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雫
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しおりを挟む「シキ」
シキはいつもと変わらぬ穏やかな表情で、こちらに向かって笑みを浮かべた。
上下を上質なグレーのスーツに身を包んだシキが、俺の傍に来て武虎と交代し、ベッドサイドへ腰を下ろすと俺の手を握った。そして俺の身体を引き寄せると、その逞しい胸に俺自身を包み込む。
「ただいま」
「ん……おかえりなさい」
シキは馬野とのギャンブルの後、俺の前で倒れた。馬野が混入させた抗精神病薬が効いて、しばらく目を覚ませずにいた。しかし薬の作用が切れると、シキはすぐに行動して「後始末」を始めた。
口の中や食道は確かに焼けていたというのに、治りは早いと言ったシキの言う通り、常人の何倍も早くに回復した。
結局はどちらも外れだったあのグラスの中身。けれどシキは、本来なら水である筈の方を引いていたらしい。引きが良いのは本当だった。だからこそ、回復も早いのだろう、と。
今日は馬野の処分について決めてきたらしい。あの人は海外に飛ばされるとのこと。もちろん、シキの監視の下で。武虎は不服みたいだけれど、もう会わなくて済むのならどうでも良かった。
それよりも、なんだか今日のシキ……違う? すごく安心するというか……
俺はもぞもぞと頭を動かしてシキを見上げた。
「シキ。匂い、変わった?」
「ん? ああ、余計なものを纏ってこなかったからな」
「余計なもの?」
「稀少種の中に鼻の良い人間がいるだろう? 犬みたいな。ああいった人間向けに自分の体臭を誤魔化す為、いつも特殊な香料を纏わせていた」
そうなんだ。全然気づかなかった。
じゃあ、これがシキの本来の匂いなんだ。俺は眼鏡が歪むのも気にせず、シキの胸に頭を擦り寄せポツリと呟いた。
「俺……このシキの匂い、好き」
「相性がいいんだな、私達は」
シキは俺の頭を撫でると、スーツの胸ポケットから折り畳んだ小さな紙を取り出した。人の手で破られ、お世辞にも綺麗とは言い難い画用紙の切れ端。開いたそこには、子供が書いたような歪な文字があった。目を凝らして見ると、青いクレヨンで「色」と書かれていた。
「これ、何?」
「お前が『雫』として最後に残していったものだよ。青色と書いていたんだろう。あの頃は私の瞳の色を漢字で書いて練習していた。青の部分だけお前が持って行ったんだ」
「色だから……シキ?」
「雫よりはしっくりきているよ」
当時の俺が残していった、「色」の文字。それがシキに名前を与えていたなんて。
俺はシキと武虎に謝った。
「ごめんなさい。俺、何も覚えてなくて……」
二人はこんなにも、俺の為に動いてくれていたというのに。
でもシキは、何でもないように俺に言った。
「それは仕方ない。お前は自分を守る為に忘れたんだ。思い出さなくていい」
そして俺の頬に手を宛がいながら、自分と目を合わせるよう顔を上げさせた。
「これはね、私の我が儘なんだ。今もお前を私の傍に置いていることもね。本当なら、外に出してやった方がいいんだろう。けれど、それはできない。私は自分が思っている以上に、お前を手放したくないんだよ。この先も、一生ね」
「シキ……」
俺は頬に乗るシキの手に、自分の手を重ねた。
何かが俺の心を満たしていく。それはこの人の青い目がそうさせるのだろうか?
澄んだ青い目は、俺に優しく語りかけた。
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