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おまけのようなエピローグ 1
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陸との件に決着がついたその日の夜、三人はファミレスへ足を運んだ。秀一が、何でも食べていいぞと純に言うと、彼は嬉々としてメニューを眺め、眉を寄せて悩んだ末に大きなハンバーグを選んだ。好物のオムライスじゃなくていいのかと尋ねると、オムライスはママとパパが作るものが一番好きだと、親としてはこの上なく嬉しいことを口にしてくれた。
和気あいあいとした食事が久々に感じられた。それも当然かと、藍時は喜んでハンバーグを頬張る純を見つめながら思った。ヒートが起こってからというもの、秀一とは気まずい日々を過ごしていた。内情を知らないとはいえ、純は二人の不穏な様子を察していた。彼なりに気を遣っていたことだろう。今日、保育園で描いた絵がそれを物語っていた。
「ママとパパが仲良しだと楽しいね!」
ふと、純がそう言った。それは藍時が秀一相手にも声を介して話している姿を見てのことなのか、それとも二人の間に流れる柔らかな空気を感じ取ってのことなのか。どちらにせよ、この一週間は純を不安にさせてしまっていたことに違いなかった。
藍時が「日曜日の花火は、一緒に観ようね」と言うと、純は一瞬きょとんとした顔を浮かべた後、くしゃりと破顔した。藍時の口から聞けたことが、よほど嬉しかったのだろう。ぐりぐりと胸に擦りつけてくる黒々とした小さな頭を、藍時は愛しそうに撫でた。
そうして食事を終えて帰宅した後、藍時は純とともに入浴し、そのまま寝かしつけを行った。普段よりもベッドに入る時間が早いのは、抑圧されていたママへの想いが甘えとして出たからだ。純はいつも以上に、藍時にべったりだった。
普段は一冊で終わる絵本の読み聞かせが三冊にも及んだ。しかし疲れは少しも感じなかった。むしろ、それまで「本物のママ」に遠慮していた分、純を思い切り甘やかした。
「ママ……だいすき……」
うとうととしながら純は藍時の手を握り、やがて深い眠りについた。自分を求める小さな手を離すのが、少々名残惜しく感じられた。
藍時は物音を立てずに部屋を出ると、廊下に明かりが差し込むリビングへ向かった。目的の部屋へ近づくにつれ、彼の口元が自然と孤を描いた。
扉を開けると、そこにはふんわりとしたミルクとコーヒーの香りが部屋の中を漂っていた。キッチンでは秀一が、ミルクパンで温めた牛乳をマグカップに注いでいるところだった。
風呂から上がったばかりだろう彼は、しっとりと濡れた頭にタオルをかけていた。ドライヤーは用意してあるものの、そうしないのは身体が熱いからだろう。それはいいのだが、下はジャージを穿いているというのに、上には何も身に着けていない。あるのは首元のネックレスだけだ。
(なっ、何で裸なのっ……?)
いくら火照っているからといって、これまでは必ず服を着ていた。それがすべてを明かしたことで、遠慮がなくなったらしい。今回のヒートのきっかけにもなった秀一の裸体は、藍時から平静を取り去った。
(どこに視線をやればいいんだろ……)
番とはいえ、目のやり場に困ってしまう。藍時はキョロキョロと視線を泳がせた。
「おつかれ……って、どうした?」
「い、いえ…………その、純が……」
マグカップを二つ手にした秀一が労いの言葉とともに、こちらへやってくる。怪訝そうに首を傾げる相手に、藍時は自身の不自然な行動を誤魔化すため、先ほど純とともにベッドの上で話していた内容を明かした。
「今度の……日曜日の花火が、楽しみみたいで……」
そう言っている自身の手元は、いつものように動いていた。
(そっか。もう、必要ないんだ……)
自分にとって、大事な会話の手段だったものが不要となり、物悲しさを感じつつも、声を取り戻すことができたのは、やはり嬉しかった。
藍時は拳を作るように両手に軽く力を込めつつ、
「天気が崩れないように……明日、俺と一緒に……てるてる坊主を作ることになりました」
と、唇を動かして秀一に伝えた。たどたどしさは抜けないものの、声量は純に向けて発するものと変わらず行うことができている。秀一もまた、藍時の変化に目を細めて微笑んだ。
「今年は開催場所が増えたからな。七月の花火なんかは、どうしてママと観られないのってグズられたよ」
「ご、ごめんなさい……」
「謝ることはないさ。お前が悪いわけじゃない」
ほい、とマグカップを手渡され、藍時はそれを受け取った。
ギシ、と座面を深く軋ませながら、秀一はソファへ腰を下ろした。髪をタオルで拭いながらマグカップに口づけるその様は、さながらテレビ向こうで輝くハリウッドスターのように、藍時の目には映った。
「ん? 座らないのか?」
「え? えっと……はい……す、座ります」
マグカップを両手で持ち、立ったまま動こうとしない藍時に秀一が尋ねると、彼は慌てながら真ん中一人分の間を空けて、並ぶようにちょこんと座った。
(不自然、だったかな……)
秀一は独身で、自分の番。それまでのように、いもしない妻に気遣って間隔を空ける必要はない。しかしだからといって、急に恋人のように寄り添って座るということも、藍時にはできなかった。
過去に人と付き合ったことがあるとはいえ、相手が相手だった。正しい距離感と付き合い方が、さっぱりわからない。また、番でなくとも、自分を好きだと言ってくれる相手にどう振る舞えばいいのか、てんでわからなかった。
それに上半身だけとはいえ、秀一の肌を目にしてから、鼓動が早くなっている。ヒート中は何度も目にしたとはいえ、それを平然と直視することができないのだ。
詰まるところ、藍時は非常に緊張していた。
(カフェラテを飲めば、落ち着くかも……)
湯気の立つマグカップに、息を吹きかけながら口づけた。ちょうど、その時……
「なあ、藍時。この髪だけど……」
「ひゃうっ……!?」
不意に、こちらへ近づいて撫でるように白い髪に触れてきた秀一。その行動に驚き、悲鳴をあげる藍時の身体は、ビクンとその場で跳ねた。
そんな藍時の反応に静かに驚く秀一は、心配そうに藍時の顔を覗き込んだ。
「なあ、さっきからどうした?」
「い……え……な、何も……」
手にするマグカップをドリンクホルダーに置いた藍時は、カッと赤くなる自分の頬を手の甲で隠すように押さえた。
それを目にした秀一は、「ははあ」と何かを悟ったように口角を持ち上げると、藍時の手に触れて顔からそっと剥がし、こう尋ねた。
「オレのこと、意識してる?」
「……っ」
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