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雫
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しおりを挟む羽柴さんと馬野先生が同期であることを俺が知っているということは、当然シキも知っているんだろう。シキと共通の話題ができると思って、俺はもう一度先生について話し始めた。
「あの先生、なんだか面白かったよ。生徒相手なのにすごく低姿勢というか……」
「そう」
「ジャムパンは潰されちゃったけど、代わりに自分のドーナツをくれたんだ。優しいよね。ドーナツもチョコレートがかかっていて美味しくて。またいらっしゃいって言われたし、保健室だけど遊びに行ってもいいよね? 今度は……」
「滴」
話の途中だというのに、シキは俺の上唇に指を添えた。触れる指先は優しくとも、その意図は明確だった。
黙れ、ということらしい。青い目がそう告げていた。
シキはそのまま指を滑らせて俺の頬に宛がう。そして顔を上げさせると、しっとりと自身の唇を俺のそれに重ねた。
「ん……んぅ」
啄むようなキスをされ、すぐに離れたかと思うとシキは少しだけ怖い顔を浮かべてみせた。
「学校が楽しいのは何よりだ。しかし、他の男の話を楽しそうにされると、こちらとしてはあまり気分が良くない。羽柴に関しては概ね許すがね」
そう言って、握っていた手を離すと俺の寝巻きの裾から手を差し込み、腰を撫で上げながら胸へと触れる。そして胸の突起を見つけると、指で擽るように愛撫を始めた。
「んぁ……シキ……」
上では食まれるようなキスをされ、僅かな隙間から喘ぎ声が漏れる。
普段ならここで、俺がすぐに欲情してシキを受け入れる。彼の首に腕を回して、腰を捩って甘えながらおねだりをする。
それが唯一、俺が彼にしてあげられること。
俺が彼にできること。俺が彼にしたいこと。
その筈なのに……
「……っ、や……」
どうして? 俺……
「や……、だ…………」
「滴?」
「いや…………や、だ…………!」
どうして、俺は……シキの手を拒んでいるの?
シキが驚いた顔で俺を見る。何故なら、俺がシキの胸を押し返しているからだ。
ハッと気がついて、すぐにシキから手を離した。
「ご……ごめんなさい……けど、俺…………おれ…………」
震え出す身体。言葉の先が続かない。
ただ、今夜は抱かれたくない。それだけ言えば済むことなのに。その一言が口にできない。
俺にはシキを拒む権利なんて、ある筈がないのに。
「ごめん、なさい……」
謝ることしかできない。俺はどこまでこの人に応えることができないんだろう。
劣等種の癖に。何もできない癖に。ただ抱かれるくらいしか碌にできない存在の癖に。
なのに……
「シ、キ……?」
「大丈夫」
シキは俺を抱き締める。全てをわかっていると、そう云わんばかりに俺を……
そう……そうだ。
いつだって、シキからだった。
俺がシキに初めて抱かれたのは、もうずっと前になる。俺はシキに抱いて欲しいなんて言っていない。ある日突然、シキは俺を押し倒した。初めて抱かれたその日、俺は泣いていたと思う。
痛くて怖くて苦しくて。
嗚咽を混じらせ懇願しても、シキは俺を抱いた。
「痛い」「嫌だ」「もう止めて」「怖い」「助けて」
そんな言葉を、悲痛な感情に織り混ぜて何度も繰り返した。
それでもシキは止めなかった。半ば無理やり、俺を抱いた。
なんて酷い大人なんだろう。きっとこれだけ話せば、そう誤解される。犯罪めいた行為だとして、シキは捕まってしまうだろう。
でもそうじゃない。シキは本当に優しかった。
六年前、拾われてからしばらく経った頃。あの老人によって毎日愛でられていた幼い身体は悲鳴を上げていた。
誰かに触れられないと鎮まらない。まるで動物のように発情する身体。
ずっと老人から触れられてきたこの身体を自分一人で抑えることはできなかった。処理の仕方を知らなかった。
どうして欲しいのかも上手く伝えられず、翌朝にはシーツを濡らしていた。
だからシキは俺を抱いた。自分でどうにもできない俺を、シキは「大丈夫」と言って組み敷いた。
痛くて怖くて苦しくて…………嬉しかった。
全部私のせいにしていい、と。シキは俺に言った。俺が悪いのではなく、俺を囲うシキが悪いのだと。
それを聞いて、俺を抱いてくれたのがこの人で良かったと思った。俺の初めてが、この人で良かったと。
それ以来だ。俺がシキに抱かれるようになったのは。シキの欲を満たすような俺の扱いは、本当は俺の欲を満たす為のものなのだと……
知っているのに。わかっているのに。
どうして今は、シキに抱かれたくないんだろう。
苦悩する俺をシキは抱き締めたまま、ゴロンと横に寝転んだ。シキの腕がちょうど俺の頭に敷かれ、枕代わりになった。
戸惑う俺に、シキは言った。
「今夜はこうして、滴を抱いて寝ようか」
「え……?」
「ん? これも嫌?」
青い目が俺の黒いそれと重なった。何処までも優しい、慈しむようなシキの目。
抱かれたくない。身体はこの人を拒んでいる。受け入れられないことがはっきりとしている。けれど。
ああ……やっぱり。俺はシキが好きだなぁ。
俺はこの目が好きだ。いつからなんてわからない。でも、俺だけを見つめてくれる彼の目がたまらなく好きだ。ううん。好きじゃ足りない。じゃあ、これを何と言う?
そうだ。本で読んだじゃないか。
きっと、これが「愛しい」ってことなんだ。
シキを見つめて、俺はたどたどしくも尋ねた。
「怒って、ない?」
「何故?」
「シキを……拒んだ、から……」
「全然」
シキは何とでもないような口振りで答えた。空いている方の手で布団を俺に被せながら、シキは言葉を続ける。
「滴の泣き顔も嫌いじゃないけれどね。残念ながら嫌がっている子を無理やり組み敷いてまで抱きたい程の欲はない。これも衰えかな」
そして布団から手を離すと、俺の髪を梳きながらあやすように頭を撫でた。
「お前が私の傍にいる。それだけで充分だよ」
この時、俺は武虎の言葉を思い出した。
俺をペットだと思ったことは一度もない、と。台詞は全く違うのに、シキのこの言葉にはあの時の武虎と同じ意味が乗っているように感じられた。
俺はずっとシキから人として扱われてきたというのに、自分からペットだと思い込むようにしていた。
いったい、いつからひねくれてしまったんだろう。それはきっと、この人を好きだと思うようになってからだ。
離れたくない。でもいつ捨てられても傷つかないようにと、自分でそう思い込むようになっていたんだ。
「俺……」
気づけば口が開いていた。
「こんな身体で……劣等種で……戸籍もなくて……何もない、けど……それでも……シキ」
シキの傍に……いてもいい?
卑下しか出てこない言葉の数々にすかさずシキは、俺から目を離さず宣言した。
「誰にも渡さない。お前は私のものだよ」
あの老人が喚いていた時と同じ台詞を言うんだな。なのに、今はこんなにも嬉しい。
俺はシキに頭を撫でられながら、何も映さない夢の中へと落ちていった。
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