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まおうさま 3

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 俺はタイミングを見図り、部屋から出ると書斎へ向かった。だだっ広いその中には、本棚がごまんと並んでいる。壁に沿って並んでいる内の一つ、その下の本をどけると人ひとりが通れる穴があった。またその壁にも、外へと通ずる穴が空いていた。

 ここを見つけたのはたまたまだったし、一度はその穴を通ってどこに通ずるかを確認していたから、外へ出られるのは間違いない。しかし、外観はともかく立派な造りの屋敷なのにここだけ穴が空いていて、しかも本で隠すという雑な塞ぎ方なのはどういうことなのか。ただ修繕費が足りなくてそのまま放置にしていただけ? 魔法が使えるというのに。

 しかし気に留めても仕方ない。俺はここから、神木と一緒に外へ出る。

 俺は抜け穴を通ると、せっせと前に突き進んだ。神木は無事に通っただろうか? 外へ抜け出せただろうか?

 もしも俺の方が先だとしたら、おせーよってデコピンかましてやる。

 それからどのくらい経ったのか、時間にしておよそ三十分くらいだろう。俺は抜け穴を塞ぐ蓋を外すと、鬱蒼と生えた茂みを掻き分け外へ出た。

 久しぶりの外の地面は、思ったほどの感動もなかった。

 ここは森、だな。位置はわからないが、屋敷外なのは間違いない。

「神木……」

 辺りを見渡すも、神木らしい人物が見当たらない。どこかで身を潜めているんだろうか? 誰かの気配だけは確かに感じるのに。声を潜めながら、俺は神木を呼んだ。

「神木、来たぞ。エイシだ。いるのか?」

 気配のする方へ適当に歩を進め、しかし魔獣とは出くわさないよう慎重になった。

 まさか、まだ来ていない? だとしたら、あの出口のところまで引き返さないと……

 時間が経つに連れ、心配になる。携帯電話でもあれば別なんだけど、ここにはそんなもの……

「あっ!」

 と、ここで俺は通信魔法について思い出した。そうだよ、これ! ずっとつけたままだった!

 通信魔法しかかかっていないのだから、発信機にはならないだろうが、「魔王」の魔法をつけたまま出てくるなんて、うかうかし過ぎだろう。

 でもどうやって外す? ピアスと同じとはいえ耳朶に装着したのはあいつだし、キャッチも簡単には外せないようになっている。

 気が引けるが、耳を削ぐとか……? む、無理っ! そんな痛いこと、俺にはできないっ!

 いや、三ヶ月前に舌を噛み切ろうとした俺だけど! 自殺と自虐は別物よ!

「自殺、か……」

 本気で逃げたかったのなら、そういった行為に及ぶこともできたはずだけど……できなかったな。

 あの勇気はあの時の一回だけで終わった。「魔王」に競り落とされてからは、不思議とそれを選ぶことはなかった。

 生きて罰を受けなくては……そんな覚悟が合わさったからかもしれない。

「魔王」。どうしているだろう? 遠征って、やっぱり大変なのかな。明日の朝には帰るというものの、楽じゃないよな。

 今夜はもう、通信をかけてこないよな。いや、かけてこないでくれ。

 このまま、外へ行かせてくれ。

 お願い……!

「うわっ!?」

 強く願ったと同時に、俺は地面に背を叩きつけられた。その拍子で、服の中に隠していたフォークやペン、揚げパン全部が地面に落とされた。

 何だ、何だ? 地震とかじゃなく、何かが当たったよな。

 オークションに出される前、豚たちに捕まった時の嫌な記憶が、どうして今蘇る?

 タラリと、額から冷たい汗が流れた。

 ヤバい……ヤバい、ヤバい!

 俺の中の警報が、パンパンと鳴り始めた。

 そして仰向けに倒れる俺の上にヌッと現れたのは、三ヶ月前にも見た気味の悪いあの司会の豚の顔。

「あんた……オークション、の……」

「へへっ。本当に出てきやがったとはな」

 相変わらずのしゃがれた声。豚はオークションの時に着ていた格好ではなく、汚れたシャツにブカブカのズボンを穿いていた。上には軽度の鎧を着けており、いかにもオークらしい出で立ちで俺の前に姿を見せた。ちょっと待て。どういうことだ? 何でこの豚がここにいる!?

 たまたま……なのか? ここで狩りか何かをしていたとか。いや、違う。こいつらはオークションに出す獲物を常に狙う下種な生き物だ。たまたまなんかでこんなところにいるはずがない。

 すると、俺が待っていた神木が化け物たちの後ろから現れた。

「な、に……神木?」

 静かな神木はククッと口元を歪めると、見たことのない下卑た笑みを浮かべてみせた。

「お前、神木……シンゲンじゃ、ないのか?」

 神木はそれに答えなかったが、理解するのには充分過ぎる答えだった。

 衝撃の事実に打ちのめされる俺の心境などどうでもいいのか、ご機嫌の豚は神木の肩を抱くと、俺に向かって意気揚々と説明を始めた。

「いや~、手間が省けたぜ。もともとはこいつを『マオ』の屋敷に潜入させ、お前を誑かしてから外に引きずり出す作戦だったんだが、こんなにも早く出てくるとはな!」

 なんだよ、それ。神木の身体を使って、神木じゃない奴がこの豚たちと関わって、また俺を……あのおぞましいオークションに出そうと画策してたってことかよ。

 人同士を引き合わせれば、仲間意識が芽生えて靡きやすくなる。豚にしちゃ、よくできた作戦だよ。

 ああ、マジで……よくできた作戦だ……。

 気力を失った俺は抵抗することも忘れ、ぼうっと空を見上げた。

 夜だから、空気が濁っていてもよくわからねえな。

 あーあ。俺の人生、ずっとこんなんだ。

 ずっと、ずうっと……生まれ変わっても……何にも報われない。思いすら、届かない。

 もういいや。もう何も、望まない。

 だからもういいよ。

 もう本当に、好きにしてくれよ。

「こりゃ、上玉だな。あの男の匂いがついちゃいるが……ま、すぐに落ちるだろ」

「『マオ』の屋敷のペットってだけで箔がつくからな」

「つうことは、すでに使用済みってことだよな。俺なら初日で食っちまう」

「なら、今ここで俺たちが味見しても問題ねえってことだよな?」

「違いねえ……が、一番は俺だ」

 生きることを放棄した俺の上で、豚たちがブヒブヒと話している。そしてオークションで司会をしていたあの豚が、俺の上に跨った。

 これから何をされるのか、もう考えるだけで億劫だ。どうでもいい。でも、こいつら「魔王」のことを「マオ」って呼ぶんだな。そう呼んだら、あいつとも少しは取っつきやすくなったかな?

 ぼんやりと、「魔王」の顔を思い出した。その時……

「えーし!」

「……え?」

 聞き覚えのある声が、俺たちの中に飛び込んできた。

 ヒュッと現れた影はとても小さく、しかし俺の意識を現実へと引き戻すのには充分なものだった。
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