【完結】その家族は期間限定〜声なきΩは本物に憧れる〜

天白

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現れたのは小さな天使と、鷲のような男 3

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「純」

「パパー!」

 藍時は息を呑んだ。それは感動の再会を果たした二人の姿を目にしたからではない。純が「パパ」と呼ぶ男の顔が、まるで人形のように端正だったからだ。

 実際、男の容姿は目を瞠るものがあり、周囲の人間もちらほらと彼に遠慮ない視線を向けている。無理もない。眉と目の間が狭く、くっきりとした二重瞼に加えて鼻筋の通った高い鼻とシャープな顎は凹凸があり、同じ人間ではないような独特の雰囲気を纏っている。また真珠を上から塗したかのような黒髪は短くも柳のようで美しく、男の彫深い顔立ちをより引き立たせていた。

 何より身長が高い。スーツを着ているが、ひょろりと縦に長いのではなく、がっしりとした逞しさと精悍さが服の上からでも見て取れた。頭の先からつま先までがまるで一つの芸術のようだと、藍時は思った。

(どう、しよう……)

 脚が地に埋められたかのように、藍時はその場から動けなくなってしまった。全身が硬直し、男から目が離せない。これは以前にも経験があった。藍時は初めて鷹木と出会った時のことを思い出した。

(男性だから? 綺麗な人だから? それとも……)

 はじめは単なる緊張のせいだと思っていた。見慣れていない美形に目を奪われ、身体が硬直してしまうのだと。

 だがそれがすべて性別の問題だったとしたら話は違ってくる。同じ男性であっても、Ωならばここまで雄々しい身体になることがなく、またβならばここまで浮世離れした人間になることもない。藍時の喉がごくりと鳴った。

(あの人と同じ、α……)

 Ωとは違うベクトルで、人々の注目を集める存在。それがαだ。

 暴力で支配してきたかつての自分の恋人がαだったことで、いつの間にか他のαに対しても、藍時は本能的に恐れるようになってしまっていた。

 藍時がそんな事態になっているとは露ほども知らない純達は、抱き合いながら互いの存在を確かめ合っていた。

「急にいなくなって……私がどれだけ心配したと思っているんですか」

「うっ、だって……だって、パパぁ……」

「まったく。よりによって、キッズ携帯を修理に出している間に迷子になるとは……」

「ごめんなさぁい……!」

 藍時はただ黙ってその光景を見ていた。笑顔だった純が再び目に涙を浮かべるも、怒らないであげて欲しいとは言えない。なぜなら、男が我が子を責める口調には、慈しみが乗っていたからだ。

「ともかく、説教は後です。それで? ママは?」

 男が一旦、純をその身から剥がすと、純は涙の溜まる瞼を擦りあげてから、藍時に向けてまっすぐに指をさした。

「ママ!」

 男の黒い双眸が藍時に向けられ、肺に溜まった空気がヒュッ、と押し上げられる。

(睨まれている……?)

 そう思うほど、男の目つきは鋭かった。ガタガタと震えながら、藍時は唇を動かした。やはり声は出ない。それどころか、否定の言葉すら頭に浮かばなかった。

 気分を害した覚えはない。泣きじゃくる子どものために最善の手を尽くしたつもりだった。それがどうして睨まれることになるのだろう、と。藍時は自分の行動を悔やみ、項垂れるように俯いた。

「あなたは……」

 男が何かに気づいたように呟いた。

(Ωだって言いたいんだろ……そんなの、いちいち反応しなくてもいいのに)

 首元のチョーカーを目にしたことによる反応だろうと、藍時は下唇を噛んだ。好奇の目に晒されることには慣れているはずなのに、今はこの男の視線が全身に突き刺さるようで痛く苦しい。周囲の人間もまた、この男と自分の取り合わせが物珍しいのか、無遠慮な視線を浴びせてきた。

(ああ、嫌だな。何もかも、全部……)

 これまでの人生を思い返してみても、いいことなど一つもなかった。楽しかった記憶もあったはずなのに、それらはすべて暴力と支配と恐怖で塗りつぶされてしまった。

 自分がいいと思う方向に進んでみても、そこから先に道はない。そしてきっとこの先も、落ちていくばかりの人生だろう。

(もういっそのこと……俺なんか、消えてしまったほうが……)

 まさに今、藍時の瞳から光が消えようとする、その時だった。

「パパ! パパはお顔が怖いんだから、そんなにジッと見つめちゃ駄目だよ!」

 幼いながらも力強く指摘する少年の声で、藍時はハッとした。顔を上げると、目の前の男が「え?」と不思議そうに小首を傾げている。

「私はそんなに怖いですか?」

「怖いよ! ママ、怖がってるよ!」

「ああ……これは失礼しました」

 我が子から怖いと繰り返され、男はしまったとばかりに額に手を当てる。

 しかしすぐに藍時へ向き直ると、誤解を解くように言い訳を並べ出した。

「決して睨んでいたわけではないんです。無駄に図体が大きいせいか、目つきが悪いせいか、いつもこうで……ただあなたを見ただけなんです。怖がらせてしまい、申し訳ない」

 男はぺこりと頭を下げた。

 思ってもみなかった事態に、藍時は内心困惑する。謝ることはあっても、謝られることには慣れていないからだ。

(ただ目つきが悪い、だけ?)

 純がそう言っているだけで、本当は自分のことを疎ましいと思っているのではないか? と疑心が取り巻くも、男は困ったように笑った。

「純を見つけてくれた恩人に、本当に失礼なことをしました」

 再度謝罪の言葉を受け、藍時はようやく自分が悪いわけではないのだと知り、強張っていた眉が少しだけ緩んだ。

「改めてお礼を申し上げます。助けてくれて、ありがとう。私は扇秀一と申します」

 秀一と名乗る男は片手で純を抱き上げながら藍時に近づくと、胸元から名刺入れを取り出し、中身を抜き取った。そして子どもを抱いたままだというのに器用に両手を添えて、自分の名刺を藍時へと差し出した。

(こ、こういう時って、どうすれば……)

 生まれてこのかた、二十四年。名刺など作ったこともなければ受け取ったこともない藍時は作法を知らなかった。かといって男のそれを無下にするわけにもいかず、藍時はおずおずと片手を差し出し、名刺を受け取った。

 ほどよい光沢が乗るコート紙の表面には、業種だろう細かい外国語の下に「L‘oiseau」という文字が記されていた。名前は扇秀一なので、これはおそらく店名だろう。いったいどういう店で何と読むのかと、簡単な英語すらわからない藍時に、「あいにく個人の名刺を切らしておりまして」と秀一から説明があった。

「ねえ、パパ……」

「ええ、わかっていますよ」

 困ったように眉を下げた純が秀一に声をかけると、秀一は一つ頷いてから藍時にニコリと微笑んだ。

「この後、お時間は空いていますか?」

「ぇ……?」

「この子を見つけてくださったお礼をぜひさせてください」

 思ってもみない提案に、藍時は秀一と純を交互に見た。そして秀一と目が合うと、再び首を絞めつけられるかのような感覚に陥った。

「ぁ……ぁ、ぅ……」

 何か答えなければ。声が出ない代わりに、手指を動かそうとするが、自分の手話は鷹木にしか通用しない。手にしたスマホのメモ機能を使い、文字を入力して見せる方法もあるのだが、この時の藍時にはそれが思いつかなかった。

(駄目だ……どうしよう……なんて、言えば……)

 この場を去りたいのなら、ただ断ればいいだけだ。首を振るだけでいい。そうしたいのに、藍時の身体は震えている。これはもはや緊張ではない。

 ただ見つめられているだけだというのに、感じているのは畏怖だった。

「ママ……?」

 そんな藍時の反応を、二人は怪訝に思ったのだろう。純が不安そうに藍時へ声をかけた。

 いたたまれなくなった藍時は地を蹴り、脱兎の如くその場から駆け出した。あんなに震えていたというのに、よく動いたものだと僅かに感心しながら。

「ママ! ママー!」

 純の自分を呼ぶ声があっという間に小さくなる。なぜ、あの少年は自分をママと呼ぶのだろう? 子どもなど産んだ覚えもなければ、これから先に授かることもないというのに。藍時は懸命に走り続けた。

 雑踏しか聞こえなくなった頃、不意に腕を掴まれた。

「藍時君っ」

 振り返ると、そこには自分同様に息を切らした鷹木の姿があった。

「よかった。見つかった……!」

「ぁ……」

 純のことで頭がいっぱいで、鷹木のことをすっかり忘れていた。藍時は手話で『ごめんなさい』と、咄嗟に謝った。

「急にいなくなるから驚いたよ……どうしたの? 何かあった?」

 まるで子どもに接するようなその優しい問いかけに、藍時はどう答えたものかと考える。そして息を整えた後、彼が出した結論は、鷹木の前でゆっくりと首を横に振ることだった。

 鷹木は、それ以上は何も聞かず、「そう」と短く返した後、俯く藍時の肩にそっと手を乗せた。

「顔色が悪い。あまり眠れていないのに連れ回してしまって悪かったね。家まで送るよ。さあ、帰ろう」

 藍時はコクンと頷いた。身体の震えはアパートに着くまで、止まることはなかった。

 その日の夜、処方された眠剤を服薬し、早めの就寝を心がけた。効果は変わらず、ただ身体が怠さを覚えるだけに終わった。
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