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 吉良は太っちゃいなかった。

 吉良の腹に触れた時、それは人の肉感ではなく、作り物のような硬さがあった。そして即座ではなく一瞬の間を置いてから離れた吉良の反応に、遅れたのは触れられたことに気付くのが遅かったからだと推測した。

 じゃあ何で? どうして吉良は体型を偽る必要がある?

 後先など考えていなかった。吉良の気持ちも考えていなかった。けれど!

 俺が知らない吉良がいるなんて許せねえ。そんな自分勝手な思いが俺を動かした。

 居間にいた俺に吉良はすげえ驚いたけれど、隠しようがないと観念したのか俺に自分の部屋へ入るように言って、自分は着替えるため再び出ていった。

 吉良の部屋へと入り、お袋さんからあったかい茶と煎餅を用意される。そして中肉中背にぴったりなTシャツとジーンズを履いた吉良が戻り、二人きりになったところで頭を下げられた。

「ごめんなさい。さっきは突き飛ばして……」

「そんなん、気にしてねえよ。それよりも……」

「それよりも、この状況だよね」

 わかっている、と。吉良は重そうな口を開いた。

「僕……この声で前にイジメられてたってこと、言ったよね。でも本当は声だけじゃなくて、顔とか容姿もその子達の気に触ったみたいで、イジメは日に日にエスカレートしていったの。そしてある日、人気のないところに呼び出されて数人がかりで押し倒された。着ていた服を無理やり脱がされて……男の僕に、乱暴を」

「おい。それってまさか、レイ……」

「ううん! 途中で先生が見つけてくれて、触られたくらいで終わったの。本当に酷いことをされる前だったから……大丈夫」

 いやいやいや……大丈夫じゃねえだろ! なんだそれ! 都会のイジメは陰惨だとか聞いたことあるけれど、これはイジメのレベルを越えて犯罪だろ! そいつら、地獄に落ちろや!

 ギリッと奥歯を噛みしめ、俺は吉良の言葉を待った。吉良は語るのを辛そうに、それでも自身の体型を偽る理由を話してくれた。

「結局、イジメの事実がわかってその子達は退学処分になった。でも、怖くて……誰かと会うのが怖くて、もう学校にも行けなくなってて。この声も、姿も、自分も、何もかもが嫌になって、だから……」

「だから、顔を髪で隠して、体型も違うものに変えたのか」

 イジメた奴はイジメをイジメと思わない。けれど、された方はいつまでもそれを傷として残す。初めて出会った時、吉良は蚊の鳴くような声をしていた。吉良の個性を殺すということは、吉良を殺すことと同義だ。

 腸が煮えくり返るとはこのことだと、俺は自分の拳をこれでもかと握った。

「でもね……お母さんやお父さんが心配してここに連れてきてくれたの。最初はすごく怖かったし不安だったけど、ここには都会のような雑踏はなくて、山や田んぼ、川が清々しいくらい気持ち良かった。そう思わせてくれたのは夏生君が僕に自分を出してみてって、そう言ってくれたからだよ」


 吉良はゆっくりと顔を上げ、俺に向かって困ったように笑った。

「僕ね。夏生君がとっても好き……なんだよ」

 前髪から覗く吉良の困った顔は、男だけれど可愛いと思ってしまうくらい朗らかだった。

「夏生君の言うとおりみんないい人たちで、学校が楽しいって感じてたよ。騙していることはもう止めなきゃって何度も思ってたのに、なかなか打ち明けることが出来なくて……もしかしたら、この姿だから受け入れてくれてるのかもって思ってたから。でも、さっき夏生君に触られて突き飛ばして……僕、嘘がばれて嫌われたかもって……怖くなって……」

「ぜってえ嫌わねえ! 馬鹿にすんなよ!!」

 声を荒げて俺は目の前のテーブルを叩いた。ビクリと肩を震わせる吉良が驚いた顔で俺を見る。

「最初はデブで根暗な野郎だと思ったさ。でもな、お前が俺達のことを好きなように俺達もお前が好きなんだよ! デブなお前も、そうでないお前もお前はお前だろ! 女子の前で告った俺を舐めんなよ!」

 こんな程度で嫌う? ふざけんなよ! 俺が今日、実はホモなんじゃねえかとか、デブ専なんじゃねえかとか、こいつに惚れて悩んでたこと全然知らねえだろ。んなもん全部取っ払っちまうくらい好きになってたんだっつうの!

「ほ、ほんと? デブじゃなくても……僕のこと、好き?」

「デブのお前にときめいた俺の純情を弄んだことは許せねえけどな……めろめろなんだよ。気付け、馬鹿」

 めろめろと自分で言っといて後からすげえ恥ずかしくなる。叩いたテーブルで頬杖をしながら顔をそむけると、同じくテーブルに乗った反対の手の指先にそっと触れられる。

 火照りを感じる頭はそのままに、視線だけを吉良に向けると、目元を潤ませ微笑んでいた。

「ありがと……夏生、君」

 あ~くそっ、可愛いよ。ちくしょ~……。
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