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冬に咲く花

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「助けてあげましょうか?」


 助けを求める孝宏に、答える声があった。

 額を地面に付けたままの態勢で蹲っていた孝宏は、予期せぬ返事にハッとして、後ろを振り返った。

 その人物は背後一メートルも開かない間に立っていて、厚手のマントに身を包み、孝宏を見下ろしていた。

 その顔には見覚えがある。教会の前で会った、あの魔術師の女だ。


「助けて欲しいのでしょう?私ならあなたの力になれる」


 その時の孝宏は正常な判断力など、働いていなかった。とにかく楽になりたくて、言葉の誘惑に抗うことなく口を開いた。


「本当に?助けてくれる?」


「もちろん。私にできることなら、どんな望みも聞きましょう?その代り、あなたが腕に付けている腕輪を見せてくれないかしら?」


 孝宏の記憶の片隅で、カダンが警鐘を鳴らした。

 だが一瞬の躊躇の後、孝宏は片腕を相手に見えるよう差し出した。


「ありがとう」


 魔術師はもう片方の手も取ると、両腕の腕輪を顔面に近づけて、ジットリト眺めた。視線は腕輪から外さないまま、しきりに何かを呟いている。


(何だか、気味が悪いな)


 魔術師は唐突に腕に息を吹きかけた。

 すると腕輪がジャランと鳴り、輪を大きく広がり、魔術師はすばやく両腕から抜き取ると、輪の外から内側まで観察した。


「うっ」


 突然、孝宏の目元で何かが弾け、こめかみに軽い衝撃が走り頭を押さえた。

 軽く頭を振り魔術師を睨みつけると目が合い、魔術師はニッと笑って言った。


「変わった魔法具を付けているのね。表には強力な封印の術式を、裏には強力な守護の魔法を。内側は後から付け足しでしょう?」


「まさか、ルイは封印を強化するためだって……」


「これ、あの双子の片割れがしたの?でもこれは封印の強化じゃなくて、守護。君を守るためのものね」


 魔術師は腕輪を指にひっかけて、孝宏に見せつけるように揺らした。腕輪が指先の際で音を立てる。


「ダメじゃない。そんな大事なものを不用意に外しちゃ………危ないわよ?」


 孝宏はそう言われた次に覚えているのは、不敵に笑う魔術師と、重く腹をえぐる痛み。

 息が吸えず口を開いたまま、ただ呻くしかできず、揺れる意識の中で腹を抱えた。強烈な吐き気が襲い、胃が空になるまで吐いた。吐しゃ物独特の匂いが鼻に付く。

 魔術師は孝宏の肩を足で踏み押した。孝宏は思うように体を動かせず、されるがまま仰向けに転がった。


「大人しく協力してくれれば、これ以上は何もしないわよ」


 孝宏にとって悪魔の宣告だった。


 魔術師はずっと孝宏の側にいたのだが、孝宏自身はそれより先の事はよく覚えていない。

 ただひたすらに苦しくて、耐えるのに必死だった。

 途中何度も意識が飛びかけるのに、次に与えられた痛みが現実に引き戻した。

 決して楽にしてくれず、実際にはほんの数分間であっただろうが、孝宏には果てしない時間の中にいるように感じていた。

 意識がはっきりとしてきた頃、寝かされていたのは固い地面の上ではなく、白いシーツの布かれた、清潔なベッドの上だった。

 服は脱がされ裸でベッドに横たわっており、かろうじで、下着と腕輪だけは身に着けていた。

 強烈な吐き気と、みぞおちに痛みはあるものの、喋れる程度には回復してた。


『こんなことして、日本なら犯罪だぞ』


 こちらに背中を向けて椅子に座る魔術師が、ゆっくりと振り返った。彼女は薄ぼんやりと光る物体を両手で持っている。


「なかなかの回復力じゃない?結構力一杯殴ったのに、上手くいかないものね。それより見て」


 魔術師が両手を広げると、薄ぼんやりと光る物体も合わせて大きな球体に膨れた。

 鈍く光っているそれら、一つ一つが文字や数字であり、組み合わさって一つの長い文章を作っていた。


 これらは術式と呼ばれるものだ。


「これはあなた達が凶鳥の兆しと呼んでいたのを写したものよ。すごく複雑な術式を組み合わせた、見事な魔術だわ」


「作った?じゃあ、凶鳥の兆しは誰かの魔法か?俺は魔法にかけられているって?」


「物わかりが良いじゃない。いいわ。協力してくれたお礼に、色々と教えてあげる」



 魔術師は得意げに説明を始めた。






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