないことはわかっているのに、俺はただただ泣いた。鼻水を垂らして涎も流して、その声が掠れるまでたくさん泣いた。
どれだけの時間が経っただろう。涎と共に血が混ざっていた。どこか切ったのだろうか。喉が痛い。声が掠れて思うように出なかった。
顔はびちゃびちゃ、目はパンパン、鼻も赤く腫れていた。そんな俺に、あの人は静かに口を開いた。
「武虎」
俺の名を呼んだあの人は、綺麗な青色の瞳に何も浮かべちゃいなかった。
ただ淡々と、これからのことについて口にした。
「お前が私を憎むのは当然だ。だから今後のことは全てお前が決めろ。その為に必要なものは何でも言えばいい。私にできることであれば、何でもお前に与えてやる。但し、私は私で今後は動かせてもらう」
「う、ごく? なにを……」
「私はここから出ていく」
「出て、いくって……」
簡単にできることではなかった。しかしあの人は、ごくごく当たり前のようにそう言った。
「外に出て、あの子を取り戻してくる」
「んなの、できるわけねえだろ。アンタは存在自体が……」
「お前は私達の関係を家族だと言った。私に家族はないが、あの子が家族ならばここにいないことは許されない。それが奪われたものなら、なおさらだ」
何も浮かべていないなんて嘘だった。あの人の青い瞳は見たこともない怒りの色に満ちていた。それが表情に出ていないだけで、ゾッとするほどの凄みがあった。
俺の嗚咽はいつの間にか止まっていた。
「お前が思う通り、私には何もない。遊びで得た金が少しあるくらいだ。しかし種銭としては充分だろう」
「種銭って……ギャンブルでも、するつもりかよ……」
「アンオフィシャルというものがあるんだろう? 何でも賭けられるそうじゃないか。有り難いことに私は五体満足で生まれてきた」
あの人は自分の手を広げると、その内の人差し指を一本、反対の手で摘まんでみせる。そしてやはり、何でもないように言ってのけたんだ。
「この指一本でも、稀少種であれば高い値がつくだろう?」
「アンタ……」
ああ、この人は自分の命を賭ける気だ。ここで泣き喚く俺と違って、この人は雫を取り戻す為なら自分の命などどうでもいい、そう考えているということがわかった。
何が大切な存在だ。俺の思いはこの人の比じゃなかった。
そして俺に約束した。
「武虎。私は決めたよ。たとえ何年かかってでも、必ず雫を取り戻す。そしてお前の下に、あの子を連れてきてやる」
絶望に突き落とされたばかりだというのに、希望の光が差したような気がした。
この人が言うのは無謀な話だ。ギャンブルは騙し合い。そして少しの運だ。雫を取り戻す前にまず自分が奪われてしまうかもしれない。しかしこの人はその選択をした。
時間がない。てっとり早く金、そして地位と権力を手に入れる為にそれを選んだ。
でも、この人なら……この人なら、雫を見つけ出してくれる。俺に約束してくれたその目が絶対だった。
俺はぐちゃぐちゃの顔を乱暴に手で拭った。
「それ、アンタ一人でやるつもりかよ……」
まだ小さな身体。身長も力も大人には届かない。
それでも、この人だけに任せるわけにはいかない。
俺も雫の家族だ。
「俺をアンタの下に置け。今はまだガキだけど、これから俺はアンタの部下として働く。アンタの手足だ。どうとでも使え」
何の為の頭だ。今使わないでいつ使う。
俺は奪われたものを取り返す。その為ならなんだってやってやる。
「ぜってぇ雫を取り返す!!」
この人は、「それは心強い」と言って一瞬だけ笑みを見せた。そして落ちていた画用紙の一部を掴むと、それを眺めて何かを思いついたように言った。
「うん。雫よりは、しっくりくるな」
青色のクレヨンで書かれた大きな文字。きっと雫が一番、練習した文字だろう。
半分だけ千切られて、そこに残るのは「色」だけだったが。
「今日から私はシキだ」
それから、俺とシキは二人で研究所を出ていった。
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