【完結】檻の中の劣等種

天白

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 ――――…



 転校をしてから二ヶ月が経とうとしていた。季節はすっかり冬になった。

「できた」

 玉子焼きを作る為の専用のフライパンを見つめながら、俺は静かに感動していた。

 前から作りたいと思っていただし巻き玉子。目玉焼き、オムレツが及第点に達した俺に、ようやく羽柴さんから作ってもいいという許可が下りた為、今朝さっそくチャレンジした次第だ。もちろん、羽柴さ……羽柴先生の見守りの下で。

 少し焦げ目のついた黄色からは、ほかほかと白い湯気が立っている。コンロのスイッチを切り、火力を完全に止めてからフライ返しを使ってまな板の上にだし巻き玉子の塊を乗せる。向かって左側がやや大きめに形崩れているけれど、切ってしまえばわからないと羽柴先生がフォローしてくれた。

 セラミック包丁を手にして、左手を猫の手に。ここで手を切って玉子焼きが真っ赤に彩られてしまっては洒落にならない。気を抜かないよう慎重になって、丸々とした黄色に左手を乗せるとその隣へ滑らせながら刃を入れていく。

 すうっと通る包丁の感触が堪らなく気持ちいい。トン、と刃がまな板に当たり、一旦安堵の息を吐く。今度は等間隔を目指して幅を取り、引き抜いた包丁の刃を入れていく。この作業を四回繰り返した後、包丁をまな板の横へと置いた。

 ドキドキしながら、羽柴先生の顔を窺う。

「判定、お願いします」

「はい。頂きます」

 羽柴先生は左端の玉子焼きを箸で取ると、二回ほど息を吹きかけてから口にした。品良く咀嚼した後、コクンと嚥下。瞼を閉じて「うんうん」と頷く様子を見せる。

「どう、ですか? 先生」

「……はい」

 瞼を開けてこちらを見ると、ニパッと笑みを浮かべた。

「すっげー美味い!」

「……ほんと?」

 羽柴先生から武虎が出現。右手の親指を立てると俺に向かって突き出した。

「良かったぁ」

 ほっと胸を撫で下ろす。俺は合格した出来立てのだし巻き玉子を見つめながら、早く食べてもらいたい人の顔を思い浮かべた。

「シキに早く食ってもらいたいよな~。全く、寝坊助なんだから」

「もうそろそろ起きて来る頃なんだけど……」

 壁の掛け時計を見上げるととっくに七時を過ぎている。アラームをセットしなくともシキはこの時間には起きる筈だけど、リビングへ入ってくる様子がない。まさか体調が悪いとか? シキだって人間だし、あり得ないことではない。この六年、シキの体調不良は見たことがないけれど。

 早くだし巻き玉子を食べてもらいたい気持ちと、なかなか起きてこない心配が重なり、俺はエプロンを取りながら後片づけを行う武虎へ声をかけた。

「様子、見てくる」

「お~。いってら~」

 キッチンから出ると、俺はシキがいる寝室まで小走りで向かった。こういう時、煩わしいスリッパを履いていなくて良かったと思う。

 広くて長い廊下を抜けると、寝室の前へ到着する。ドアの前で控えめにノックをすると、俺はドアノブを握って回しながらそこを開けた。

 あまり物が無い部屋の壁際、その中央に設置されているキングサイズのベッドの上へ視線をやると、俯せの形で身体を横たわらせているシキがいた。枕を下に、顔をこちら側へ向けて瞼を閉じ、規則正しい静かな寝息を立てている。なんだ、寝ているだけか。

 良かったと安堵の息を吐きながら、忍び足でベッドまで近寄ると、シキの肩に手を添えた。いつも上半身だけ裸で寝る癖のあるシキは、冬だというのに掛け布団を腰の辺りまでしかかけていない。これで風邪を引かないのだから、その身体の丈夫さにはある意味感服する。

 直に触れる肌は俺より皮膚が厚く、しかし温度はやや低く感じる。皮膚が丈夫だとこうなるものなのかな。そういえば、俺は最近体温がやや高い気がする。その差もあるのかな?

 シキの逞しい身体を眺めながら、俺はゆさゆさと身体を揺すり彼へ声をかける。

「シキ。朝だよ。ご飯もできたよ。起きて」

 反応がない。疲れているのかな?

「シキ。玉子冷めちゃうよ。成功した玉子焼きだよ。起きて」

 だし巻き玉子で釣ってみる。しかし反応がない。

「シキ。シ…………むうぅ」

 反応がないシキに、段々と腹が立ってきた。どうしてこの人は起きないのか。俺が折角だし巻き玉子を成功させたというのに。食べたくないとでも言うのだろうか。

 ぷくっと膨れる頬に気づかず、俺はシキを睨んだ。もうこうなったら耳元で叫んでやろうか。それとも頭の上でフライパンをフライ返しで叩いてやろうか。
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