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夢に咲く花

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 男と娘は空港内の一室で待っていた。

 厳重な検査を終えた後であるから少々疲れていたが、それでも会える期待感が大きいのか、娘の方は父親よりは背筋をシャンと伸ばして座っていた。

 もうすぐ来るはずだ。自らを囮にしてまで自分たちを守ってくれたあの兵士。
 生きていると聞いた時、娘は心の底から歓び涙した。

 安堵したのもあっただろう。体を張って守ってくれたあの兵士が、毎晩夢の中で必ず冷たく動かなくなる。だがそれもきっと今日で終わる。
 娘は自身の宝物を使い自ら贈り物を綺麗包み飾った。上手にできたと思う。娘は返してもらった贈り物をそっと抱きしめた。


「お待たせしました」


 兵士と一緒に女性が一人やって来た。軍服も鎧も身に着けていない、見覚えもない女性。

 娘は戸惑いながらもあの日の記憶を呼び起こしていた。この人だっただろうか。髪の色は、背の高さは、声は、この人と同じだっただろうか。

 娘の戸惑いは兵士にも女性にも伝わっていた。娘と同じく一瞬ポカンとした父親が頷いた。


「ああ、あの時の……」


 父親の方は女性を覚えていた。


「この人にもね、助けて頂いたんだよ。お礼を言いなさい」


「あり、ありがとうございました」


 娘は状況を飲み込めないまま父親に促され頭を下げたが、娘の表情を見れば本当に礼を言いたかったのは違う相手なのだろうと容易に想像がついた。

 娘に顔をマジマジと見つめられ、女性、マリーは笑みを浮かべた。
 マリーの方も父親には見覚えがあった。応援に駆けつけ、孝宏を見つけたあの家にいた男だ。となると、本来ここにいるべき人物は自分ではない。

 マリーは自分を呼びに来た兵士を軽く睨み付けた。兵士も間違い気に付いている様子だが、今更間違えたとも言い出しにくそうだった。
 マリーは屈み、娘と目線を合わせた。


「こちらこそありがとう。あなたが無事で入れて、私も本当に嬉しい。もう少し待っててくれればあの時のお姉さんに会えると思うけど待てる?」


「はい!大丈夫です!」


 娘は本当に嬉しそうだ。やはり自分じゃなかった。マリーは肩を落とした。
 この娘がお礼を言いたかったのはのは孝宏だ。あの時、死にそうになっていた彼だ。

 マリーは心の奥でチリチリするモノを無視して、孝宏の準備をするために足早に部屋に戻った。

 部屋に戻るとルイは寝ていたが、孝宏とカウルは起きていて、もはや日課となった筋トレをしていた。一日中しているので筋肉痛にでもなりそうなものだが、若さかそれとも意外と運動量が少ないのか、カウルはもちろん孝宏も毎日続けていた。


「あれ?意外と早かったな」


「お礼を言うだけならこんなもんじゃねえの?」


 カウルと孝宏がそれぞれが一瞬動きを止め、マリーを出迎えた。


「それが、私じゃなかったの。タカヒロへのお客様よ」


「俺?」


 スクワットをしていた孝宏が足を曲げた状態で一度動きを止め、ゆっくりと姿勢を崩した。


「そ、子供の……多分、七、八、九……十、十一、十二か……」


「小学生一年生くらいから六年生の子供…………範囲広いな」


 そうは言いつつも、孝宏には心当たりがあった。歳は定かではないが子供なら一人だけ会っている。

 巨大蜘蛛に次々と食いつかれ半ばパニックになりかけていた時、階段の上から息を飲む小さな声が聞こえ、孝宏はとっさに声を張り上げた。巨大蜘蛛の注意を引く為だった。

 実際にはそうでなくとも、その時孝宏が身に着けていたのは兵士の鎧で、彼らから見れば外で命を張る兵士も孝宏も違いはない。
 孝宏もそう思ったからこそ、肺が割けんばかりの苦痛を堪え、引き千切られそうになりながらも、食いついてくる巨大蜘蛛を短剣で刺し殺しては這って外へ向かった。

 ただ孝宏もその時のことをおぼろげにしか覚えていなかった。言われてよくよく思い出してみれば階段の上にいたのは子供だったような。男が必死に戻れと叫んでいたような。そんなあやふやな記憶しか呼び起せない。


「そのあたりの可愛い女の子。心当たりない?多分家の壁が壊れて中に蜘蛛が入り込んだ時だと思うけど」


「ある……多分。良く覚えていないけど、子供は見た気がする」


「なら決まり、準備しよう。今下で待ってるから」


 化粧道具が入ったポーチを見せつけるマリーに孝宏はたじろぎ一歩後ろに下がった。


「そんなもん何に使うんだよ」


「タカヒロこそ何を言ってるの?あの子が待っているのは、あの時の、女の、兵士なの、わかる?」


「わかるけど……」


 理解できたのなら観念せざる得なかった。マリーは孝宏に前と同じ化粧を施した。それだけでも十分らしく見えたのだが、より女性らしく見える様に、渋るルイをマリーが説得し魔術で仕上げをしてもらう。
 マリーは腕を胸の前で組み、鏡に映る孝宏を下から上まで眺めた。


「服は……仕方ないっか」


「十分だろ。むしろここまでしなくても良いと思うけどな」


 胸はなくとも鏡の自分はあの日と同じくとても女性らしい。もうないと思っていたのに、思いのほか早く次の機会が来てしまった。




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