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第一章~王女の秘密~

55~アート~

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「王城へ…………やっぱり無理か」


 まだ屋敷に近いからか。やっぱり飛べない。持っていた通信機もまるで役に立たない。

 アートはチラリと屋敷の方を見た。屋敷ではアイナを探しているのか、ここまで怒号が届く。
 アートはゾワリと寒気が走り身体が震えた。

 外へ出た仲間と連絡が取れないと気付けば、いずれ追手もかかろう。


「急がないと。俺は俺の制限を解除する。風を纏うは鳥の如く 失われし力を呼び起こせ」


 アートの背中の小さな翼がはためき大きく変化した。アートは怪我をしていない方の足で踏切り、上へ、木の上に出た。
 翼を羽ばたかせると、文字通り空を飛んだ。

 この足では走れないし、生い茂る木々が視界を遮り下からは見られない。むしろ危険も少ないだろう。

 空を行き障害物がなくなると、すぐに森を抜けられた。
 アートは再び王都への転移を試みたが、やはりというべきか、飛べなかった。

 ここまで来ると、さすがにアートもおかしいと気付く。


 問題は屋敷ではなかったのかもしれない。

 王都中に何本も立ち上った煙は、開戦ののろしだったのではないか? 王都は今、混乱の中にあるのでは?


 アイナはハンカチに包んだそれを、発信器になっていると言っていたが、未だに誰も現れないのはそういう事かもしれない。まさか疑われているのではないだろう。


 来ない護衛を待っていても仕方がない。 アートは魔法で鳥を作り出すと伝言を託し、兄と父に向けてそれぞれ飛ばした。それから自分は医者を探すため、近くの村へ飛んだのだった。



 一番近くの村には医者はおらず、探し回る時間も惜しかったアートは、寝ている住人を叩き起こし医者がいる場所を尋ねた。

 そうしてようやく医者を連れ戻ったアートの見た物は、もぬけの殻にならになった地下の隠し部屋と、死体だらけの屋敷だった。


「アイナ? ……アイナ!?」


 じめっとした室内に、アートの声が虚しく響く。アイナが座っていた場所はすでに冷え切って、彼女が移動したのがついさっきでないを示していた。


 部屋にはアートの知らない新しい通路が開かれ、そこにアイナの靴だけが残されている。

 ザっと全身の血の気が引いた。


 屋敷の結界のせいか、アイナと一緒にいるはずの映し身も感じ取れない。

 一人残していくんじゃなかった。自分自身を後悔一色に染め、アートはその新しい通路を走った。


 薄暗い通路はアートが足を踏み入れると、先々を照らしてくれる。まっすぐ一本道、アートは走りながら、己の愚かさを呪った。



 やがて見えてきた階段の先の入り口はすでに開いており、屋敷のどこかの部屋に通じていた。
 部屋には死体が二体。部屋の前の通路にも二体。


 通路から顔を出した医者の女が、呆然とした様子で死体を見下ろすアートに尋ねた。


「まさかそれが患者ですか?」


「は?」


 ふざけた事を抜かすな。アートの無言の睨みに、医者が青い顔で顔を引っ込めた。ひくひくと動く頭の触覚だけが見えている。

「ご、ごめんな……」


 この虫人の医者は朝早くだというのに、患者がいるのならと、詳しい事情も聞かずついてきてくれた人だ。
 お人好しともいうが、少なくとも今のアートの態度は失礼だ。


「いえ、すみません。つい……気が立っていて。とにかく見て欲しい患者は女の子です。見た目は10歳かそこらの」


 可愛い女の子。


 アートはその時ふと、これはアイナがやったのか、と思い付いた。

 部屋の入口に倒れる遺体は仰向けで、頭は部屋の外を向いている。部屋の中からの攻撃だからこその倒れ方だろう。

 あの通路から出て来て、部屋の中から攻撃するのは誰だろうと考えた時、アイナ以外にいない気がした。

 敵は隠し通路の存在を知らないはずだ。

 これはアイナがそう言ったからではなく、隠し通路を知っていたのなら、まずそこから探すだろうが彼らは来なかったという、アートなりの推測だ。


 アートは頭を振った。


 だから何だというのか。

 たとえそうであっても、彼女が生きている事そこが大事であって、その次に誰の仕業かが重要になってくるのだ。


「別の敵がいたら厄介だ」


 アートは医者に隠れるよう伝えると、自分は屋敷の中を、アイナを探しに駆けだした。


 アイナをどこに隠した。アイナを出せ。

 屋敷の至るところに転がっている死体に、いくら怒鳴った所で答えてはくれない。

 それでも怒っていないと泣いてしまいそうだった。

 後悔と己の至らなさから来る羞恥と、必死に目を背けている絶望とがいっぺんにあふれ出すのが分かっていたから、アートは怒鳴り続けた。


「アイナ!返事をしろ!」


 屋敷の中にいないなら外かもしれない。そう思えた時には、すでに太陽が昇り始めていた。









 結局、誰も間に合わなかった。  アイナの計画と反王政過激派決起が偶然にも重なってしまったが故の、悲しい悲劇だ。

 かつて、王の二大矛と呼ばれていたマンナとカクは徹底的にマークされ、王都から出ることすら叶わなかった。ジージールも同様だったところを見るに、はじめから彼らの情報は敵に知られていたのだろう。

 自分が全盛期の力を誇っていたなら、せめて敵を振り切る事ができていたなら。マンナとカクは出口のない後悔に苛まれ、アイナに出し抜かれたとはいえ、護衛対象を残して離れるという失態を犯したジージールは激しい自責の念に捕らわれた。


 最も重症だったのはアートだ。彼もまたアイナを一人置いて行くという選択をした一人だ。

 また、アートが屋敷の中ではなく、初めから外を探していたら間に合ったかもしれない。その事実が彼をさらに苦しめた。

 ただ彼らが辛うじて己を保てたのは、希望があったからだ。


 アイナは生きているかもしれない、という希望だ。



 アイナの身に着けていた魔法具は彼女を守ると共に、位置を知らせる発信機の役割も担っており、それが、不可解な反応を見せたのだ。


 屋敷に貼られた結界は発信機の電波をも飲み込み、城の方でもアイナの位置を見失っていた。だが、二度、僅かな時間だけ反応を見せた。

 一度目はアイナの落下地点から崖沿いに北へと上った辺りで。反応は継続したまま崖を登り森へ入る。そこで一度反応が途切れた。

 二度目はそれから二日後、今度は僅か一秒の反応だった。


 実は一度目の反応があったのとほぼ同時に、アートは自身の映し身が力尽きのを感じ取っていた。

 この事からアイナの魔法具とアートの映し身が同化、あるいはそれに準ずる状態にあったのではないかと推測され、屋敷の結界を出てもなお魔法具の電波が拾えなかったのは、その辺りに原因があったのだろうというのが、魔法師たちの意見だった。

 反応があった周辺は、すぐさまカク・マンナ・ジージールの三人による捜索が行われた。

 だが、アイナを発見する事は終ぞできなかった。






 どうしてアイナの捜索が三人だけだったのか。



 ハンカチのつつみの魔法具は、いったい何だったのか。



 どうしてアイナの失踪は隠されたのか。



 アートが理由を知るのは、数日後の事である。





 


 
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