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雫
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しおりを挟む昼休みが終わり、午後からの授業が始まった。国語は好きだ。モノクロの文字ばかりを眺めていられるから。でもその日の最後の授業が体育だった。俺は出席することができない。もしも大怪我を負った場合、普通の病院にかかれないことや、輸血などの騒ぎになった場合、すぐに血液が用意されないことがあると、シキに言われたからだ。
特に身体を動かすことが好きなわけではないし、かといってラジオ体操くらいは毎朝やっているから運動不足のわけでもない。学校側には何て説明してあるのか知らないけれど、俺は体操着に着替えて他の生徒と共にグラウンドへ向かった。
隣のクラスと合同なので、もちろん武虎と一緒だ。俺は参加できないけれど、運動神経の良い武虎がバスケをやっている姿を眺めるのは楽しいし、決してつまらなくはない。
それが今日から、「冬に体操着だけで見学は風邪を引くだろうから」と体育教師に言われ、一人保健室で見学をすることになった。あそこにも窓はあるし、グラウンドは見られるからと、俺は渋々保健室へ向かった。
保健室に着くと、そこには馬野先生ではなく別の先生がいた。聞けば馬野先生は早退したらしい。理由は聞かされなかった。
シトラスの香りは殆ど消えていた。
――――…
学校が終わると、珍しく武虎が一緒に帰ろうと俺を誘った。不思議に思いながらも、俺は言われるがまま、武虎と一緒にシキの待つ車の下まで向かった。
シキはいつもの路地で車を駐めて待っていた。後部座席へ乗り込むと、武虎も一緒にそこへ乗り込んだ。その瞬間から、武虎は羽柴さんになり、俺に学ランを脱ぐよう促した。やはり言われるがまま、俺は学ランを脱いでワイシャツ姿になる。その上から何かを確認するように身体を触られた。ワイシャツの袖を捲られて肘の内側も調べられる。
どうしたの? と聞いても何も言わない。そして俺の右側の人差し指を見て、羽柴さんは運転席側にいるシキに何かを耳打ちした。
不安になって二人を交互に見ていると、羽柴さんが俺に質問を始めた。
「今日は保健室で馬野から何をされましたか?」
「何って……」
そんなの、「聴いて」いて知っている筈なのに、どうして確認をするんだろう? そう思いながらも、俺は彼の質問へ正直に答えた。
「チュロスをもらった。あと、低血糖かもしれないからって、その検査を……」
駄目だったんだろうか? 羽柴さんの質問は続いた。
「今日は学校で何を食べましたか?」
「えっと……イチゴ牛乳とチュロス……あと、板のチョコレート」
あれだけ甘いものばかりを食べた後に、俺は購買でこっそりと板チョコを買っていた。食べ過ぎている自覚はある。もしかして、怒られるのかな……
昼に買ったサンドウィッチは結局、食べずに終わってしまった。ますます不安になる俺に、運転席側にいるシキが小さく笑った。
「すっかり甘党だね」
「ごめんなさい……」
怒られたわけではない。けれど、内心呆れられているんだろう。俺は無表情のまましょんぼりと肩を落とした。
羽柴さんは俺の肘まで捲ったワイシャツを直しながら、先程よりも口調を和らげた。
「怒っているわけではありませんよ。滴様のことが心配なだけなんです」
「うん……」
「ちなみに、今は何が食べたいですか?」
「今?」
「ええ、正直にお答えください」
怒らないから。そう言っているように聞こえた。
俺は少し考えた後、本当に食べたいものを吐露した。
「昼に食べたチュロス。あと、ドーナツとか、クッキーとか、噛み応えがある甘いもの」
板チョコは甘くて美味しかった。でも食べ応えがなくてあまり満足できずにいた。パンや焼き菓子のような噛み応えのある甘いものが食べたいのかもしれない。
すると羽柴さんは怒ることなく頷いてみせた。
「わかりました。希望に添えるものをご用意しましょう」
「いいの?」
「砂糖ばかりだとシキの言うように、身体に負担をかけてしまいますから。甘味料は変えて、甘くて美味しいものを作ります。そうですね。メープルシロップのかかったブレッドプディングなど如何でしょう?」
「ぶれっどぷでぃんぐ?」
「卵と牛乳を使った甘い液を、パンに染み込ませて焼いたものになります。外側がカリッとしていて、中はとろとろ。甘くて温かくて美味しいですよ」
「うん!」
聞いているだけで美味そうなそれに、俺は大きく頷いた。そんな俺に、運転席側にいるシキがまたも小さく笑った。
「おやおや。こんなに喜ばれるとはね」
「作り甲斐があります」
「でも、シキは? シキもブレッドプディング?」
「私は何でも食べられるからね」
「貴方には別で食事を作りますよ」
俺はブレッドプディング、そしてシキは別メニューの食事と、今夜の献立が決まった。
脱いだ学ランを背中にかけられると、シキがバックミラー越しで俺に言った。
「滴。羽柴がしばらく、お前の為にこうして食事を作ってくれるそうだから、これから購買で菓子パンやチョコレートを買ったり、保健室でドーナツやチュロスを貰ったりしないこと。それだけは約束できるかな?」
「あ…………うん。がん、ばる」
「そう。偉いね」
「焼き菓子も作って持たせますから。食べたくなったらそれを口にしてください」
「うん」
二人とも、俺の急な変化に怒ることなく応えてくれる。全部が我が儘だというのに、それでも俺の身体のことを考えながら協力してくれるんだ。
そんな心遣いが嬉しい反面、心苦しかった。
羽柴さんは俺にシートベルトを装着させると、シキがそれを確認してサイドブレーキを解除し、ゆっくりと車を発進させた。
俺はシートベルトを両手で握りながら、ポツリと呟いた。
「俺、変だよね……。もしも低血糖だったり、別の病気とかだったりしたら……どうしよう……」
不安に煽られてしょうがない。つい悪い方へと考えが及んでしまう。
そんな俺に羽柴さんが自身のエピソードを語ってくれた。
「だとしても、生活はできますよ。私も一時期、菓子ばかりを食べて過ごしていたものです。ドーナツは一日五個、おはぎなら十個。それだけ食べても足りないくらいでした」
「えっ、そんなに?」
「何処かの誰かが、無理難題ばかりを投げつけてきましたからね。そうでもしないとやっていられませんでした」
「それは苦労したね、羽柴」
「ええ、全くです」
これ、きっとシキのことだよね? それでシキもわかっていてとぼけているんだよね?
なんだか可笑しい二人のやり取り。でも不思議と、その間だけ不安が霧散していった。
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