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第一章
シンという男 1
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サクサクと草木を踏み越えた先に、レイヴンが寝床とする小屋はあった。川の上流近くのそこは時折野生の兎やリスが出るものの、比較的静かな場所だ。
自分以外誰もいないこの小屋が、レイヴンにとって唯一心休まる場所だった。
空を見上げるとまだ太陽が高く、一日も始まったばかりだと知らせている。レイヴンは一旦、小屋に戻ると麻袋を置き、冷えた壺の中にもらった塩漬けの魚と山羊の乳を入れた。米は香辛料の実とともに、木箱の中に入れる。久々に手にした茶色の米が、少しだけレイヴンを嬉しくさせた。
続いて空になった麻袋と干していた綿の手拭いを掴むと、彼は川へ向かった。
春が近いとはいえ、まだ寒さを感じるこの時期に川遊びをする子供はいない。周りに人がいないことを確認してから、レイヴンは腰紐を解くと黒地の上着をその身から取り去った。中には上と下で分かれている下着を着ており、それらも取るとレイヴンは持ってきた手拭いを川の中に浸した。
凍えるような冷たさのある川の水はよく透き通っており、自身の姿が鏡のように反射して映った。
父や母がいた頃、レイヴンはよく笑う子供だった。それが今では、生気すら感じられない顔になってしまった。垂れた眉の下では虚ろな瞳が川を通し、自分自身を見つめている。
レイヴンは浸した布地を絞ると、改めて乾いた体液が貼りつく自身の身体を拭き始めた。
「……っ」
川に映る身体に思わず眉を顰めた。もはや自分のものとは思えないほど、それは変わってしまった。村の男達に抱かれるようになってから、身体の表面に浮かぶ赤黒い痣が日に日に濃くなってきたように感じていた。
大抵の男はレイヴンの身体を愛撫することなく抱くのだが、稀に今日のような男が彼の身体にキスマークを残すことがある。それ以外にも、レイヴンの身体を必要以上に叩いたりする者や、体液を擦り込んで喜ぶ者などがおり、元々白かった身体はまるで墨を刺したように、すっかりくすんでしまっていた。
(いつになったら、僕は赦されるんだろう……?)
変化していく自身の身体を見つめながら、レイヴンは頭の中で誰ともなく尋ねた。生まれたばかりの頃は幸せだった。大人達は何かに怯えているようだったが、誰もレイヴンを叩いたり殴ったりすることはなかった。それが六歳になった頃、彼の生活は一変した。レイヴンの証となる痣が身体に浮かび上がったからだ。
母が死んだ後、十八歳になるまでは己の罪と罰について納得ができなかった。覚えのない罪は償えない。何度も父と話した。しかし十八歳になった頃、不思議な力が目覚めるのと同時に彼は思い出したのだ。いや正確には、記憶を思い出したことで特殊な力があることを自覚したのだ。
村人には言えないレイヴンの秘密。それは、かつて村人達によって殺された過去のレイヴンの記憶のほぼすべてが、自身に受け継がれているということだ。
聖女は転生している、という説は正しかった。ただし、それは男の聖女に限ってのみである。
そしてその元凶である、肝心の大罪を犯した者の記憶は古すぎるせいなのか、微塵も思い出せないのだ。
それまで己の運命を拒んでいたレイヴンは、あっさりと罰を受け入れた。それ以外に道はなく、どこへ行こうとも死んでは転生を繰り返す自分に、逃げることはできないのだと悟ってしまったからだ。
今のレイヴンにあるのは、ただ村人達に対して申し訳ないという自責の念だけだ。前世も、前前世も、レイヴンは村人達に許しを請うていた。
かつての元凶である自分が、どうして大罪を犯したのかはわからない。だが、これだけははっきりとしていた。
どんな理由であろうとも、自身のしたことは決して赦されるものではない。しかし今、こうして罰を受けている自分が残酷な運命の元凶であるかつての自分を恨むことも、きっとないのだと。
自分以外誰もいないこの小屋が、レイヴンにとって唯一心休まる場所だった。
空を見上げるとまだ太陽が高く、一日も始まったばかりだと知らせている。レイヴンは一旦、小屋に戻ると麻袋を置き、冷えた壺の中にもらった塩漬けの魚と山羊の乳を入れた。米は香辛料の実とともに、木箱の中に入れる。久々に手にした茶色の米が、少しだけレイヴンを嬉しくさせた。
続いて空になった麻袋と干していた綿の手拭いを掴むと、彼は川へ向かった。
春が近いとはいえ、まだ寒さを感じるこの時期に川遊びをする子供はいない。周りに人がいないことを確認してから、レイヴンは腰紐を解くと黒地の上着をその身から取り去った。中には上と下で分かれている下着を着ており、それらも取るとレイヴンは持ってきた手拭いを川の中に浸した。
凍えるような冷たさのある川の水はよく透き通っており、自身の姿が鏡のように反射して映った。
父や母がいた頃、レイヴンはよく笑う子供だった。それが今では、生気すら感じられない顔になってしまった。垂れた眉の下では虚ろな瞳が川を通し、自分自身を見つめている。
レイヴンは浸した布地を絞ると、改めて乾いた体液が貼りつく自身の身体を拭き始めた。
「……っ」
川に映る身体に思わず眉を顰めた。もはや自分のものとは思えないほど、それは変わってしまった。村の男達に抱かれるようになってから、身体の表面に浮かぶ赤黒い痣が日に日に濃くなってきたように感じていた。
大抵の男はレイヴンの身体を愛撫することなく抱くのだが、稀に今日のような男が彼の身体にキスマークを残すことがある。それ以外にも、レイヴンの身体を必要以上に叩いたりする者や、体液を擦り込んで喜ぶ者などがおり、元々白かった身体はまるで墨を刺したように、すっかりくすんでしまっていた。
(いつになったら、僕は赦されるんだろう……?)
変化していく自身の身体を見つめながら、レイヴンは頭の中で誰ともなく尋ねた。生まれたばかりの頃は幸せだった。大人達は何かに怯えているようだったが、誰もレイヴンを叩いたり殴ったりすることはなかった。それが六歳になった頃、彼の生活は一変した。レイヴンの証となる痣が身体に浮かび上がったからだ。
母が死んだ後、十八歳になるまでは己の罪と罰について納得ができなかった。覚えのない罪は償えない。何度も父と話した。しかし十八歳になった頃、不思議な力が目覚めるのと同時に彼は思い出したのだ。いや正確には、記憶を思い出したことで特殊な力があることを自覚したのだ。
村人には言えないレイヴンの秘密。それは、かつて村人達によって殺された過去のレイヴンの記憶のほぼすべてが、自身に受け継がれているということだ。
聖女は転生している、という説は正しかった。ただし、それは男の聖女に限ってのみである。
そしてその元凶である、肝心の大罪を犯した者の記憶は古すぎるせいなのか、微塵も思い出せないのだ。
それまで己の運命を拒んでいたレイヴンは、あっさりと罰を受け入れた。それ以外に道はなく、どこへ行こうとも死んでは転生を繰り返す自分に、逃げることはできないのだと悟ってしまったからだ。
今のレイヴンにあるのは、ただ村人達に対して申し訳ないという自責の念だけだ。前世も、前前世も、レイヴンは村人達に許しを請うていた。
かつての元凶である自分が、どうして大罪を犯したのかはわからない。だが、これだけははっきりとしていた。
どんな理由であろうとも、自身のしたことは決して赦されるものではない。しかし今、こうして罰を受けている自分が残酷な運命の元凶であるかつての自分を恨むことも、きっとないのだと。
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