【完結】檻の中の劣等種

天白

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最終話

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 数年後――



「そ~ら~! あんまり遠くまで走ると迷子になるぞ~!」

「や~!」

「こら! 前みたいに迷子でベソかいても知らないぞ~!」

「きゃははっ! とーちゃん、くすぐったい~!」

「ほら、ママが心配するから戻るぞ~!」

「あーい!」




 ――――…




 バタバタと賑やかな足音が聞こえてくる。二人が帰ってきたことを知った俺は、コンロのスイッチを切って鍋の下で揺らめいていた火を消した。野菜を煮込んだコンソメスープの良い香りが、キッチンからダイニングを通ってリビングまでをも満たしていく。

「たらいま!」

 勢いよく扉を開けて駆けつけてきたのは、小さな怪獣だ。俺の脚を目がけて抱きつき、ニパッと人懐こい満面の笑みを浮かべた。

「ママ! くーちゃん、もどったよ!」

「おかえり、くうちゃん。手は洗った?」

「まだ!」

「じゃあ、キレイキレイしてきて?」

「うん!」

 綺麗な青色の目がクリクリと可愛い。再びバタバタと足音を立てて、くうちゃんこと空は洗面所へと駆けていった。

 葛城空。現在、三歳の男の子。舌ったらずに言葉を話す、元気な怪獣。出産予定日を過ぎてもなかなか出てこなかったから、腹を切って取り上げられた恥ずかしがり屋。さぞ外に出るのが嫌だったのかと思いきや、今じゃ外が大好きな子に。朝はママの俺よりも早く起きる。

 空が出ていった後、次に入ってきたのはTシャツにジャージ姿の武虎だ。暑いのか、右手でパタパタと扇ぎながら俺に向かって挨拶する。

「ただいま、滴」

「おかえりなさい、武虎」

「いや~、空ってば日に日に脚が速くなって……俺もおっさんになったわ~」

 そう言いながら、ダイニングテーブル前の椅子にどっかりと腰を下ろした。

 朝の早い空の面倒を、武虎はほぼ毎日見てくれる。きっと駆けっこ勝負だ! とでも言って走り回ってきたんだろう。今日は天気がいいし、走り回るのには持ってこいの日和だ。

 俺は棚から皿を取り出しながら言った。

「まだ三歳だから、これからもっと速くなるだろうね」

「そだな~。悔しいから鍛えるわぁ。筋トレしてこよ」

「もう朝食ができるよ」

 既に筋肉ムキムキの身体をしている癖に、それ以上鍛えてどうするというのか。

 朝食という単語を耳にした武虎は筋トレをするのを止めて俺の下へ来ると、シンクやコンロ周辺を眺めた。

「今日の朝飯、何?」

「野菜のコンソメスープと、エッグベネディクト」

「美味そうだな」

「勝率は五分」

「嘘つけ。俺より上手くなった癖に」

「卵料理だけだけどね」

 四枚皿を並べると、マフィンの上に焼いたベーコンとポーチドエッグを乗せ、ソースをかける。仕上げはパセリ。彩りがいい。空はまだ子供だけど、大人と同じようにやらないと妬いちゃうからこの子のメニューも同じ。但し、量は少なめで。

 ダイニングテーブルへ四人分の料理を並べていると、リビングの扉から我が家の大黒柱が怪獣を抱き上げ静かに入ってきた。

「おはよう、滴。武虎」

「おはよう、シキ」

「おはようございます、シキ」

 上下真っ黒の部屋着に身を包んだシキが、腕の中でキャッキャと喜ぶ我が子に今朝の出来事を聞かされている。

「パパ。さっきね、とーちゃんとかけっこしたよ。くーちゃんがかったよ。えらい?」

「武虎に勝ったのか。それはそれは。将来、大物になれるな」

 武虎の虎の部分から、あだ名がとーちゃんになったのは、言うまでもなく武虎の入れ知恵だ。父ちゃんとかけているところが彼らしい。親バカならぬ伯父バカだ。

 シキが我が子を褒めると、空は同じ青い目をシキに合わせてキラキラと輝かせた。

「明日はパパとかけっこしたい!」

「なるほど、私と勝負か。では、久々にギャンブルでもしようかな。滴、どちらに賭ける?」

「俺はくうちゃんを応援する」

「ママ、くーちゃんかつよ!」

「私も空を応援します」

「つれないね。しかし父親とはこんなものか」

 俺と羽柴さんが空の味方をしたことで、シキはわざとらしく肩を竦めてみせた。そして我が子を羽柴さんに預けると、シキは俺の傍へとやって来て改めておはようのキスを頬に落とした。少しだけずれた眼鏡を直しながら、俺は小声でシキに言った。

「もうギャンブルはやらないんだろ?」

「命を賭けるようなものはね」

「むぅ」

「そんなリスみたいな顔をして……滴はいくつになっても可愛いね」

 俺の細い腰を抱きながら、シキが囁いた。

 俺が空を産むと、シキはギャンブルを辞めた。起こした会社は殆どを人に任せ、自身はタワーマンションから離れて海岸近くに家を建てた。半分隠居のような生活になったシキは、俺と空のいる時間を主として今は静かに過ごしている。

 羽柴さんも一緒に住んでいるけれど、今は高杉先生と一緒に医療関係の仕事をしていて変わらず忙しい日々を送っている。劣等種と呼ばれてきた俺達の差別をなくす為の論文も書かれた。俺とシキが子を成したことが大きな一歩だ。稀少種と呼ばれる女性のあり方も今後は見直されていくのかもしれない。

「今夜は励もうか。そろそろ空にも兄弟を作ってあげよう」

「そう言って、一昨日もたくさんした癖に……」

「滴はあの程度では満足しないだろう?」

「シキ、言い方がやらしい」

「お前に飽きることは一生ないからね」

「やー! くーちゃんもまざる~!」

 シキが俺に誘惑を仕掛けている姿をじゃれあっていると勘違いした空が、羽柴さんの膝から離れて俺の下へと駆け寄った。

 ちょっと助かった……そう思いながら空を抱き上げてやると、俺の首に小さな腕を回してぎゅっと抱きついた。

 可愛い。時折くるイヤイヤ期も吹っ飛ぶ可愛さだ。

 コアラのように俺にしがみつく空に、シキが苦笑して頭を撫でた。

「そうだ、空。お前は弟と妹ならどちらが欲しい?」

「おとーと? いもーと?」

 パチッとした目元が、シキ曰く俺に似ているらしい。青い目を瞬かせながら、空はシキに尋ねた。

「兄弟だよ。お前がお兄ちゃんになるんだ」

「くーちゃんが、おにーちゃん……」

「男の子、女の子、どちらがいい?」

「んとね~、どっちも!」

「それはそれは……私も頑張らないとな」

「もう」

「ほら、三人とも! 朝食、始めるぞ!」

 賑やかで楽しい毎日。こんなに明るくて、目まぐるしい日々なのに……俺は時々、魘される。

 元凶となったあの佐々という老人はもうこの世にいない。寿命だったらしい。それでもあの人が長年、俺にしてきた過去は決して消せない。許されることでもない。

 空を産んで、その時にできた腹の傷よりも。目に見えない傷の方が大きいこともある、と。シキは俺を抱き締めながら言った。

 ようやくシキ達との生活が、あの檻の中での年月よりも長くなったばかりなんだ。そしてこれから、どんどんと塗り替えられていくことだろう。

 楽しい日々。嬉しい日々。そして時には悲しい日々を。

 この小さな我が子の成長と共に一緒に感じていけたらと思うと、今はとてもワクワクしている。

 そして……

「あ、ママわらった! ママ、にこーっ!」




 俺の大好きな家族と共に、笑って泣いて、生きていこう。




 「檻の中の劣等種」 END.


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