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第二章~自由の先で始める当て馬生活~

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 ついこの間あんな事があったばかり。敵襲に備えるべきなんだと思う。

 けれど私は、あまりに違和感のなさに違和感を覚え、構えるより、嫌に耳に馴染む声を頭の中で反芻していた。


「幻聴?」


 つい最近は一人でアレコレと考えるようになった。

 もしかしてお一人様レベルが上がり過ぎて、幻聴を聞くようになってしまったのかしら。

 これなら一人問答が容易に……って、それじゃあ、ただの危ない奴じゃない。

 しっかりするのよ、アイナ。

 対象の馴染みある人物に変装して襲うなんて古典的な罠じゃない。


 足を肩幅に開き、組んでいた腕を解き構える。


「誰かいらっしゃるのですか?」


 一人しかいないはずのカランとした室内で、私の声がスンと落ちた。

 響かない。けれど答えもない。


「…………という事は、やっぱり私はレベルが上がったのね」


「んなわけ――」


 声が聞こえた。ほぼ同時か、少し早かったかもしれない。空気が動き、その刹那、私は背後に魔力を乗せた蹴りを入れる。


 んなわけぇだろ、と続くはずだったセリフは途中で途切れ、うめき声に変わり、重量のある何かが花瓶が飾られた台にぶつかった。花瓶が床目掛けて落ちる。

 相手に反撃の隙を与えてはいけないと教わった通り、私は攻撃の手を止めなかった。相手が誰であろうとだ。

 花瓶がガシャンと割れる音と共に、軸足を入れ替え続けざまに蹴りを繰り出す。一発目より二発目が、二発目より、三発目の突きの方が、魔力が巡りぐっと重くなる。


「待った!」


 静止の声。だけれど、攻撃は急には止まらない。止められない。


「う゛っ」


 私の拳は間違いなく相手の体のどこかを捉えたようだった。割れた花瓶から零れた水が不自然に揺れ、透明人間が姿を現す。

 腹を抱え丸めた背中。壁にもたれ掛かっているのは、苦しいからかもしれない。


「……っ」


 両親共に羊人なのに本人に羊人の特徴はなく、黒い髪に黒い目であるのにカラス羽でもない特異体質。

 現代魔法ではない魔法を操り、結界の技術なら国内屈指の実力を誇る。

 常に母親とセットで語られるのに存在するかも怪しい人物として城内では実しやかな噂が流れ、本人が気にせず放置しているせいもあって、今では、目撃されると幸運を授けてくれる精霊か何かだといわれるまでになった。


 噂を聞いた時は冗談が過ぎると笑い飛ばした。

 そんなどうでも良い事を思い出す。


「来るのが遅いわ」


 ジワリと目頭が熱くなり、零れそうなる涙をグッと堪え唇を噛む。

 声が震えてしまったと思った。けれど本当はその前から、体が震えていた。


「待たせてゴメンよ」


 兄の顔でジージールが微笑んだ。その表情はどこか優しくて意地悪い。

 私はたまらずジージールの胸に飛び込んだ。

 室内履きに冷たい水がジワリと沁みこみ、足を濡らす。固く尖った何かを踏んだような気もしたけれど、どうでも良かった。

 ジージールは私の背中と頭に手を回し、きつく、きつく抱きしめた。少し苦しいくらいの圧迫感が、今はとても心地良い。

 
「俺を騙した事、一応怒ってるんだからな」


 ジージールが私の頭を撫でて頬ずる。声色は酷く穏やかで優しい。


「ごめん、な、さい……あ、あに、あにうえ」


 私を抱きしめる腕に一層力が籠った。


「……っ無事で良かった、本当にっ」


 どうして探しに来てくれないのと泣いた日もあったし、王女の葬儀を見て捨てられたのだと思っていた。

 けれど、すべてどうでも良くなった。こうして私を見つけてくれたのだから。


「遅かったのは許してあげるわ」


 私が泣きながら口にした傲慢な一言に、ジージールはクスリと笑み、慰めるように頭を撫でた。







 苦しい。私の絞り出した一声で、ジージールの腕が解かれた。

 泣いているのは私ばかりかと思ったけれど、心なしかジージールの目も潤んでいる。お互い顔を見合わせて、ちょっとだけ気まずくて笑ってしまう。


「驚いた。ジージールが泣いてるわ」


「……デリカシーのない奴」


「あら、ごめんなさい。珍しいものだからつい」


「あのな反省してるのか?どれだけ俺が……」


「別に逃げたのではないわ。連絡が取れなかったのも、成り行きで……」


「違う。そっちじゃない」


 ジージールのジトっとした視線が私に突き刺さる。


 これが違うのなら、あっちの方を言っているに違いないわ。

 ジージール曰く、庶民は兄をお兄ちゃんと呼ぶらしいので。


「お、お兄ちゃん?」


 伺うように小首を傾げる。呼びなれない呼称は照れくさくて自然と頬も緩む。

 けれどジージールの表情が綻ぶどころか、目つきが一層細く険しくなった。


 どうも間違えたみたい。

 お兄ちゃんって呼んで欲しかったわけではなかったのね。なら……


「兄上?」


 ジージールがにっこり、というかニヤリと笑った。

 ようやく分かったか、とジージールの心の声が聞こえた気がした。

 今度から呼び方を気を付けなくてはね。オーリー達にどう説明しよう。


 徐にジージールが私を抱き上げようとした。けれどジージールの中の私は少し前の、小さいままの私なんだと思う。

 幼子を抱くのと同じように縦に抱き上げようとしてよろめく。


「急に重くなったな」


「成長したと言ってちょうだい」


 デリカシーがないのはどっちかしら。全くこれだから兄上は。


 私は頬を膨らませた。
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