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第二章~自由の先で始める当て馬生活~

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「兄上にお願いがあるの」


 私の事を誰にも言わないで欲しい。


 徐に切り出した身勝手なお願いに、ジージールは戸惑いがちに首を傾げた。


「もう報告した?」


「いや、まだだが……」


 語尾を濁し、ジージールは私を待っている。目が私に説明を促している。


「いずれは、と思うのよ? けれどまだ……その、私の居場所とか、内緒に欲しい、とか思うのは…………その……」


「お袋とカクとルビィにもか?」


 私は頷き、そのまま俯いた。

 本当を言うと、私の心情的にマンナたちに知られるだけなら別に良いというか、安心してもらえるでしょうから、むしろ歓迎というか。


 けれど、マンナとカクはお父様に忠誠を誓った戦士だもの。
 お父様に命令されれば、私の居場所を吐かざる得ないかもしれないじゃない。

 お父様とお母様に知られるリスクを考えれば、知っているのはジージールだけの方が良い。


 言い難い言い訳をぽつりぽつりと話すと、ジージールは空を仰いで、大きく息を吐いた。


 やっぱり駄目、かな? このままなんて。

 目茶苦茶だって分かってる。

 さっきまで散々来るのが遅いだの、どうして見つけてくれなかったのだの喚いていたにもかかわらず、今度は誰にも言わないでなんて。

 言ってる事まるで真逆だものね。誠実じゃないわ。


 ジージールは少しよりは長い時間考え込んでいた。
 眉間に皺を寄せ、小さな唸り声に喉を震わせ、けれど、そんな顔を私に見せまいと顔を背けて。


 こんなのやっぱり、兄上を困らせるだけよね。

 私が諦めれば良いだけだもの。

 きっと皆心配している。
 マンナたちの気持ちを考えれば、私のちっぽけなプライドなんて。


 そう思い、溜息を吐きつつ口を開く。


「やっぱり良いわ。ジージー…………」


「言わない」 


「え?」


 今、きっぱりと言い切った?気のせいかしら。

 今まで渋っていたのが嘘みたい。


「お前の居場所を報告しないと言ったんだ。もちろんおふくろやカクにも言わないでやるよ」


「本当に良いの?兄上が叱られない?」


 ジージールがフンッと笑い、肩を竦めた。


「その時はその時だ。元々俺は、お前のお守役の為だけに城に来たんだ。国王の鉾やら両翼なんて呼ばれたお袋たちと立場が違う。それに、も、ち、ろ、ん?お前も一緒に叱られるんだろ?」


 ジージールはそうするのがさも当然と言わんばかりだ。


「そんなのもちろんよ!ありがとう!」


 私は嬉しくて、勢いのあまりジージールに飛びついた。

 以前ならジージールの肩に届きもしなかったけれど、背も伸びた今は背中に手を回し肩に顔を埋められる。

 慣れないから不思議な感じ。それにちょっと面白いわ。

 今ならジージールを押し返せるのではと、唐突に悪戯心が湧き上がった。

 私は背伸びをしてジージールに体重をかける。

 ジージールが笑いを噛み締めながら、一歩後ろに下がった。


「重くなったな」


 ジージールが私の背中をポンポン叩く。子供をあやすようにだ。
 私はジージールから体を離しつつ溜息を吐く。


「成長したと言ってちょうだい」


 本当にデリカシーないわね、兄上は。


「それで?」


 ジージールが言った。


「何が?」


「何も聞かないんだなって……」


 だから何だと尋ねているのに、ジージールは肝心な事を言わない。


 私を焦らして楽しんでいるのかしら。


「お葬式の事なら良いのよ?」


 仮に何か事情があったとして、何も知らされていない私は知らなくて良いのでしょうし。
 別に知ろうとは思わない。

 だから余計にジージールの言い回しに、ちょっとだけイライラした。


 はっきり言わないのって兄上らしくないわ。


「探しに来るのが遅かった理由もちゃんと分かったし、もう良いわ。それに皆も無事なら別に聞くことないしね」


 ツンとした突き放す言い方をしたのはわざと。

 ジージールはクッと口元を結び、目を細め眉を潜める。睨んでいるのに私を見つめる瞳は優しくて、妙に居心地が悪い。


「……アルテムだよ。葬式にはいなかったはずだ」


 アルテム……名を聞いた途端、まるで雷が私を貫いたかの様な、肌がビリビリと痺れるような感覚が私を襲う。

 まさか兄上からその名前を聞くなんて……とはさすがに思わない。

 思わないけれど、私はジージールをまともに見れず視線を地面に落とした。


 きっと大丈夫。あの時、派手に立ち回った。

 敵は私に引き付けられたはず。

 アートは無事に逃げられたはず。


 これまで何度も同じように言い聞かせてきた。

 けれどその度、言葉とは裏腹に不安が募った。


 もしも外を見張っている敵がいたら?

 見つかって掴まっていたら?

 そんなはずない。

 掴まっていたら、彼は人質として使われたはずだもの。逆に私ならそうする。

 だからきっと無事に逃げられた…………

…………………………じゃあ、どうしてアートは私を探しに来ないの?


 こうしていつも同じところにたどり着く。
 不安はなくならないどころか、ますます大きくなっていく。


「…………」


 ジージールの映し身がふわりと浮かび、私の顔を覗き込むように頬を撫でた。

 いつものように遊ぼうと誘っているのか。もしかしたら私の心配してくれているのかもしれない。

 そう思うと、この小さな友人に対して愛しさがグッと込み上げてきて、心がいくらか慰められる。


 返事を返さない私を、ジージールがどう思ったのかは分からない。けれど、ジージールは私の返事を待つつもりはないみたいで、溜息を吐きつつ口を開いた。


「無事だよ」


 その瞬間、私は息を呑んで顔を上げた。瞬きを忘れ、ジージールを食い入るようにジッと見つめる。


「今、無事って言った?」

「無地、の聞き違いじゃないわよね?」

「無事って生きてるって事よね?」

「瀕死じゃないわよね?それだと無事なんて言わないもの」


 矢継ぎ早に尋ねる私に、ジージールが苦笑を漏らす。


「本当に?」


「あぁ」


「生きてる?」


「うん」


「元気?」


「……うん」


 私の質問に一回一回頷いていたジージールが、一瞬目を逸らし返答に詰まった。


「……今の間は、どういう……」


 私は息を詰める。


「アルテムは無事だ。怪我一つしていないはずだ。少なくとも俺が最後に会った時はぴんぴんしてたよ。ちゃんと説明するから……」


 だから泣くなと、ジージールが私の頭を撫でる。


「泣いて、ないわ」


 泣いてないけれど、目頭が熱い。


「そうか」





 発端は、私の行方不明だった。


 ジージールの映し身の報告により、私が自分の意志で城に戻らないと分かり、お父様を始めジージールたちは捜索を小規模に抑えようと話し合っていた。
 その方が私の意志を尊重できると考えたのだそう。

 それに一人だけ納得できなかったのが、アートだった。

 普通に考えて、一国のお姫様が自分の意志で逃げたとして、無事でいられる保証はないどころか、危険だという方が至極真っ当な考えだ。

 アートは宿屋で襲われた時、賊相手に戦っている私を見ているから、ある程度は戦えると知っている。

 けれどアートは私が王子の身代わりとして幼い頃より戦闘の訓練を受け、そこらの兵士にだって負けないくらい戦闘に長けている事を知らない。

 彼の中では私は守るべき対象で、たぶん、自分で言うのもなんだけど、可愛い女の子なのだと思う。

 しかも、私がアートに託した魔法具が証拠となり、エグモンドおじ様が拘束された後だったから余計に私の身を案じていた。残党に報復されないかって。

 だからこそ、お父様の決定に納得できなかった。


 アートは無謀にも国王であるお父様に、私の大規模な捜索を直訴した。

 お父様は良い機会だと思ったのか、これまでのいきさつと共にすべてアートに話した。

 だって、そうじゃないと、私が自分の意志で行動していると考えられる理由を説明できないもの。   


「本当に全部話したの?初めから全部?」


「ああ、初めから、これまで何があったのか、お前が何者かも。包み隠さず」


 では、ついに知ってしまったのね。

 自分が本当は血の繋がらない家族の元で育てられた事も。
 私が身代わりとなり囮として育てられた事も。自分の本当の立場も。


「彼は?アートはどうだったの?」


 寂しくなかったかしら。

 苦しんだかしら。


「ふっ……くくっ……」


 何がおかしいのか、ジージールが堪えきれないといった風に肩を震わせ始めた。口元は引きつり、頬がピクピクしている。


 あら?
 私今、結構シリアスな話をしている思ったのだけれど、違ったのかしら?

 少なくとも私はとても真剣に聞いたのだけれど。


「兄上?私を揶揄ってるの?」


 もしそうなら許さない。私は拳を握り、本気で殴るつもりで、頭の中でシミュレートする。
 するとジージールは慌てて手を振った。


「待て待て!違うって」


「何が!?」


 怒気を強めて言う。


「俺、あいつ好きだなって思ったんだよ」


「あいつって……アートの事?」


「そうそう」


 好き?兄上が?アートを?

 けれど、私、アートとキスまで済ませているの。


「だから、アートは女の子が好きだとだと思うわ」


「何がだからかは分かんねぇが、そう言う意味じゃねぇよ」


「じゃあ、何だって言うの?」


「あいつ今、軟禁されているんだよ」


「え!?」


「罪状は国王やその側近に対して暴言、および暴行未遂だ」


「まさか、彼がそんな事がするはず……」


 彼は優しい人だもの。

 出会ったばかりの女の子の我儘に付き合ってくれるような人だもの。誰かの暴力なんて……いいえ、でも……



「……アート、怒ったの?」


「顔を真っ赤にして怒ってた」


 すぐさま取り押さえられたけれど、握った拳は最後まで解かれないままだったらしい。

 人の屑だ、人の心を持たない鬼だと大声で怒鳴り散らし、罵詈雑言をお父様とお母様に浴びせ、最後は昏倒の魔法で静かにさせられた。

 逆をいえば、魔法を使わなければならない程の事態だった、という事になる。


 けれど、私は王子様だから手荒な真似はできなかったのかしら。お父様の護衛もだらしないわね。なんて感想を持った。


「王子様ってお得ね」


 お父様の側近たちは、興奮するアートが国王に危害を加える恐れがあるとして、彼が落ち着くまで拘束する事にした。
 もちろん、事情を知っていてだ。

 アートは王家の血を引いてるとはいえ、社会的な身分は下級貴族。
 騒ぎは部屋の外にまで漏れ出ていて、仮にアートの処分を甘くしたとして、事が公になれば庇いきれないと、お父様もそれを了承した。


 それからずっと、アートの拘束は解かれていない。


 今彼はどんな思いでいるかしら。


 実の父親に自由を奪われて。

 とても簡単には受け入れられない事実を告げられて。

 


 私は口角を上げ、ハッと短く切るように息を吐き出した。

 ずっと恨んでいた王子が拘束され、罪人の扱いを受けている。
 国王に手を振り上げたのなら、事実罪人だ。


 これ程胸がすく事はない。

 私の中の薄暗い部分が、ざまぁみろと笑っている。


 ただ、狭い部屋の中一人座るアートを想像すると心がざわついた。


 私は奥歯を噛み締め、遠く、城を睨み付ける。


「これ程胸がすく事はねぇよな!?」


 そんな時にジージールが声をあげて笑ったものだから、私は目を見張った。


「……本気?」


 私の心を見透かされたのかと思った。兄上と私は同士だったの?なんて思ったけれど、すぐにそうじゃないと分かった。

 ただ、気付いた後も、ジージールが私とはあまりにも違いすぎてただただ驚いた。


「ああ!だって、あいつ、俺が言いたかった事を全部言ってくれて、俺はもう、すっきりしたのなんのって。多分俺だけじゃなくて、皆そうだと思うぜ」


「皆?思っていたって……それはお父様とお母様に対して? ……そういう事?」


 分からないわ。思いもしなかった。どうして?

 だって兄上はお父様の部下よ、ね?


「そうそう。お前のお父様とお母様にな。でも当たり前だろう?お前の扱いを初めから納得している奴なんて、誰もいねぇよ。お袋なんか、取り押さえられたその場で、あいつを良く言ったって背中をバシバシ叩いてたぞ」


 その場……って事はお父様の前でよね? さすがマンナだわ。


「お前は知らなくて当然だけど、この計画に最後まで反対してたのが、お袋なんだよ。人の命を何だと思ってるんだってな。ま、最後は折れた、というか、折れざる得なかったんだけどな」


 初めて知った事実だった。マンナとカクはただお父様の部下だから、だから私のお守りをしたんだって思ってた。ずっと一緒にいるから、いつの間にか情が湧いたのかと、ただそれだけだと思っていたわ。

 マンナが反対していたなんて、私知らなかった。


「俺さ、ルビィと一緒にアルテムによくやったって言いに行ったんだよ。そしたらあいつポカンとしててさ」


「気持ち分かるわ。私、今そんな気分だもの」


「カクは何も言っていなかったけど、無言でアルテムの頭撫でたな」


「カクまで…………それで、お父様とお母様の反応は?」


 お怒りになったかしら。
 心を鬼にしてまで守ったのに、実の子どころか忠臣までそんなんだもの。


 私が独り言のようにポツリと零すと、ジージールは首を振った。


「泣いてた……かな。いや、本当に泣いていたわけじゃない。けど、俺にはお二人が泣いているのように見えた」


「……我が子に反抗されて、悲しまないはずないものね」


 親の心子知らずとはよくいったものだ。


「それだけじゃないと思うんだけどな」


 それってどういう意味?


 聞きたかったけれど、できなかった。


 オーリーが帰ってくる気配がすると言って、ジージールは唐突に消えてしまったからだ。

 その後はいくら呼び掛けても返事をしてくれなかったので、早々に私も諦めた。


 ちなみに割れたはずの花瓶が元通りになっていたので、私は何食わぬ顔でオーリーを出迎えたのだった。




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