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夢に咲く花

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 孝宏は何度も地毛と一体になったかつらを引っ張ったが、取れる気配はまったくなく、鏡がないので確かめようもないが、手で触れる限り不自然な点はない。
 苦しかったと言ってもほんの数秒で、人によっては一瞬と表現する者もいるだろう。
 これほど簡単に、しかも地毛と遜色ないとなれば、地球であったら飛びつく者は間違いなく多い。

 口を半開きに笑みを浮かべ、頻りに髪を触る孝宏を見ながら、ルイは満足そうに頷き、片手をそっと背中に隠した。背中に隠された手の掌は赤く腫れ、空気がそよぐだけでも痛むのだが、ルイはおくびにも出さずに言った。


「ついでにサービスしておいた。だーいじょうぶ!幻覚の一種で、体に影響はないから安心しなよ」


 ルイはもう片方の手の甲で孝宏の胸を軽く叩いた。本当なら平らなはずの孝宏の胸に、大きな膨らみが二つ、ポヨンと弾む。


「は………な!?」


 そう言った声は確かに自分の、男のものであるのに、胸には一目でそうだと解る膨らみが二つ。触ると柔らかく弾力があり、触っている感覚も、触られている感覚もある。


「ナニコレ……」


「本物みたいだろう?実際は柔らかいクッションみたいのを生成してくっつけただけなんだけど、一緒に暗示をかけることで、まるで本物のように見えてんの。本物を再現するのは難しからね。暗示で錯覚を起こさせると多少の違和感は脳が勝手に補修してくれるから問題ない。暗示自体は一定範囲内にいる人物に自動的に掛かるように設定してあるから、遠くから注意深く見なければばれないし……本当完璧!僕って天才!はっはっは!」


 当然孝宏は本物の胸など見たことはない。ルイの説明通りなら、これは自分自身が想像している女性の胸ということになるのか。孝宏は首を捻った。

 服の上からでもわかる膨らみを直に確認しようとして、孝宏は襟に指を引っ掛けた。堂々と見るのも憚れる気がして、目は薄っすらと開いただけで、唇も緊張から固く真一文字に結ばれている。

 恐る恐る引っ張り、自身の胸が不自然に盛り上がっているのを確認した。

 不自然と感じたのは、普段ないものがさも当然のようにあるのは、やはりひどく奇妙で、まるで別人の体を覗いている気分になったからだ。
 自分の胸に付いている物だというのに、妙に気恥ずかしくて、それでも物珍しさからくる好奇心のほうが勝ってしまうのは、思春期の男子なら同然だろう。


「なあ、鏡とか出せない?自分がどんな格好しているか見てみたい」


「もちろん良いよ」


 ルイはやや声を震わせながら返事をした。どう頑張っても、面白がっているのが隠しきれていない。

 ルイが腕を前に突き出し、指同士を付けた状態で掌を孝宏に向けた。顔の筋肉がピクリとも動かなくなり、瞳に静けさを含む。


「姿を映す鏡になれ」


 口元を覆う布がモゾモゾと動いたかと思うと、手をそのまま、腕で縦に伸びる楕円を描いて見せた。
 初めは大きく、だんだん小さく。やがて楕円の中心に来る頃には、孝宏の前に大きな鏡が表れていた。

 手で触れられないが、確かに艶やかな鏡が、孝宏と背後を映し出している。

 元は太く不格好だったかつらは、ごく自然に孝宏の頭に馴染んでいた。髪をかき上げると、赤毛に覆われた、黒髪が現れ、前髪などはそのまま赤と黒が入り乱れる。

 髪型が変わった以外変わらない、そのまま自分の顔のはずが、一瞬誰だと口をついて出そうになる。髪型一つでこうも雰囲気が変わるのかと、孝宏は呆気に取られた。


「はぁ……」


「……まあ、い、意外と似合ってるんじゃないかな」


 孝宏が吐いた溜息を、自分に見惚れているのだと誤解したルイが、ぎこちない褒め言葉を口にした。


「ちげぇよ!ただ思ってたより、何かこう……女っぽく見えるから驚いてたんだよ」


 それを見惚れているのだと反論されれば、孝宏には言い返す言葉もないが、ルイはそうとは言わず納得して頷いた。


「そりゃそうだ。僕がそれらしく見えるようにしたんだから」


 女性の胸まで再現しているのであれば、それらしくというのはこの場合、女性らしくという意味合いだ。魔術の効果が表れるまで嫌に長かったのは、他にも小細工していたのが理由のようだった。


「すごいだろう?」


 ルイは自信満々だ。孝宏は多少呆れたものの、素直に頷きすごいと繰り返した。

 ところがルイはその答えには満足せず、大げさに耳に手を当て聞き返した。
 今は布地で隠れているが、ルイの耳は孝宏と違い頭の横ではなく、上部に並んで付いているので、ルイの手もそのあたりに添えられている。


「はい?タカヒロはさっき何て言ってたっけ?魔法なんて…………とか?」


 根に持つ奴だ。大げさに振る舞っているあたり、だたふざけているだけだろう。


「はいはい、取り消す。俺の負け。ルイはすげぇよ」


 魔術でなく自分が褒められ、不意を突かれルイは照れくさくて頬を赤らめた。そのままでも分かりはしないのに、孝宏に悟らせたくなくて、口元を覆う布を無意識の内に引き上げた。
 その行為が逆に不自然で、何かあるのかと勘ぐったがあえて触れず、孝宏は陽気に笑った。


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