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第一章~王女の秘密~

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 私にとっては何度目かの打ち合わせは、つつがなく進んだ。


「では、ネイノーシュさん、ここに陛下がいらっしゃるので…………」


「では、ここで、こうですか?」


「はい、大変結構です」


 初めてのはずのネノスは、緊張しながらもそつなくこなしていく。


 ネノスは思いの外優秀な男だった。

 言葉遣いや態度、マナーは申し分なく、知識も豊富。少なくとも、甘やかされて育ったわけではなさそう、というのが私の感想だ。

 貴族としての基礎ができている。これなら、王族の仲間入りをする人物として民の前に出せる程に、ネノスは十分教育されていた。


 親しみを感じる顔立ちに、お父様の様に白く美しい長髪、お母様の様に洗練された仕草。彼らの、息子として申し分ない彼が、少しは苦労して育ってきたのなら、私の憎しみも少しは薄れたかもしれない。




 そうね、もし彼が愛されずに育ったのなら、同情心くらいは湧いたかもしれないわね。




 打ち合わせを終え、私はドレス姿のまま自分の部屋の床に仰向けに寝そべっていた。


 私の着替えの為に部屋を訪れた侍女が、驚き足を止めた。分厚い眼鏡が陽を受けギラリと光る。


「姫様、はしたのうございます。床に寝そべるのはお止めください」


「私、今こうしたい気分なの。あなたは下がりなさい」


  侍女が諌めるのも構わないでいると、その内諦めたのか、どこかに行ってしまった。


「さてと、これからどうしようかしら?」



 私はそのままの態勢で考え始めた。

 まず、恋人同士という設定なのだから、何かと仲良さげにしなければならない。

 例えば一緒に食事をしたり、お茶をしながらお喋りしたり。


 私は首を横に振った。…………駄目ね。


 食事に毒を盛りたくなっちゃう。
 でもそうすると、あの男の為に他の人が責任を負わされるから、気をつけないと。


 では一緒に稽古をつけてもらうのは?きっとカクなら、二人相手でもそつなくこなしてくれるわ。

 一緒に戦闘訓練など、世間のイメージする恋人同士ではないけれど、王女の恋人なら強ければ強い程良いに違いないものね。


 だが、私はまた首を横に振った。


 これもダメね。私うっかり、殺してしまいそうだもの。

 多分カクなら、私からあの男を守ってくれるでしょうけど……でもダメ、一緒の訓練はダメ。


 私は重い溜息を吐いた。

 どれだけ堪えたとしても、今の私があの男と一緒に歩けば、小突いて転ばせてしまいそうだし、なんならワザと何かを池に落として、探させたりしそう。

 私の中にある、どす黒い感情を押し殺して付き合うんですもの。そのくらいで済むなら、寧ろ感謝して欲しいくらい。
 

 ああ、いっそ殺せたらどれほど清々しいかしら。



 そう思い、私はあの男を殺すところを想像し、身を震わすほどの不快感に飛び起きた。

 まるで汚らしい物を触ったかのように、手を揉み、腕を払う。想像の中だけとしても、あの男に障るのはどうしても無理だったのだ。


「あぁ……本当にどうしたら……」


 触れないのであれば、演技の難易度はグッと上がってくる。不快感を堪え、少なくとも周囲に悟られぬよう行わなければならないのだ。


 せめて誰かのフォローがあれば……


 また、溜息を吐く。


 私には私を甲斐甲斐しく世話をしてくれる侍女と乳母、それから常に一緒にいる護衛がいるが、しょせん彼らは国王の配下であって、私の腹心ではない。

 王の御心に沿う事はあっても、逆らう事は決してないのだ。

 私を含め、臣下とはそういうものだ。


 私は無性に泣きたくなった。

 無意識の内に息を止め、天井の飾りを眺める。


 宝石の様にカットされたガラス玉がいくつも装飾された、見事なシャンデリア。殺風景な部屋を明るくしたくて、厚かましくも7歳の誕生日に強請ったものだ。

 私はそのガラス玉を数えた。



――王女様ともなると、高価な美術品も玩具のようにねだられるのですね――

――若いというのは苦労を知らなくて羨ましいですな――

――民草から血税を何だと思っているのかしら――

――こういうのも厚顔無恥というのですかな――



 その年は因縁稀に見る凶年で、農作物のみならず、水害や地震などが重なり、本当に大変な年だったのだ。だが、それがどのような事なのか、当時の私は理解していなかった。

 ただ、茶会に招待された公爵家に飾られていた、ガラス細工の置物があまりにも見事だったので、それをお父様とお母様に羨ましかったと話してしまっただけだ。

 それまでの私の部屋と言えば、人形やオルゴールといった、他の令嬢たちが持っているような玩具が一つもなく、必要なものが揃えられているだけだった。

 壁や天井は、植物や宗教をモチーフにした絵が描かれており、もちろんそれは見事なもので、それだけでうっとりと見入ったが、それは他の部屋も一緒で、私は私だけの宝物が欲しかったのだ。


 しかしそれを良しとしなかった貴族たちは、財政が苦しい中での無駄遣いと、国王を非難できないかわりに、私を責め始めた。


 幼い私には、いや、今でも、どうすれば良かったのか分からないのだ。


 誰にも言えず、すべてを飲み込み、笑顔で嬉しいと、無邪気な子供を装う以外できなかった。




 

――コンコン――




「姫様、マンナでございます。失礼してもよろしいでしょうか?」


 さっきの侍女が呼んできたに違いない。

 たしかに、私を叱り飛ばせるのはマンナくらいから、その選択は決して間違いではないのだけれど、彼女はもう少し自分で粘るべきだったかもしれない。

 彼女にはこれから、大事な役目が待っているのだけれど、ちゃんとこなせるのかしら。

 私はため息を吐いた。


「ええ、どうぞ」


 どうせ今更よね、と私は床に座り込んだまま返事をした。

 マンナは部屋に入ってくるなり私を見止め、目を見開く。


「まあ!」


 と非難の色を強めた言い方で、大げさに零すと、続けて私をピシャリと叱った。


「姫様!何てはしたない!おやめ下さい!」
 

「ねえ、ネノスを部屋に呼んではダメかしら?」


 私は立つことも、返事を返すでもなかった。


 幸せを装うでも、命令するでもなく、真顔でマンナに尋ねる。


「婚約者様とお会いしたければ、まずはお着替えください。話はそれからですわ」


 マンナの表情が一瞬だけ強張ったのを、私は見逃さなかった。突然何を言い出すのと思ったに違い。


 婚約者とはいえ、男性を自室に連れ込むなどはしたない。マンナきっとそう言いたいのだろう。複雑そうに表情を歪め、深く溜息を吐いた。


「婚約者殿に伝えてまいります」


 これも作戦の為仕方ない、マンナの顔にはそうはっきりと書いてあった。


 私は虫唾が走るのをグッと堪え


「ありがとう」


 と笑みを返した。










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