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夢に咲く花

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 ナルミーがカダンを訪ねてきたのは、軍部に入ってきた情報を持ってきたからで、それはカウルとルイにとって一筋の光を見るものだった。


 あの日、化け物から逃げ出した村人が、数人だが見つかったらしいのだ。

 しかも彼が言うには、その中に白毛の狼人がいるらしく、しかも、記憶をなくており現在身元を確認しようがないとのこと。

 カウルとルイの父親は、白毛の純潔の狼人だ。

 問題はそれが《カノ国》であるという点だ。国境を越えなければならない。


「どうする?」


 カダンがカウルとルイを交互に見た。もちろん二人はすぐさま行くと答えた。

 次にカダンは孝宏とマリーに視線を送った。

 カダンと目が合いマリーは頷いた。


「う…んん……」


 孝宏は低く唸っただけで、腕を組み背中を丸めた。

 それを了承と取ったカダンは、先ほど見ていた地図を広げ、カウルとルイを加えてどのルートで行くが見当し始めた。

 地理に詳しくない地球人二人は、成り行きを見守るしかできず、暇を持て余したマリーは、ルイの荷物の中から本を取り出した。

 その本は小難しい文字の並ぶ魔術書で、多くの魔術式と解説が載っている。
 孝宏が中を見ても、おそらく理解どころか、文字を読むことすらできないだろう。

 ルイの魔術で読み書きやその他あらゆる情報を、脳に直接叩き込まれたマリーや鈴木と違い、初めから言葉を喋った孝宏には、そのような魔術は使われなかった。

 文字は困らない程度に読めるだけで、魔術の専門用語はまったくわからない。

 ただ、それを抜きにしてもマリーの呑みこみ速さはルイが舌を巻くほどで、三人の中で最も魔術の才能があり得意なのはマリーだろう。


「俺さ、あの時村の中で妙な家を見つけたんだ」


 おもむろに孝宏がそう切り出した時、四人は孝宏を一瞥しただけで、適当に相槌を打って済ませた。

 今は父親が生きているかもしれないと、三人とも浮き足立っている。

 彼らの反応も致し方ないといえたが、この場を逃しては、まだずるずると先延ばしになりそうで、孝宏は嫌だった。

 興味がないのは明らかだったが、孝宏がその家で見つけた物を車の中央に広げて見せると、彼らの態度が一変した。

 特にカウルとルイ。この二人は競い合って、それに手を伸ばした。


「どうしてこれを?…………どうして……」
 

 孝宏が広げて見せた物の一つ、手書きのノートを持つ、ルイの手が震えている。

 横から覗き込むカウルは息の飲んだ。


「これ、母さんの字だ」


 ルイがノートを広げページをめくる度、カウルの瞳もそれを追って左右に動く。

 ノートの文字一つ一つに母親を見つけたのだろう。二人の褐色の瞳が濡れる。


 孝宏はその家を見つけた時の状況を、なるだけ詳しく説明した。

 他の部屋とあまりにも違い過ぎていた。それは幻と錯覚するほど奇妙であったと話す。


「多分母さんが結界を張っていたんだと思うけど……」


 その理由は息子たちでも知らない。

 彼らが家を出た頃、つまり五年前には結界ははなく、母親がその様な話をしているのも聞いたことがなかった。


「すごい偶然……こんなことってあるのね」


 マリーが呟いたように、偶然かそれとも運命だったのか、オウカの部屋を孝宏が見つけた。

 どちらにせよその事実は今、彼らを大きく揺さぶっている。

 孝宏は背中を丸めて、車の木枠にもたれ掛った。

 彼らの目に浮かぶ感情が喜びか、それとも母を偲んでかは解らない。

 しかし少なくともこれらを持ってきた意味はあったのだと、孝宏は胸を撫で下ろした。
 

「これは?魔法具?」


 マリーがいくつかあった魔法具の一つを手に取った。

 それは灰色の布きれで、ハンカチにもならない程小さい。


「そうだ。祖父さんの作った魔法具。そんなものまで……これも……これも。棚には母さんが作った物もあっただろうに、全部爺さんのだ。タカヒロは良い物を選んできたな」


 カウルは一つ一つ手に取ってじっくりと眺めた。

 
 この界隈では名の知れた職人だった祖父の作品は、作られて何十年と経っているはずなのに、道具としての輝きを失っていない。


「これってどうやって使うの?」


 マリーは手に持っている布を、ヒラヒラと振った。

 孝宏の腕輪のように、身に着けておくだけにしては、形状がふさわしくない。


「それは一度魔力を込めるんだ。全てを解放する。解けて戻れ」


 カウルが箸サイズの棒切れを手に取り言った。

 するとただの棒切れは、グングン伸び始め、しなり、弧を描き、優に一メートルを超す大きさになった。棒の先と先を一本の弦が繋いでいる。


 これは魔法具の仕様ではなく、ただ単に運びやすくするために魔術で小さくしているだけのこと。


 カウルは弓を自分の後ろに立てかけようとしたが、バランスが取れず、仕方なく床に横に寝かせて置く。


「それにも同じように魔力を込めて見ろよ。元の大きさに戻ると思う。」


 マリーは布を掌に広げて乗せ、もう片方の掌を重ねて置いた。

 カウルと同じように呟くと、ほどなくして大きく膨らんだ布は、大きな一着のベストだった。

 黒地に白と朱色の糸で、花を模した刺繍が施された、マリーと比べると、かなり大きめのベスト。

 魔法具に必ずあるはずの術式は、刺繍の下に隠されており見えない。

 手入れは大変だがその分防御力は高く、魔術が打ち破られる心配も少ない。
 単純な魔術や普通の刃程度では傷付けることすらできない代物だ。

 カウルが言うには、昔兵士をしていた父の為に、祖父が作った物らしい。


「俺たちは知らないけど、あの頃のまだ戦争の影響が残っていて、国境近くではちょっとした小競り合いもあったって」


 なるほど、マリーは頷いた。
 所々擦れていたり、シミがあるのは、以前彼らの父親が実際に着ていたからだろう。


 それまで熱心にノートを呼んでいたルイが、ようやく顔を上げた。


「このノートの中身は、母さんの作った新しい魔法だった。完成しているのもあるし、未完成のやつも、僕でも何とかなるかもしれない」


 ルイは閉じたノートの表紙を、優しい手つきで撫でた。

 頬を伝う涙はないが、瞳一杯に浮かべた涙を零すまいと懸命にこらえる彼らを、孝宏はとても見ていられなかった。


(マリーは強いな。とても俺には無理だ)
 

 目を逸らそうとせず、彼らに合わせて見せるマリーの笑みには慈愛すら感じられた。


 その横でカダンが何をするでもなく、地図に片膝を乗せ不自然にじっとしている。

 孝宏と目が合うとあからさまに目を反らし、地図の上に乗せていた足と手をどかした。膝を抱え、背中を丸める。

 孝宏もあぐらをかいた、股の間に視線を落とした。
 膝の上に両肘を置き、頬杖を付く。


(どうしよう……気まずいな)
 

「何だろう?紙が挟まっている。手書きの……メモ?」


 オウカのノートに挟まっていた紙を、ルイが見つけた。声に出して読み上げる。


「どう考えても……話が…………おかしい。物語………………まったくずれている。このままではいけない…………を止めなくては……?でも……私たちの……があるとしか思えない…………?くそっ。所々、字が滲んでいて読めない」


 ルイはメモを読み上げながら、首を捻った。

 わざわざノートではなく、別の紙に書いた理由も解らない。慌てて書いたのか字体は崩れ、それがオウカの文字かどうかも怪しい。

 ルイから紙を受け取り、カウルも同じように首を捻った。


「えっと続きは………………子供の……で……変わって……?………とは別……世界を……にして…………。ダメだ。全然読めない。何だろう、これ」


 奇妙な文章だと、孝宏は思った。

 話がおかしくて物語りがずれているとは、何かを物語の通りに進めていたのだろうか。

 率直な感想としては、芝居でもしていたのだろうか、というところだ。


「あれ?ちょっと待って。物語だって?確かあれも……物語だった」


 孝宏は壁に隠されていた手作りの絵本を思い出した。

 あの後、自分の荷物と一緒にしまってそのままになっている。

 あの部屋の中で最も奇妙だったのは、間違いなくあの絵本だろう。


「そうだ。俺、あの部屋で奇妙な絵本を見つけたんだ。どうして忘れてたんだろう」


 この時、皆の意識は孝宏に向いており、その孝宏も意識的に《彼女》を見ないようにしていた。



 だから誰も気が付けなかったのだ。

 彼女が表情をなくし、青ざめていたことに。

 彼女が呟いた言葉を聞き逃してしまったことを。

 孝宏が絵本と言った瞬間、彼女が体を震わせたのを、誰もが見逃していた。



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