【完結】その家族は期間限定〜声なきΩは本物に憧れる〜

天白

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 藍時の唇は自然と、鷹木のかつての呼び名を口にした。

「ぃ…………ぃ、ぅ……」

「ああ、そうだよ。君の本来の恋人のりくだ。やっと思い出した?」

 鷹木はゆっくりと立ち上がると、右足の爪先でトントンと床を鳴らしながら、

「まあ、君が今日まで気づかないのも無理はないけれどね。あれから私は顔を弄ったんだよ。整形したのさ」

 と言って、自身の頬を撫でた。藍時の頭には当然のように、「なぜ、そうしたのか」という疑問が現れる。それは手話を介さなくとも相手に伝わったようだ。

 鷹木……いや、陸は藍時に微笑みかけた。

「それはもちろん、記憶を失くした君と新しい恋を始めるためだよ。君がリセットしてしまったのなら、私自身もリセットするのは当然だ。本来なら顔を変えなければならない理由など何一つとしてないのだけれどね。しかし君はかなりの面食いのようだから、こちらが合わせてあげようと努力したんだ。顔を変えただけじゃない。トレーナーを雇ってジムにも通い、わざわざプロテインを取り入れて筋力を上げ、ボディメイクしたんだ」

 まるで歌手のように両手を広げて、自分が行った努力を誇らしげに語る陸だったが、

「そうまでして頑張ったというのに、君は新しく生まれ変わった私を受け入れない。どうして? なぜ君は別の男に靡くのかなぁ……これまでのことは水に流して、私の方はこの一年、君のことを寛容に受け入れてきたというのにさぁ。しかもその私を疑い意見をするなんて……あんまりじゃないか。なあ!?」

 途端、語尾を荒げて座っていたソファを蹴りつける。藍時はカチカチと奥歯を鳴らした。

(そう……そうだ。この人は、感情が高ぶるとまず物に当たった。それで……それで……)

 怯える藍時に、陸はハッとした様子で謝った。

「ああ、いや。悪かったよ。怒鳴るつもりじゃなかったんだ。驚いてしまったよね。でもね、君が悪いんだよ? 人間は一人勝手に憤ることはないのだからね」

 そうしてこちらに笑いかける陸の目の奥が、藍時にはどんよりと濁ったように見えた。

 当時の恐怖が這い寄るように蘇り、藍時はふっ、ふっ、と短い呼吸を繰り返す。

 いまだ、当時の顔を思い出せないままでも、陸の性格や行動は受けた暴力に付随する形で覚えていた。陸は都合が悪くなるとそれをすべて「君が悪い」と言って、責任の所在をすり替え藍時に謝らせていた。はじめのうちは、藍時もなぜ自分が悪いのだろうと疑問に思っていた。反論をしたこともある。すると陸は声を荒げ、物に当たり、最後は暴力をふるうのだ。

 そんな生活を続けていくうちに、次第に思考は鈍くなる。陸が怒るたびに、そうなってしまうのは自分のせいだといつしか自身を責めるようになっていた。やがて藍時からは自信が失くなり、元から低かった自己肯定感もうんと下がってしまった。

「ただ、当時の私は君に対して厳しくし過ぎたらしい。悪さをしたからといって、あれほど怒る必要はなかったね。それは反省しているよ。私は決して、君を傷つけたくて手を上げていたわけではないのだからね」

 おもむろに、陸は藍時の飲んでいたココアのマグカップを手に取ると、先ほど自分が口をつけていたところと同じところに唇を落とした。それが陸からキスをされているかのようで、藍時の身体には鳥肌が立った。

「しかし君というやつは……なんであの時逃げたのかな? 赤の他人なんかに救急車を呼ばれて病院送りになってさぁ……この私が献身的に君を看病するつもりだったのに……!」

 またも、激しく憤る陸は、手にするマグカップを藍時のいる方へと叩きつけた。マグカップが強い衝撃で窓ガラスにぶつかり、藍時は反射的に頭を押さえて身を屈めた。よほど強い力で投げたのだろう。窓にはヒビが入り、マグカップは形を崩して床に転がった。

「はあっ……はあ……はあっ……」

 最初から藍時にぶつけるつもりはなかったのだろう。しかしそれが当たらなくとも、彼に恐怖を抱かせるには充分だった。

 ガタガタと震える身体で、藍時は頭を動かした。

(この人の言うあの時って……最後に暴力をふるわれた日のこと? じゃあ、俺が道端で倒れていたのも、彼から必死に逃げようとして……?)

 あまりの暴力に命の危機を感じて逃げたのか。藍時は過去の自分が取った行動をそう推察する。

 しかしその後に続く陸の言葉が、どうにも不可解だった。

「自分が産んだわけでもないくせに、他人の子どもを可愛がる意味がわからないな。よほど私を彼らに近づけたくなかったんだね」

(彼ら……? どういうこと?)

 藍時は眉を顰めるも、陸は「まあ、それはいい」と話を逸らした。

「すべては過去のことだ。それに結局のところ、君はあの扇とかいうホストではなく、私を選んだ。それは間違いない」

 そう言って顎を上げ、嘲笑うように、陸はボディバッグのストラップを握り締めながら悔しそうに下唇を噛む藍時を見つめた。

 過去の藍時なら、これで屈服しているところだった。反論することはもちろん、目を合わせることすらできなかった。

(俺が秀一さんを信じきれなかったのは事実だ……でも、でも……それは……そうさせたのは……)

 意を決したように、藍時は陸を睨みつけた。

「……ぉ、ぇ……、ぁ……っ……」

 依然として、声は出ない。自分の心を保つために握り締めているこのストラップから手を解かなければ、相手に意志を伝えることはできない。

 藍時は防御の姿勢を崩そうとしない己の身体と葛藤する。震えも止まらず、どころか増していった。

(言わなきゃ……ちゃんと……言わなくちゃ……)

 爪が手に食い込むほど握り締めた後、藍時はぎこちない動きで両手を離すと、陸に向かって必死に手指を動かした。

『それは……先生が……仕向けたんでしょう。決してあなたを選んだわけじゃない。それに……秀一さんは……ホストじゃありません』

 そうして否定する藍時に、陸は一瞬呆気にとられた様子で口を開くも、すぐにククッと笑った。

「先生だなんて悲しいことを言うなよ。あの頃みたいに陸、と呼んで欲しいな」

「……っ」

 全身がまたも総毛立った。藍時はなぜ、過去に自分がこの男に惹かれていたのかが、まるでわからなくなってしまった。

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