32 / 74
雫
2
しおりを挟む
――――…
転校をしてから二ヶ月が経とうとしていた。季節はすっかり冬になった。
「できた」
玉子焼きを作る為の専用のフライパンを見つめながら、俺は静かに感動していた。
前から作りたいと思っていただし巻き玉子。目玉焼き、オムレツが及第点に達した俺に、ようやく羽柴さんから作ってもいいという許可が下りた為、今朝さっそくチャレンジした次第だ。もちろん、羽柴さ……羽柴先生の見守りの下で。
少し焦げ目のついた黄色からは、ほかほかと白い湯気が立っている。コンロのスイッチを切り、火力を完全に止めてからフライ返しを使ってまな板の上にだし巻き玉子の塊を乗せる。向かって左側がやや大きめに形崩れているけれど、切ってしまえばわからないと羽柴先生がフォローしてくれた。
セラミック包丁を手にして、左手を猫の手に。ここで手を切って玉子焼きが真っ赤に彩られてしまっては洒落にならない。気を抜かないよう慎重になって、丸々とした黄色に左手を乗せるとその隣へ滑らせながら刃を入れていく。
すうっと通る包丁の感触が堪らなく気持ちいい。トン、と刃がまな板に当たり、一旦安堵の息を吐く。今度は等間隔を目指して幅を取り、引き抜いた包丁の刃を入れていく。この作業を四回繰り返した後、包丁をまな板の横へと置いた。
ドキドキしながら、羽柴先生の顔を窺う。
「判定、お願いします」
「はい。頂きます」
羽柴先生は左端の玉子焼きを箸で取ると、二回ほど息を吹きかけてから口にした。品良く咀嚼した後、コクンと嚥下。瞼を閉じて「うんうん」と頷く様子を見せる。
「どう、ですか? 先生」
「……はい」
瞼を開けてこちらを見ると、ニパッと笑みを浮かべた。
「すっげー美味い!」
「……ほんと?」
羽柴先生から武虎が出現。右手の親指を立てると俺に向かって突き出した。
「良かったぁ」
ほっと胸を撫で下ろす。俺は合格した出来立てのだし巻き玉子を見つめながら、早く食べてもらいたい人の顔を思い浮かべた。
「シキに早く食ってもらいたいよな~。全く、寝坊助なんだから」
「もうそろそろ起きて来る頃なんだけど……」
壁の掛け時計を見上げるととっくに七時を過ぎている。アラームをセットしなくともシキはこの時間には起きる筈だけど、リビングへ入ってくる様子がない。まさか体調が悪いとか? シキだって人間だし、あり得ないことではない。この六年、シキの体調不良は見たことがないけれど。
早くだし巻き玉子を食べてもらいたい気持ちと、なかなか起きてこない心配が重なり、俺はエプロンを取りながら後片づけを行う武虎へ声をかけた。
「様子、見てくる」
「お~。いってら~」
キッチンから出ると、俺はシキがいる寝室まで小走りで向かった。こういう時、煩わしいスリッパを履いていなくて良かったと思う。
広くて長い廊下を抜けると、寝室の前へ到着する。ドアの前で控えめにノックをすると、俺はドアノブを握って回しながらそこを開けた。
あまり物が無い部屋の壁際、その中央に設置されているキングサイズのベッドの上へ視線をやると、俯せの形で身体を横たわらせているシキがいた。枕を下に、顔をこちら側へ向けて瞼を閉じ、規則正しい静かな寝息を立てている。なんだ、寝ているだけか。
良かったと安堵の息を吐きながら、忍び足でベッドまで近寄ると、シキの肩に手を添えた。いつも上半身だけ裸で寝る癖のあるシキは、冬だというのに掛け布団を腰の辺りまでしかかけていない。これで風邪を引かないのだから、その身体の丈夫さにはある意味感服する。
直に触れる肌は俺より皮膚が厚く、しかし温度はやや低く感じる。皮膚が丈夫だとこうなるものなのかな。そういえば、俺は最近体温がやや高い気がする。その差もあるのかな?
シキの逞しい身体を眺めながら、俺はゆさゆさと身体を揺すり彼へ声をかける。
「シキ。朝だよ。ご飯もできたよ。起きて」
反応がない。疲れているのかな?
「シキ。玉子冷めちゃうよ。成功した玉子焼きだよ。起きて」
だし巻き玉子で釣ってみる。しかし反応がない。
「シキ。シ…………むうぅ」
反応がないシキに、段々と腹が立ってきた。どうしてこの人は起きないのか。俺が折角だし巻き玉子を成功させたというのに。食べたくないとでも言うのだろうか。
ぷくっと膨れる頬に気づかず、俺はシキを睨んだ。もうこうなったら耳元で叫んでやろうか。それとも頭の上でフライパンをフライ返しで叩いてやろうか。
転校をしてから二ヶ月が経とうとしていた。季節はすっかり冬になった。
「できた」
玉子焼きを作る為の専用のフライパンを見つめながら、俺は静かに感動していた。
前から作りたいと思っていただし巻き玉子。目玉焼き、オムレツが及第点に達した俺に、ようやく羽柴さんから作ってもいいという許可が下りた為、今朝さっそくチャレンジした次第だ。もちろん、羽柴さ……羽柴先生の見守りの下で。
少し焦げ目のついた黄色からは、ほかほかと白い湯気が立っている。コンロのスイッチを切り、火力を完全に止めてからフライ返しを使ってまな板の上にだし巻き玉子の塊を乗せる。向かって左側がやや大きめに形崩れているけれど、切ってしまえばわからないと羽柴先生がフォローしてくれた。
セラミック包丁を手にして、左手を猫の手に。ここで手を切って玉子焼きが真っ赤に彩られてしまっては洒落にならない。気を抜かないよう慎重になって、丸々とした黄色に左手を乗せるとその隣へ滑らせながら刃を入れていく。
すうっと通る包丁の感触が堪らなく気持ちいい。トン、と刃がまな板に当たり、一旦安堵の息を吐く。今度は等間隔を目指して幅を取り、引き抜いた包丁の刃を入れていく。この作業を四回繰り返した後、包丁をまな板の横へと置いた。
ドキドキしながら、羽柴先生の顔を窺う。
「判定、お願いします」
「はい。頂きます」
羽柴先生は左端の玉子焼きを箸で取ると、二回ほど息を吹きかけてから口にした。品良く咀嚼した後、コクンと嚥下。瞼を閉じて「うんうん」と頷く様子を見せる。
「どう、ですか? 先生」
「……はい」
瞼を開けてこちらを見ると、ニパッと笑みを浮かべた。
「すっげー美味い!」
「……ほんと?」
羽柴先生から武虎が出現。右手の親指を立てると俺に向かって突き出した。
「良かったぁ」
ほっと胸を撫で下ろす。俺は合格した出来立てのだし巻き玉子を見つめながら、早く食べてもらいたい人の顔を思い浮かべた。
「シキに早く食ってもらいたいよな~。全く、寝坊助なんだから」
「もうそろそろ起きて来る頃なんだけど……」
壁の掛け時計を見上げるととっくに七時を過ぎている。アラームをセットしなくともシキはこの時間には起きる筈だけど、リビングへ入ってくる様子がない。まさか体調が悪いとか? シキだって人間だし、あり得ないことではない。この六年、シキの体調不良は見たことがないけれど。
早くだし巻き玉子を食べてもらいたい気持ちと、なかなか起きてこない心配が重なり、俺はエプロンを取りながら後片づけを行う武虎へ声をかけた。
「様子、見てくる」
「お~。いってら~」
キッチンから出ると、俺はシキがいる寝室まで小走りで向かった。こういう時、煩わしいスリッパを履いていなくて良かったと思う。
広くて長い廊下を抜けると、寝室の前へ到着する。ドアの前で控えめにノックをすると、俺はドアノブを握って回しながらそこを開けた。
あまり物が無い部屋の壁際、その中央に設置されているキングサイズのベッドの上へ視線をやると、俯せの形で身体を横たわらせているシキがいた。枕を下に、顔をこちら側へ向けて瞼を閉じ、規則正しい静かな寝息を立てている。なんだ、寝ているだけか。
良かったと安堵の息を吐きながら、忍び足でベッドまで近寄ると、シキの肩に手を添えた。いつも上半身だけ裸で寝る癖のあるシキは、冬だというのに掛け布団を腰の辺りまでしかかけていない。これで風邪を引かないのだから、その身体の丈夫さにはある意味感服する。
直に触れる肌は俺より皮膚が厚く、しかし温度はやや低く感じる。皮膚が丈夫だとこうなるものなのかな。そういえば、俺は最近体温がやや高い気がする。その差もあるのかな?
シキの逞しい身体を眺めながら、俺はゆさゆさと身体を揺すり彼へ声をかける。
「シキ。朝だよ。ご飯もできたよ。起きて」
反応がない。疲れているのかな?
「シキ。玉子冷めちゃうよ。成功した玉子焼きだよ。起きて」
だし巻き玉子で釣ってみる。しかし反応がない。
「シキ。シ…………むうぅ」
反応がないシキに、段々と腹が立ってきた。どうしてこの人は起きないのか。俺が折角だし巻き玉子を成功させたというのに。食べたくないとでも言うのだろうか。
ぷくっと膨れる頬に気づかず、俺はシキを睨んだ。もうこうなったら耳元で叫んでやろうか。それとも頭の上でフライパンをフライ返しで叩いてやろうか。
0
お気に入りに追加
133
あなたにおすすめの小説
【完結】ワンコ系オメガの花嫁修行
古井重箱
BL
【あらすじ】アズリール(16)は、オメガ専用の花嫁学校に通うことになった。花嫁学校の教えは、「オメガはアルファに心を開くなかれ」「閨事では主導権を握るべし」といったもの。要するに、ツンデレがオメガの理想とされている。そんな折、アズリールは王太子レヴィウス(19)に恋をしてしまう。好きな人の前ではデレデレのワンコになり、好き好きオーラを放ってしまうアズリール。果たして、アズリールはツンデレオメガになれるのだろうか。そして王太子との恋の行方は——?【注記】インテリマッチョなアルファ王太子×ワンコ系オメガ。R18シーンには*をつけます。ムーンライトノベルズとアルファポリスに掲載中です。
ブラッドフォード卿のお気に召すままに~~腹黒宰相は異世界転移のモブを溺愛する~~
ゆうきぼし/優輝星
BL
異世界転移BL。浄化のため召喚された異世界人は二人だった。腹黒宰相と呼ばれるブラッドフォード卿は、モブ扱いのイブキを手元に置く。それは自分の手駒の一つとして利用するためだった。だが、イブキの可愛さと優しさに触れ溺愛していく。しかもイブキには何やら不思議なチカラがあるようで……。
*マークはR回。(後半になります)
・毎日更新。投稿時間を朝と夜にします。どうぞ最後までよろしくお願いします。
・ご都合主義のなーろっぱです。
・第12回BL大賞にエントリーしました。攻めは頭の回転が速い魔力強の超人ですがちょっぴりダメンズなところあり。そんな彼の癒しとなるのが受けです。癖のありそうな脇役あり。どうぞよろしくお願いします。
腹黒宰相×獣医の卵(モフモフ癒やし手)
・イラストは青城硝子先生です。
侯爵様の愛人ですが、その息子にも愛されてます
muku
BL
魔術師フィアリスは、地底の迷宮から湧き続ける魔物を倒す使命を担っているリトスロード侯爵家に雇われている。
仕事は魔物の駆除と、侯爵家三男エヴァンの家庭教師。
成人したエヴァンから突然恋心を告げられたフィアリスは、大いに戸惑うことになる。
何故ならフィアリスは、エヴァンの父とただならぬ関係にあったのだった。
汚れた自分には愛される価値がないと思いこむ美しい魔術師の青年と、そんな師を一心に愛し続ける弟子の物語。
有能社長秘書のマンションでテレワークすることになった平社員の俺
高菜あやめ
BL
【マイペース美形社長秘書×平凡新人営業マン】会社の方針で社員全員リモートワークを義務付けられたが、中途入社二年目の営業・野宮は困っていた。なぜならアパートのインターネットは遅すぎて仕事にならないから。なんとか出社を許可して欲しいと上司に直談判したら、社長の呼び出しをくらってしまい、なりゆきで社長秘書・入江のマンションに居候することに。少し冷たそうでマイペースな入江と、ちょっとビビりな野宮はうまく同居できるだろうか? のんびりほのぼのテレワークしてるリーマンのラブコメディです
宰相閣下の絢爛たる日常
猫宮乾
BL
クロックストーン王国の若き宰相フェルは、眉目秀麗で卓越した頭脳を持っている――と評判だったが、それは全て努力の結果だった! 完璧主義である僕は、魔術の腕も超一流。ということでそれなりに平穏だったはずが、王道勇者が召喚されたことで、大変な事態に……というファンタジーで、宰相総受け方向です。
アルケミスト・スタートオーバー ~誰にも愛されず孤独に死んだ天才錬金術師は幼女に転生して人生をやりなおす~
エルトリア
ファンタジー
孤児からストリートチルドレンとなり、その後も養父に殺害されかけたりと不幸な人生を歩んでいた天才錬金術師グラス=ディメリア。
若くして病魔に蝕まれ、死に抗おうと最後の研究を進める彼は、禁忌に触れたとして女神の代行者――神人から処刑を言い渡される。
抗うことさえ出来ずに断罪されたグラスだったが、女神アウローラから生前の錬金術による功績を讃えられ『転生』の機会を与えられた。
本来であれば全ての記憶を抹消し、新たな生命として生まれ変わるはずのグラスは、別の女神フォルトナの独断により、記憶を保有したまま転生させられる。
グラスが転生したのは、彼の死から三百年後。
赤ちゃん(♀)として生を受けたグラスは、両親によってリーフと名付けられ、新たな人生を歩むことになった。
これは幸福が何かを知らない孤独な錬金術師が、愛を知り、自らの手で幸福を掴むまでの物語。
著者:藤本透
原案:エルトリア
不憫王子に転生したら、獣人王太子の番になりました
織緒こん
BL
日本の大学生だった前世の記憶を持つクラフトクリフは異世界の王子に転生したものの、母親の身分が低く、同母の姉と共に継母である王妃に虐げられていた。そんなある日、父王が獣人族の国へ戦争を仕掛け、あっという間に負けてしまう。戦勝国の代表として乗り込んできたのは、なんと獅子獣人の王太子のリカルデロ! 彼は臣下にクラフトクリフを戦利品として側妃にしたらどうかとすすめられるが、王子があまりに痩せて見すぼらしいせいか、きっぱり「いらない」と断る。それでもクラフトクリフの処遇を決めかねた臣下たちは、彼をリカルデロの後宮に入れた。そこで、しばらく世話をされたクラフトクリフはやがて健康を取り戻し、再び、リカルデロと会う。すると、何故か、リカルデロは突然、クラフトクリフを溺愛し始めた。リカルデロの態度に心当たりのないクラフトクリフは情熱的な彼に戸惑うばかりで――!?
【完結】恋愛経験ゼロ、モテ要素もないので恋愛はあきらめていたオメガ男性が運命の番に出会う話
十海 碧
BL
桐生蓮、オメガ男性は桜華学園というオメガのみの中高一貫に通っていたので恋愛経験ゼロ。好きなのは男性なのだけど、周囲のオメガ美少女には勝てないのはわかってる。高校卒業して、漫画家になり自立しようと頑張っている。蓮の父、桐生柊里、ベータ男性はイケメン恋愛小説家として活躍している。母はいないが、何か理由があるらしい。蓮が20歳になったら母のことを教えてくれる約束になっている。
ある日、沢渡優斗というアルファ男性に出会い、お互い運命の番ということに気付く。しかし、優斗は既に伊集院美月という恋人がいた。美月はIQ200の天才で美人なアルファ女性、大手出版社である伊集社の跡取り娘。かなわない恋なのかとあきらめたが……ハッピーエンドになります。
失恋した美月も運命の番に出会って幸せになります。
蓮の母は誰なのか、20歳の誕生日に柊里が説明します。柊里の過去の話をします。
初めての小説です。オメガバース、運命の番が好きで作品を書きました。業界話は取材せず空想で書いておりますので、現実とは異なることが多いと思います。空想の世界の話と許して下さい。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる