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嬉しいお誕生日 1
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翌日、午後二時。普段着としているフレンチスリーブ姿の秀一が、焼き立ての四角いスポンジケーキを前に、感心した口ぶりで言った。
「へえ、上手く焼けたもんだなぁ」
『少し、焦げちゃいましたけどね』
「いやいや。オレだったら全部焦がしてるって。見事なもんだよ。もうこれだけで美味そうだ」
こんなことで褒めてもらえるなんて、と。藍時は秀一からの賛辞の言葉に頬を桜色に染めつつ、せっせと手を動かした。
朝からハイテンションの純を保育園へ送り届けた後、秀一と藍時は二人でせっせと、リビングの飾りつけと、ご馳走の準備を行っていた。今夜はパーティー。目的はもちろん、純の誕生日祝いだ。
プレゼントは純が欲しがっていた幼児用のラジコンで、それは好きなテレビアニメのイラストがプリントされた包装紙に包まれ、すでにリビングの角で待機をしている。
近所の家電量販店で難なく入手したプレゼントに苦労はなかった。純の一番の願いも、おそらくこれだろう。だが、大人二人が気合いを入れていたのは、ご馳走の中でもメインとなる誕生日ケーキだった。
純は一週間以上も前から、ケーキのカタログを楽しそうに眺めており、誕生日には果物がたくさん入った大きなロールケーキを食べたいと言っていた。そんな希望のロールケーキは、はたしてどこで売っているのだろうかと藍時がインターネットを使い探す中、ふと手作りのロールケーキが目に飛び込んだ。この扇家には幸いオーブンがある。ならば自分で作ってみようと秀一に提案したところ、快く承諾してくれたのだ。
ケーキ作りは初めての藍時だが、評判のいいレシピを参考にした甲斐もあり、焼き立ての生地は見た目も質感も誰が見てもスポンジケーキだとわかる代物となった。
(敷紙を剥がした時に味見してみよう)
型ごと二十センチほどの高さから落として生地に衝撃を与えながら思っていると、まるで子どものようにワクワクした様子の秀一が背後からそれを指差した。
「なあ、このスポンジの味見ってできる?」
『秀一さん、さっきオムライスを食べたばかりですよね?』
つい一時間ほど前、藍時の目の前で秀一は大盛りのオムライスをペロリと平らげていた。彼の食欲が自分の倍以上もあることをすでに知っている藍時だが、まだ食べたりなかったのかと思うと可笑しくなってしまった。
クスクスと笑うと、「甘いもんは別腹だろ」と言って秀一は余っただろうペーパーチェーンを指先でクルクルと回しながら、唇を尖らせた。身体は大きく、また年齢も自分よりうんと上だというのに、可愛いなと藍時は目を細めた。
(端の方なら少しだけ切っても大丈夫かな)
型を外して敷紙を剥がすと、藍時はナイフを持って端の方を僅かに切り落とした。そしてそれを四等分にすると、一切れ摘んで秀一へと差し出した。
『純には内緒です』
手話は使わず唇だけを動かして伝えた後、藍時は「シーッ」と自分の口元に人差し指を立てた。
それを見た秀一が一瞬だけ目を見開くと、「お主も悪よのう」とでも言いたげな表情を浮かべて、差し出された一切れを受け取り、口の中へと放り込んだ。
「おー、うまっ。焼き立てだから一層美味いわ」
『本当ですか?』
「ほんと。ほんと。このままでも充分美味いよ」
世辞ではなく、本当に美味そうに食べる秀一に、藍時はほっと胸を撫で下ろした。
雇用主により味が保証されたところで、温かい生地を冷ます間にそれが乾かないようラップで覆う。その作業が終わり、後片付けをしようと藍時が顔を上げた時だった。
「藍時」
ふと、背後から名前を呼ばれて「はい」と声なき返事をしながら振り向くと、その開いた口の中に何かを入れられた。
「もぐっ!?」
唐突に口内へと詰め込まれたのは、ふかふかの温かい何かと、トロリとした甘いクリーム状の何かだった。反射的に、上下の歯を繰り返し動かすと、それが焼いたばかりのスポンジケーキの切れ端と、冷蔵庫で冷やしていたホイップクリームであるということに気がついた。
突然のことに驚き、目を見開きながら秀一を見上げると、
「これで共犯だな」
と、意地悪そうな顔でこちらに微笑みかけていた。その笑みが綺麗だと思うのと同時に、心臓が僅かに跳ねた気がした。
(あ、れ? 何で、今……驚いただけなのに、胸がドキドキするんだろ)
そんな疑問を目の前の人間が抱いているとは露ほども知らない秀一が、「おし。果物を切って乗せる係はオレに任せろ」と意気込みを見せ、腕捲くりをするフリをした。包丁の扱いに不慣れな秀一だが、今回は調理用のハサミを使って果物を切るため、藍時は安心してその場を任せ、離れることにした。
(ちょっと、ホッとしたかも……)
藍時は咀嚼したケーキを飲み込むと、秀一に背を向けながら自分の胸にそっと手を当てた。
それから数分後、朝から始めた飾りつけにより、すっかりパーティー会場と化したリビングで藍時が食器を並べていると、そのテーブル上に置いてあるスマホが規則正しいバイブ音を立て始めた。藍時のものではない。秀一のスマホだった。
(電話かな?)
作業を一旦止めた藍時は鳴り続けているスマホを手にすると、鼻歌を歌いながら果物を切っている秀一の下へと小走りで向かった。
「どうした? 藍時」
気づいた秀一が声をかけると、手にしたスマホがピタリと鳴り止んだ。どうやら相手が切ってしまったらしい。
間に合わなかったことでしょんぼりとした様子の藍時を見下ろしながら、「電話か?」と秀一が尋ねると、彼はコクンと頷いた。
「たぶん、クマからだ。あいつ、三コール以上繋がらないと切っちまうんだよ」
だから気にすんな、と秀一は藍時を慰め、
「そんで悪いけど、代わりにかけ直してくれるか? オレの手、果物の汁でベトベトだし。スピーカーで頼む」
と、軽い調子で彼に頼んだ。
だが、他人のスマホに触れることに抵抗のある藍時は、戸惑うようにスマホと秀一を交互に見た。
そんな藍時に気づいた秀一は、輪切りにしたバナナをボウルに入れながら、
「ん? ああ、悪い。悪い。ロック画面のパスワードだな」
と、見当違いのことを口にして、続けて藍時に言った。
「へえ、上手く焼けたもんだなぁ」
『少し、焦げちゃいましたけどね』
「いやいや。オレだったら全部焦がしてるって。見事なもんだよ。もうこれだけで美味そうだ」
こんなことで褒めてもらえるなんて、と。藍時は秀一からの賛辞の言葉に頬を桜色に染めつつ、せっせと手を動かした。
朝からハイテンションの純を保育園へ送り届けた後、秀一と藍時は二人でせっせと、リビングの飾りつけと、ご馳走の準備を行っていた。今夜はパーティー。目的はもちろん、純の誕生日祝いだ。
プレゼントは純が欲しがっていた幼児用のラジコンで、それは好きなテレビアニメのイラストがプリントされた包装紙に包まれ、すでにリビングの角で待機をしている。
近所の家電量販店で難なく入手したプレゼントに苦労はなかった。純の一番の願いも、おそらくこれだろう。だが、大人二人が気合いを入れていたのは、ご馳走の中でもメインとなる誕生日ケーキだった。
純は一週間以上も前から、ケーキのカタログを楽しそうに眺めており、誕生日には果物がたくさん入った大きなロールケーキを食べたいと言っていた。そんな希望のロールケーキは、はたしてどこで売っているのだろうかと藍時がインターネットを使い探す中、ふと手作りのロールケーキが目に飛び込んだ。この扇家には幸いオーブンがある。ならば自分で作ってみようと秀一に提案したところ、快く承諾してくれたのだ。
ケーキ作りは初めての藍時だが、評判のいいレシピを参考にした甲斐もあり、焼き立ての生地は見た目も質感も誰が見てもスポンジケーキだとわかる代物となった。
(敷紙を剥がした時に味見してみよう)
型ごと二十センチほどの高さから落として生地に衝撃を与えながら思っていると、まるで子どものようにワクワクした様子の秀一が背後からそれを指差した。
「なあ、このスポンジの味見ってできる?」
『秀一さん、さっきオムライスを食べたばかりですよね?』
つい一時間ほど前、藍時の目の前で秀一は大盛りのオムライスをペロリと平らげていた。彼の食欲が自分の倍以上もあることをすでに知っている藍時だが、まだ食べたりなかったのかと思うと可笑しくなってしまった。
クスクスと笑うと、「甘いもんは別腹だろ」と言って秀一は余っただろうペーパーチェーンを指先でクルクルと回しながら、唇を尖らせた。身体は大きく、また年齢も自分よりうんと上だというのに、可愛いなと藍時は目を細めた。
(端の方なら少しだけ切っても大丈夫かな)
型を外して敷紙を剥がすと、藍時はナイフを持って端の方を僅かに切り落とした。そしてそれを四等分にすると、一切れ摘んで秀一へと差し出した。
『純には内緒です』
手話は使わず唇だけを動かして伝えた後、藍時は「シーッ」と自分の口元に人差し指を立てた。
それを見た秀一が一瞬だけ目を見開くと、「お主も悪よのう」とでも言いたげな表情を浮かべて、差し出された一切れを受け取り、口の中へと放り込んだ。
「おー、うまっ。焼き立てだから一層美味いわ」
『本当ですか?』
「ほんと。ほんと。このままでも充分美味いよ」
世辞ではなく、本当に美味そうに食べる秀一に、藍時はほっと胸を撫で下ろした。
雇用主により味が保証されたところで、温かい生地を冷ます間にそれが乾かないようラップで覆う。その作業が終わり、後片付けをしようと藍時が顔を上げた時だった。
「藍時」
ふと、背後から名前を呼ばれて「はい」と声なき返事をしながら振り向くと、その開いた口の中に何かを入れられた。
「もぐっ!?」
唐突に口内へと詰め込まれたのは、ふかふかの温かい何かと、トロリとした甘いクリーム状の何かだった。反射的に、上下の歯を繰り返し動かすと、それが焼いたばかりのスポンジケーキの切れ端と、冷蔵庫で冷やしていたホイップクリームであるということに気がついた。
突然のことに驚き、目を見開きながら秀一を見上げると、
「これで共犯だな」
と、意地悪そうな顔でこちらに微笑みかけていた。その笑みが綺麗だと思うのと同時に、心臓が僅かに跳ねた気がした。
(あ、れ? 何で、今……驚いただけなのに、胸がドキドキするんだろ)
そんな疑問を目の前の人間が抱いているとは露ほども知らない秀一が、「おし。果物を切って乗せる係はオレに任せろ」と意気込みを見せ、腕捲くりをするフリをした。包丁の扱いに不慣れな秀一だが、今回は調理用のハサミを使って果物を切るため、藍時は安心してその場を任せ、離れることにした。
(ちょっと、ホッとしたかも……)
藍時は咀嚼したケーキを飲み込むと、秀一に背を向けながら自分の胸にそっと手を当てた。
それから数分後、朝から始めた飾りつけにより、すっかりパーティー会場と化したリビングで藍時が食器を並べていると、そのテーブル上に置いてあるスマホが規則正しいバイブ音を立て始めた。藍時のものではない。秀一のスマホだった。
(電話かな?)
作業を一旦止めた藍時は鳴り続けているスマホを手にすると、鼻歌を歌いながら果物を切っている秀一の下へと小走りで向かった。
「どうした? 藍時」
気づいた秀一が声をかけると、手にしたスマホがピタリと鳴り止んだ。どうやら相手が切ってしまったらしい。
間に合わなかったことでしょんぼりとした様子の藍時を見下ろしながら、「電話か?」と秀一が尋ねると、彼はコクンと頷いた。
「たぶん、クマからだ。あいつ、三コール以上繋がらないと切っちまうんだよ」
だから気にすんな、と秀一は藍時を慰め、
「そんで悪いけど、代わりにかけ直してくれるか? オレの手、果物の汁でベトベトだし。スピーカーで頼む」
と、軽い調子で彼に頼んだ。
だが、他人のスマホに触れることに抵抗のある藍時は、戸惑うようにスマホと秀一を交互に見た。
そんな藍時に気づいた秀一は、輪切りにしたバナナをボウルに入れながら、
「ん? ああ、悪い。悪い。ロック画面のパスワードだな」
と、見当違いのことを口にして、続けて藍時に言った。
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