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第一章~王女の秘密~
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しおりを挟む私が目を覚ましたのは。次の日の朝だった。
自室の天蓋付きのベッドの上で目を覚ました私の顔に、侍女が渇いた布を軽く押し当てている。ちょうどそんな時だった。
「アイナ様、お目覚めになられたのですね」
侍女の声は微かに震えていて、眼鏡の奥の瞳が濡れている気がする。
彼女は
「少々お待ちください」
というと、サイドテーブル置かれた鈴を鳴らした。
リー…ン リー…ン リー…ン
音は涼やかに広がり、必要な人だけに届く。
「私は……どうしたのかしら」
頭がぼんやりとしていて、上手い具合に昨日の記憶を思い出せない。苦しい夢を見た気はするが、どうして侍女がそんな顔をするのか解らず、私は彼女に視線を投げかけた。すると、彼女は涙を拭う仕草を見せた。
「おいたわしや……姫様は昨日お庭で倒れられたのです。お医者様は心労がたたったのだろうと……」
「お庭で………………」
侍女にそう言われても尚、私の庭で何があったのか、すぐには思い出せなかった。
昨日は確か、婚約者がいきなり現れて、咄嗟にしてはなかなか高得点な演技ができたはず。
その後、マンナの気遣いで私の庭で休んでいて…………
………………そうだ。ネノスがやってきて、ネノスの従者だという彼に会ったんだった。
その時の様子を思い出した瞬間、ゾワリとした感覚が全身をめぐり、息が詰まった。苦しくなり息を吐き出すと、不意にアートの声が頭の中で蘇る。
やっぱり切なくて胸が苦しい。
「そう、だったわね。思い出したわ」
私は顔を伏せ、手で覆う。
「ありがとう」
私、アートにまた抱き締めらたんだった。名前で呼んでくれて、大丈夫かって。格好良かったな。優しくされただけでこれだけ嬉しくなるなんて、我ながらなんて単純。
自分では忘れたつもりでいたのに、姿を見ただけで心乱された。体が痺れたように緊張して、泣きたくなったのは、彼が夢でも記憶の残像でもなく、現実になってしまったから。
神様って本当に意地悪。私が望まない最悪の結末だけを用意するんだから。
私は溜息を吐いて頭を振った。そうやってようやく顔を上げたのだけれど、すると侍女が私が心配になる程オロオロしていた。
顔を覆ったまま黙る私に声を掛けるべきか否か、迷った末、手を中途半端な位置でワキワキとさせているのがなんともいじらしい。
私の様子が変だったから、困らせてしまったのだと思う。彼女のこういうところ嫌いじゃないし、寧ろ好きだけれど、これから先もっと大事になっていくのに本当に大丈夫かしら。
もっとも、もしもその時が来たなら、すべてが私のせいなのだけれど…………多分ね。
「さっきはマンナを呼んだのかしら?」
「はい、それとお医者様を……」
「では、診察が終わった後、人払いをしてちょうだい。マンナと話したい事があるの」
「かしこまりました」
「それから紅茶が欲しいわ。後、音楽をかけてくれると嬉しいわ」
侍女が礼をとる。
これで良い。私の心情などひとまず置いといて、先にどうしてもやらなければならない事をしよう。
余計な事を考えず、音楽を聴きながら紅茶でも飲めば、気分も切り替わって少しは落ち着くかもしれない。
ただし、これはそんな時間があればの話で、私に残された時間は思っていたより短く、結局、それは紅茶が運ばれてくるより早くやって来た。
鈴を鳴らしてから、さほど時間も経っていない。部屋のドアがノックされた。
「マンナでございます」
やはりと言うべきか。早々に現れたマンナが、どんな姿でドアの前に立っているのか想像がつく。
いつものように美しい羊人の毛並みをモフモフさせて、優雅な身のこなしで廊下を歩いて来たのだろう。それから淑女然とした立ち振る舞いで、ドアの前で私の返事を待っているに違いない。
「……どうぞ」
侍女がサッと動き、ドアを開けた。
ここで現れたマンナが私の予想と違い、取り乱した様子で涙ながらに駆け寄ってきたなら、どれだけ美談になったかと思う。けれど妄想は妄想、現実は現実で、マンナはどこまで行っても、私の良く知るマンナだった。
マンナはにっこりと教科書のような笑みを湛えた。
「姫様、お目覚めになられたようで、誠にようございました。姫様に何事もなく、ご回復された事、マンナは大変嬉しく思っております。姫様が倒れられた時は生きた心地がせず、医者の診療後もお目覚めになられるまでどれほど心を痛めたか、お優しい姫様ならきっと察していただけると存じております。姫様がお倒れになった時、傍についておらず申し訳ございません。側使えとして私がお支えするべきできたのに。ですが、姫様。このマンナを含め、姫様の身の回りの世話を担っている侍女たちがどれほど心配心配っても、姫様ご自身が気を付けていただかなくては、問題を排除するのも叶いませんせんし、防ぐこともままなりません。姫という立場も、ご自身の健康あってのものであると、これまでも何度も申し上げてまいりましたが、これほどまでにも、姫様に私の心が伝わっていなかったのかと、マンナはそれが残念で仕方ないのでございます。ご自分の立場というものをしっかり把握されている姫様だからこその選択という事も、このマンナは十分に存じているつもりでございます。ですが、そこにご自愛を含めて頂きますように、と私は思うのでございます。姫様が自ら危険に飛び込み無理を重ねれば、私どもがお守りできる範囲はグッと狭まって参りますし、昨日も私がお休みになられてた方がよろしいと申し上げましたのに、ご婚約者殿とイチャコラしたいと無理をなされた結果、倒れられたのです。私は何も姫様が憎くて申し上げているのではございません。私共、姫様に使える者たちは、常に姫様の事を思えばこそ、姫様のご意志に反する事を、申し上げなければならない場合もございます。そのような時に、姫様がご自分の我を通されたらどうなるとお思いですか。もちろん、それでも上手く行く場合も多ございます。しかしそれも多くの場合、周囲の者達の助力あっての事でございます。ご聡明な姫様なら私の申し上げている意味を、ご理解していただけていると存じております。重ね重ね無礼を承知で申し上げます。姫様、何卒、何卒ご自愛くださいますよう、このマンナからお願い申し上げます」
すごい、一気に言い切った。
笑顔なのに、こんなに怖いってある?
始終笑顔を崩さないマンナには、有無を言わさぬ迫力がある。しかもその顔でイチャコラなんて言うのだから、私は笑って良いのか突っ込むべきか迷ってしまう。
一度始めると説教がなかなか終わらないのは昔からで、今もまだ、コンコンと説教が続いている。しかも適当に聞き流すとすぐにばれるので、更に説教が長くなるのもいつもの事。
私は拷問ともいえる時間の終わりを告げる来訪者を、文字通り歯を食いしばりながら今か今かと待ちわびた。
けれども、結局お医者様がやって来たのは、十分後の事で、私はこの地獄に十分以上も耐える破目になった。
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