106 / 124
第二章~自由の先で始める当て馬生活~
36
しおりを挟む
ついこの間あんな事があったばかり。敵襲に備えるべきなんだと思う。
けれど私は、あまりに違和感のなさに違和感を覚え、構えるより、嫌に耳に馴染む声を頭の中で反芻していた。
「幻聴?」
つい最近は一人でアレコレと考えるようになった。
もしかしてお一人様レベルが上がり過ぎて、幻聴を聞くようになってしまったのかしら。
これなら一人問答が容易に……って、それじゃあ、ただの危ない奴じゃない。
しっかりするのよ、アイナ。
対象の馴染みある人物に変装して襲うなんて古典的な罠じゃない。
足を肩幅に開き、組んでいた腕を解き構える。
「誰かいらっしゃるのですか?」
一人しかいないはずのカランとした室内で、私の声がスンと落ちた。
響かない。けれど答えもない。
「…………という事は、やっぱり私はレベルが上がったのね」
「んなわけ――」
声が聞こえた。ほぼ同時か、少し早かったかもしれない。空気が動き、その刹那、私は背後に魔力を乗せた蹴りを入れる。
んなわけぇだろ、と続くはずだったセリフは途中で途切れ、うめき声に変わり、重量のある何かが花瓶が飾られた台にぶつかった。花瓶が床目掛けて落ちる。
相手に反撃の隙を与えてはいけないと教わった通り、私は攻撃の手を止めなかった。相手が誰であろうとだ。
花瓶がガシャンと割れる音と共に、軸足を入れ替え続けざまに蹴りを繰り出す。一発目より二発目が、二発目より、三発目の突きの方が、魔力が巡りぐっと重くなる。
「待った!」
静止の声。だけれど、攻撃は急には止まらない。止められない。
「う゛っ」
私の拳は間違いなく相手の体のどこかを捉えたようだった。割れた花瓶から零れた水が不自然に揺れ、透明人間が姿を現す。
腹を抱え丸めた背中。壁にもたれ掛かっているのは、苦しいからかもしれない。
「……っ」
両親共に羊人なのに本人に羊人の特徴はなく、黒い髪に黒い目であるのにカラス羽でもない特異体質。
現代魔法ではない魔法を操り、結界の技術なら国内屈指の実力を誇る。
常に母親とセットで語られるのに存在するかも怪しい人物として城内では実しやかな噂が流れ、本人が気にせず放置しているせいもあって、今では、目撃されると幸運を授けてくれる精霊か何かだといわれるまでになった。
噂を聞いた時は冗談が過ぎると笑い飛ばした。
そんなどうでも良い事を思い出す。
「来るのが遅いわ」
ジワリと目頭が熱くなり、零れそうなる涙をグッと堪え唇を噛む。
声が震えてしまったと思った。けれど本当はその前から、体が震えていた。
「待たせてゴメンよ」
兄の顔でジージールが微笑んだ。その表情はどこか優しくて意地悪い。
私はたまらずジージールの胸に飛び込んだ。
室内履きに冷たい水がジワリと沁みこみ、足を濡らす。固く尖った何かを踏んだような気もしたけれど、どうでも良かった。
ジージールは私の背中と頭に手を回し、きつく、きつく抱きしめた。少し苦しいくらいの圧迫感が、今はとても心地良い。
「俺を騙した事、一応怒ってるんだからな」
ジージールが私の頭を撫でて頬ずる。声色は酷く穏やかで優しい。
「ごめん、な、さい……あ、あに、あにうえ」
私を抱きしめる腕に一層力が籠った。
「……っ無事で良かった、本当にっ」
どうして探しに来てくれないのと泣いた日もあったし、王女の葬儀を見て捨てられたのだと思っていた。
けれど、すべてどうでも良くなった。こうして私を見つけてくれたのだから。
「遅かったのは許してあげるわ」
私が泣きながら口にした傲慢な一言に、ジージールはクスリと笑み、慰めるように頭を撫でた。
苦しい。私の絞り出した一声で、ジージールの腕が解かれた。
泣いているのは私ばかりかと思ったけれど、心なしかジージールの目も潤んでいる。お互い顔を見合わせて、ちょっとだけ気まずくて笑ってしまう。
「驚いた。ジージールが泣いてるわ」
「……デリカシーのない奴」
「あら、ごめんなさい。珍しいものだからつい」
「あのな反省してるのか?どれだけ俺が……」
「別に逃げたのではないわ。連絡が取れなかったのも、成り行きで……」
「違う。そっちじゃない」
ジージールのジトっとした視線が私に突き刺さる。
これが違うのなら、あっちの方を言っているに違いないわ。
ジージール曰く、庶民は兄をお兄ちゃんと呼ぶらしいので。
「お、お兄ちゃん?」
伺うように小首を傾げる。呼びなれない呼称は照れくさくて自然と頬も緩む。
けれどジージールの表情が綻ぶどころか、目つきが一層細く険しくなった。
どうも間違えたみたい。
お兄ちゃんって呼んで欲しかったわけではなかったのね。なら……
「兄上?」
ジージールがにっこり、というかニヤリと笑った。
ようやく分かったか、とジージールの心の声が聞こえた気がした。
今度から呼び方を気を付けなくてはね。オーリー達にどう説明しよう。
徐にジージールが私を抱き上げようとした。けれどジージールの中の私は少し前の、小さいままの私なんだと思う。
幼子を抱くのと同じように縦に抱き上げようとしてよろめく。
「急に重くなったな」
「成長したと言ってちょうだい」
デリカシーがないのはどっちかしら。全くこれだから兄上は。
私は頬を膨らませた。
けれど私は、あまりに違和感のなさに違和感を覚え、構えるより、嫌に耳に馴染む声を頭の中で反芻していた。
「幻聴?」
つい最近は一人でアレコレと考えるようになった。
もしかしてお一人様レベルが上がり過ぎて、幻聴を聞くようになってしまったのかしら。
これなら一人問答が容易に……って、それじゃあ、ただの危ない奴じゃない。
しっかりするのよ、アイナ。
対象の馴染みある人物に変装して襲うなんて古典的な罠じゃない。
足を肩幅に開き、組んでいた腕を解き構える。
「誰かいらっしゃるのですか?」
一人しかいないはずのカランとした室内で、私の声がスンと落ちた。
響かない。けれど答えもない。
「…………という事は、やっぱり私はレベルが上がったのね」
「んなわけ――」
声が聞こえた。ほぼ同時か、少し早かったかもしれない。空気が動き、その刹那、私は背後に魔力を乗せた蹴りを入れる。
んなわけぇだろ、と続くはずだったセリフは途中で途切れ、うめき声に変わり、重量のある何かが花瓶が飾られた台にぶつかった。花瓶が床目掛けて落ちる。
相手に反撃の隙を与えてはいけないと教わった通り、私は攻撃の手を止めなかった。相手が誰であろうとだ。
花瓶がガシャンと割れる音と共に、軸足を入れ替え続けざまに蹴りを繰り出す。一発目より二発目が、二発目より、三発目の突きの方が、魔力が巡りぐっと重くなる。
「待った!」
静止の声。だけれど、攻撃は急には止まらない。止められない。
「う゛っ」
私の拳は間違いなく相手の体のどこかを捉えたようだった。割れた花瓶から零れた水が不自然に揺れ、透明人間が姿を現す。
腹を抱え丸めた背中。壁にもたれ掛かっているのは、苦しいからかもしれない。
「……っ」
両親共に羊人なのに本人に羊人の特徴はなく、黒い髪に黒い目であるのにカラス羽でもない特異体質。
現代魔法ではない魔法を操り、結界の技術なら国内屈指の実力を誇る。
常に母親とセットで語られるのに存在するかも怪しい人物として城内では実しやかな噂が流れ、本人が気にせず放置しているせいもあって、今では、目撃されると幸運を授けてくれる精霊か何かだといわれるまでになった。
噂を聞いた時は冗談が過ぎると笑い飛ばした。
そんなどうでも良い事を思い出す。
「来るのが遅いわ」
ジワリと目頭が熱くなり、零れそうなる涙をグッと堪え唇を噛む。
声が震えてしまったと思った。けれど本当はその前から、体が震えていた。
「待たせてゴメンよ」
兄の顔でジージールが微笑んだ。その表情はどこか優しくて意地悪い。
私はたまらずジージールの胸に飛び込んだ。
室内履きに冷たい水がジワリと沁みこみ、足を濡らす。固く尖った何かを踏んだような気もしたけれど、どうでも良かった。
ジージールは私の背中と頭に手を回し、きつく、きつく抱きしめた。少し苦しいくらいの圧迫感が、今はとても心地良い。
「俺を騙した事、一応怒ってるんだからな」
ジージールが私の頭を撫でて頬ずる。声色は酷く穏やかで優しい。
「ごめん、な、さい……あ、あに、あにうえ」
私を抱きしめる腕に一層力が籠った。
「……っ無事で良かった、本当にっ」
どうして探しに来てくれないのと泣いた日もあったし、王女の葬儀を見て捨てられたのだと思っていた。
けれど、すべてどうでも良くなった。こうして私を見つけてくれたのだから。
「遅かったのは許してあげるわ」
私が泣きながら口にした傲慢な一言に、ジージールはクスリと笑み、慰めるように頭を撫でた。
苦しい。私の絞り出した一声で、ジージールの腕が解かれた。
泣いているのは私ばかりかと思ったけれど、心なしかジージールの目も潤んでいる。お互い顔を見合わせて、ちょっとだけ気まずくて笑ってしまう。
「驚いた。ジージールが泣いてるわ」
「……デリカシーのない奴」
「あら、ごめんなさい。珍しいものだからつい」
「あのな反省してるのか?どれだけ俺が……」
「別に逃げたのではないわ。連絡が取れなかったのも、成り行きで……」
「違う。そっちじゃない」
ジージールのジトっとした視線が私に突き刺さる。
これが違うのなら、あっちの方を言っているに違いないわ。
ジージール曰く、庶民は兄をお兄ちゃんと呼ぶらしいので。
「お、お兄ちゃん?」
伺うように小首を傾げる。呼びなれない呼称は照れくさくて自然と頬も緩む。
けれどジージールの表情が綻ぶどころか、目つきが一層細く険しくなった。
どうも間違えたみたい。
お兄ちゃんって呼んで欲しかったわけではなかったのね。なら……
「兄上?」
ジージールがにっこり、というかニヤリと笑った。
ようやく分かったか、とジージールの心の声が聞こえた気がした。
今度から呼び方を気を付けなくてはね。オーリー達にどう説明しよう。
徐にジージールが私を抱き上げようとした。けれどジージールの中の私は少し前の、小さいままの私なんだと思う。
幼子を抱くのと同じように縦に抱き上げようとしてよろめく。
「急に重くなったな」
「成長したと言ってちょうだい」
デリカシーがないのはどっちかしら。全くこれだから兄上は。
私は頬を膨らませた。
0
お気に入りに追加
17
あなたにおすすめの小説
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
「君の為の時間は取れない」と告げた旦那様の意図を私はちゃんと理解しています。
あおくん
恋愛
憧れの人であった旦那様は初夜が終わったあと私にこう告げた。
「君の為の時間は取れない」と。
それでも私は幸せだった。だから、旦那様を支えられるような妻になりたいと願った。
そして騎士団長でもある旦那様は次の日から家を空け、旦那様と入れ違いにやって来たのは旦那様の母親と見知らぬ女性。
旦那様の告げた「君の為の時間は取れない」という言葉はお二人には別の意味で伝わったようだ。
あなたは愛されていない。愛してもらうためには必要なことだと過度な労働を強いた結果、過労で倒れた私は記憶喪失になる。
そして帰ってきた旦那様は、全てを忘れていた私に困惑する。
※35〜37話くらいで終わります。
【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」
王妃の仕事なんて知りません、今から逃げます!
gacchi
恋愛
側妃を迎えるって、え?聞いてないよ?
王妃の仕事が大変でも頑張ってたのは、レオルドが好きだから。
国への責任感?そんなの無いよ。もういい。私、逃げるから!
12/16加筆修正したものをカクヨムに投稿しました。
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
妹に傷物と言いふらされ、父に勘当された伯爵令嬢は男子寮の寮母となる~そしたら上位貴族のイケメンに囲まれた!?~
サイコちゃん
恋愛
伯爵令嬢ヴィオレットは魔女の剣によって下腹部に傷を受けた。すると妹ルージュが“姉は子供を産めない体になった”と嘘を言いふらす。その所為でヴィオレットは婚約者から婚約破棄され、父からは娼館行きを言い渡される。あまりの仕打ちに父と妹の秘密を暴露すると、彼女は勘当されてしまう。そしてヴィオレットは母から託された古い屋敷へ行くのだが、そこで出会った美貌の双子からここを男子寮とするように頼まれる。寮母となったヴィオレットが上位貴族の令息達と暮らしていると、ルージュが現れてこう言った。「私のために家柄の良い美青年を集めて下さいましたのね、お姉様?」しかし令息達が性悪妹を歓迎するはずがなかった――
余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました
結城芙由奈@12/27電子書籍配信
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】
私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。
2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます
*「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
※2023年8月 書籍化
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる