【完結】檻の中の劣等種

天白

文字の大きさ
上 下
48 / 74

18

しおりを挟む

「……辞めさせられた、が正しいんだけどね」

「え?」

 ポツリと発せられた言葉が聞き取れなかった。馬野先生の顔を見ると、彼はニコッと俺に笑った。

「それより、体調はどう?」

「あ……変わらず、です」

「そのようだね。ドーナツがあるよ。食べるかい?」

 俺の前にあるクッキーを見て、先生はスーツケースとは別の鞄からドーナツが入っている包み紙を取り出した。

 チョコレートがコーティングされているドーナツ。しかしそれを見ても以前のような欲求はない。羽柴さんお手製のクッキーを食べているせいか、食欲は抑えられている。俺は首を横に振った。

「いえ、結構です。お菓子は食べないようにって、約束しているので」

「それはいいの? クッキーのようだけど」

「これは砂糖を使っていないから食べても大丈夫なんです」

 シキと約束した。購買でお菓子は買わないし、他人からお菓子を貰わないと。先生の差し出すドーナツも美味そうだけれど、食べなくて済むのならそれに越したことはない。

 しかし先生は、感心しないと頭を振った。

「摂取するならブドウ糖の方がいい。砂糖を使っていなくとも、甘味料は使っているんだろう?」

「……た、ぶん」

「ラムネ菓子は平気?」

「ラムネって?」

 馬野先生は鞄の中から今度は筒状の透明の容器を取り出した。中には白い錠剤みたいなものがたくさん詰め込まれている。これがお菓子?

 知らない俺に、馬野先生は容器を振ってカラカラと音を立てさせた。

「こういうラムネ菓子は駄菓子屋に行くとたくさんあるよ。私が持っているこれはブドウ糖の塊だからね。こちらにしなさい」

 砂糖ではないから大丈夫、ということか。でも、シキから他の物をもらわないことって約束しているし……

 俺が渋っていると、先生は語気を強めて言った。

「そのクッキーは医師から許可が下りたもの?」

「違います……」

「感心しないな。食べても大丈夫という根拠がない。私は医師だよ」

「……はい」

 半ば推し進められる形で、俺は先生からラムネを受け取った。見た目がやっぱり薬みたいだ。食べ方とかあるのかな。

「これ、どうやって食べるんですか?」

「そのまま口の中に入れればいいよ。ちょっと変わった味がするかもしれないけれど」

 菓子なのに甘くないのかな。俺は容器から一粒手の平に落とすと、それを口にした。

「……うぇ」

「あまり甘くないでしょう?」

 俺は頷いた。甘くないどころか苦味さえ感じる。こんなものなのかな。

 独特の味に堪えられなくなった俺はゴクンとそれを嚥下する。後味が舌に残っていてなんだか気持ち悪い。羽柴さんのクッキーを口直しに食べたい。

 でも、馬野先生が見ている中でそれを口にすることが躊躇われる。今しがた注意をされたばかりだし。

「美味しくなかった?」

 その問いかけに俺は三回頷いた。先生は苦笑すると、俺の向かいのソファへ腰を下ろす。

 荷物を持って帰るのではないんだろうか? まだいるのであれば、先日の血糖値の結果を聞いてもいいだろうか。

「先日の結果だけど、低血糖ではなかったよ」

「あ……そう、なんですか」

 俺が尋ねるよりも前に先生の方から答えが返ってきた。低血糖じゃなかったのか。じゃあ、何なんだろう? 今日は検査をするし、それでわかればいいけれど。

 すると、先生は驚くことを平然と言ってのけた。

「そもそも血糖値の検査をしていないからね」

「…………は?」

 血糖値の検査をしていない? どういうこと?

 先生はニコニコと笑っている。顔立ちに良く合う柔和な笑み。

 俺は自分の耳を疑った。あの時受けた検査は低血糖かどうかを調べる為に血糖値を測るものじゃなかったのか?

 いや、それよりも……先生の、この笑み……

「それよりも、葛城君。酷いじゃないか」

「酷い? 何が、ですか?」

「私は言ったよね。『中瀬』という男を見つけたら何でもいい。教えてくれと」

「あ……」

 そう言って馬野先生は立ち上がると窓際に近づき、グラウンドを眺めた。バスケを楽しむ生徒達。その中に混ざる武虎を見つめて、先生は言葉を続けた。

「羽柴君は中瀬の母方の姓だよね。安直だな。どうせ変えるのなら全く別の名前にすれば良かったのに」

 馬野先生は武虎の母方の姓を知っていた? 二人は仲がいいわけではないのに?

 俺は携帯電話を持つ手を僅かに動かした。馬野先生は窓の向こうを見つめたまま、語りを続ける。

「向こうは私のことなどよく知らないだろうね。それもそうか。彼はあの中で一番優秀だったから、他の者のことなどいちいち覚えちゃいないだろうね」

「あ、の……」

「ま。私の一番の探し物が見つかったから、もうどうでも良いけれどね」

 音を立ててカーテンを閉める。一気に外界と閉ざされた気がした。この空間に、俺は彼と二人きりになった。

 俺の中で警報が鳴る。これは駄目だ、と。

 すぐに逃げなければいけない、と。

 …………あ、れ?

「中瀬は正直、どうでもいいんだ。彼は私の欲するものを全て奪っていった。だから辿り着きたかった。だから彼を模倣した。それだけなんだよ」

 頭が、重い……? グラグラする。何だ、これ……?

 立ち上がろうと脚に力を込み入れるも、上手く踏ん張れない。ガクン、と膝から下に落ちてしまう。

 俺はソファから床に跪き、先生を見上げた。

「ずっと『雫』を探していた。いつかは諦めてしまうのやもと思った時もあったけれど、何年経ってもこの気持ちが変わることはなかった。いつかは願いが叶うと信じて生きてきた。しかしまさか君に辿り着けるとはね。それも滴とは……」

 なに……なにを、いっている?

 わからない。ナカセをさがしていたんじゃないの?

 シズク? でもこのくちぶりは、きっとおれのことじゃない……。

 わからない。あたまがおもい。ぐらぐらする。

 けいたい……しきに、いわなくちゃ……。

 意識が朦朧とする中、俺は自分の携帯電話へと手を伸ばした。しかしそれはあっさりと取り上げられてしまう。

「美味しい血をありがとう。ようやく手に入れることができたよ…………私の『雫』」

 ああ……なんで、だろ。まのせんせい……どうしてあなたは、あのろうじんとおなじかおをするの?

 こわい。こわいよ……

 たすけて、たけとら……。たすけて、しき……。

 たすけて……

「これは私の物だよ」

 たすけて……

しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

S級騎士の俺が精鋭部隊の隊長に任命されたが、部下がみんな年上のS級女騎士だった

ミズノみすぎ
ファンタジー
「黒騎士ゼクード・フォルス。君を竜狩り精鋭部隊【ドラゴンキラー隊】の隊長に任命する」  15歳の春。  念願のS級騎士になった俺は、いきなり国王様からそんな命令を下された。 「隊長とか面倒くさいんですけど」  S級騎士はモテるって聞いたからなったけど、隊長とかそんな重いポジションは…… 「部下は美女揃いだぞ?」 「やらせていただきます!」  こうして俺は仕方なく隊長となった。  渡された部隊名簿を見ると隊員は俺を含めた女騎士3人の計4人構成となっていた。  女騎士二人は17歳。  もう一人の女騎士は19歳(俺の担任の先生)。   「あの……みんな年上なんですが」 「だが美人揃いだぞ?」 「がんばります!」  とは言ったものの。  俺のような若輩者の部下にされて、彼女たちに文句はないのだろうか?  と思っていた翌日の朝。  実家の玄関を部下となる女騎士が叩いてきた! ★のマークがついた話数にはイラストや4コマなどが後書きに記載されています。 ※2023年11月25日に書籍が発売!  イラストレーターはiltusa先生です! ※コミカライズも進行中!

完結・オメガバース・虐げられオメガ側妃が敵国に売られたら激甘ボイスのイケメン王から溺愛されました

美咲アリス
BL
虐げられオメガ側妃のシャルルは敵国への貢ぎ物にされた。敵国のアルベルト王は『人間を食べる』という恐ろしい噂があるアルファだ。けれども実際に会ったアルベルト王はものすごいイケメン。しかも「今日からそなたは国宝だ」とシャルルに激甘ボイスで囁いてくる。「もしかして僕は国宝級の『食材』ということ?」シャルルは恐怖に怯えるが、もちろんそれは大きな勘違いで⋯⋯? 虐げられオメガと敵国のイケメン王、ふたりのキュン&ハッピーな異世界恋愛オメガバースです!

あなたの隣で初めての恋を知る

ななもりあや
BL
5歳のときバス事故で両親を失った四季。足に大怪我を負い車椅子での生活を余儀なくされる。しらさぎが丘養護施設で育ち、高校卒業後、施設を出て一人暮らしをはじめる。 その日暮らしの苦しい生活でも決して明るさを失わない四季。 そんなある日、突然の雷雨に身の危険を感じ、雨宿りするためにあるマンションの駐車場に避難する四季。そこで、運命の出会いをすることに。 一回りも年上の彼に一目惚れされ溺愛される四季。 初めての恋に戸惑いつつも四季は、やがて彼を愛するようになる。 表紙絵は絵師のkaworineさんに描いていただきました。

【完結】ぎゅって抱っこして

かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。 でも、頼れる者は誰もいない。 自分で頑張らなきゃ。 本気なら何でもできるはず。 でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。

精霊の港 飛ばされたリーマン、体格のいい男たちに囲まれる

風見鶏ーKazamidoriー
BL
 秋津ミナトは、うだつのあがらないサラリーマン。これといった特徴もなく、体力の衰えを感じてスポーツジムへ通うお年ごろ。  ある日帰り道で奇妙な精霊と出会い、追いかけた先は見たこともない場所。湊(ミナト)の前へ現れたのは黄金色にかがやく瞳をした美しい男だった。ロマス帝国という古代ローマに似た巨大な国が支配する世界で妖精に出会い、帝国の片鱗に触れてさらにはドラゴンまで、サラリーマンだった湊の人生は激変し異なる世界の動乱へ巻きこまれてゆく物語。 ※この物語に登場する人物、名、団体、場所はすべてフィクションです。

側妻になった男の僕。

selen
BL
国王と平民による禁断の主従らぶ。。を書くつもりです(⌒▽⌒)よかったらみてね☆☆

ギルド職員は高ランク冒険者の執愛に気づかない

Ayari(橋本彩里)
BL
王都東支部の冒険者ギルド職員として働いているノアは、本部ギルドの嫌がらせに腹を立て飲みすぎ、酔った勢いで見知らぬ男性と夜をともにしてしまう。 かなり戸惑ったが、一夜限りだし相手もそう望んでいるだろうと挨拶もせずその場を後にした。 後日、一夜の相手が有名な高ランク冒険者パーティの一人、美貌の魔剣士ブラムウェルだと知る。 群れることを嫌い他者を寄せ付けないと噂されるブラムウェルだがノアには態度が違って…… 冷淡冒険者(ノア限定で世話焼き甘えた)とマイペースギルド職員、周囲の思惑や過去が交差する。 表紙は友人絵師kouma.作です♪

ナイトプールが出会いの場だと知らずに友達に連れてこられた地味な大学生がド派手な美しい男にナンパされて口説かれる話

ゆなな
BL
高級ホテルのナイトプールが出会いの場だと知らずに大学の友達に連れて来れられた平凡な大学生海斗。 海斗はその場で自分が浮いていることに気が付き帰ろうとしたが、見たことがないくらい美しい男に声を掛けられる。 夏の夜のプールで甘くかき口説かれた海斗は、これが美しい男の一夜の気まぐれだとわかっていても夢中にならずにはいられなかった。 ホテルに宿泊していた男に流れるように部屋に連れ込まれた海斗。 翌朝逃げるようにホテルの部屋を出た海斗はようやく男の驚くべき正体に気が付き、目を瞠った……

処理中です...